カロカンノート

へぼチェス日記

野村力蔵

2015年02月14日 | family
大分県の野村力蔵(旧高田町在 1870~1940)および野村家が当時展開した事業の概要について調べてほしい。


回答
(Answer)
「野村力蔵(1870~1940)」は、村岡健蔵の次男として誕生、高田町の富豪野村家の養子となり、明治34年に家督を相続した。宇佐参宮鉄道(株)社長、共同野村銀行専務、大分県農工銀行取締役、豊中製紙、豊後灘酒造ほか、多くの事業に関わった。さらに郡会議員に挙げられ、野村家総師として功労甚大である。下記資料の記述より。
野村家で行なっていた事業に関する資料は見つからなかったが、「野村力蔵」の略歴が掲載されていた以下の資料を紹介する。
①『大衆人事録 第13版 5 中国・四国・九州篇』(帝国秘密探偵社 1940)大分p11
②『大衆人事録 第12版』(帝国秘密探偵社 1937)大分p5
③『日本人物情報大系 39(企業家編 9)財界人物選集』(皓星社 2000)p1050



回答プロセス
(Answering process)
『大分百科事典』p162「野村力蔵」の記述を確認して、大分県関係の資料『大分県の歴史(県史シリーズ 44)』『同 (新版県史シリーズ 44)』『郷土史事典 大分県』『新人国記 4 大分県ほか』等を探すが、関連記述は見つからず。
次に調査済み資料の記述から、関連事業の資料を探索する。
『写真集明治大正昭和豊後高田 ふるさとの想い出』(国書刊行会)p20、29に大正3年に〈宇佐参宮鉄道株式会社〉創立との説明や写真があるが野村家に関する記述は見つからず。
『全国農工銀行発達史』p877〈大分県農工銀行〉の項があるが、野村家関係の記述はない。
『大分県史 下』p208-211に〈農工銀行〉〈大分銀行〉の記述があるが、野村力蔵の名はない。
『人物レファレンス事典 明治大正昭和』を始め、各種人名事典(辞典)にあたるが、上記3冊以外に〈野村力蔵〉は見つからなかった。大分県立図書館ほか関係機関への問い合わせは不要とのことなので、関係資料の紹介とした。


事前調査事項
(Preliminary research)
『大分百科事典』(大分放送 1980)p162「野村力蔵」の記述は確認済みとのこと。


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