黒蜜や 雲の行方、お風呂の日記 などで、最近相次いで「姫に対して恋愛感情を持つ客」の話が出ていた。今回はこれについて書いてみる。
ソープで姫と客との間に恋愛が成立することは、私も実際に数例知っているので全く無いとは言わないが、極めて例外的な場合に限られる。「自分は例外の方だ」と思いたくなるのは姫に惚れた客の人情だし、その気持ちは大変よくわかるのだが、ほとんどの場合そうではない。ほぼ常に、客の側の一方的な片想いである。
という前提の上でどうするかという話だが、
もちろん最初からそのような感情を持たないで済むならそれに越したことはない。とは言え、「そんなことは最初からわかっていたが、しかし」という人はどうしたらよいか。
結ばれるだけが愛でもないだろう。見守り続ける愛もある。「一番好きな人とは結ばれないもの」という言葉を聞くと私はいまだに目頭が熱くなるのだが、なかなかの真理を突いているとも思う。ソープの姫を好きになるとは、そういうことなのかもしれない。
見守る上では、好きな姫になるだけストレスをかけないことが重要なのだが、そのためには自分が登楼を楽しめなければならない。回数を重ねる毎に重くなっていく客を迎えるのは、姫としてもたいへんに辛い。いやもちろん「楽しむ」ことが難しいのは私にもよくわかっている。どうすればいいかは、今もなお考え中だ。
最後になるが、今回の件に関して 風俗 愛の放浪記 で非常に良い文章を見つけた。それを引用して今回の話の締めくくりとしたい。
ソープで姫と客との間に恋愛が成立することは、私も実際に数例知っているので全く無いとは言わないが、極めて例外的な場合に限られる。「自分は例外の方だ」と思いたくなるのは姫に惚れた客の人情だし、その気持ちは大変よくわかるのだが、ほとんどの場合そうではない。ほぼ常に、客の側の一方的な片想いである。
という前提の上でどうするかという話だが、
もちろん最初からそのような感情を持たないで済むならそれに越したことはない。とは言え、「そんなことは最初からわかっていたが、しかし」という人はどうしたらよいか。
結ばれるだけが愛でもないだろう。見守り続ける愛もある。「一番好きな人とは結ばれないもの」という言葉を聞くと私はいまだに目頭が熱くなるのだが、なかなかの真理を突いているとも思う。ソープの姫を好きになるとは、そういうことなのかもしれない。
見守る上では、好きな姫になるだけストレスをかけないことが重要なのだが、そのためには自分が登楼を楽しめなければならない。回数を重ねる毎に重くなっていく客を迎えるのは、姫としてもたいへんに辛い。いやもちろん「楽しむ」ことが難しいのは私にもよくわかっている。どうすればいいかは、今もなお考え中だ。
最後になるが、今回の件に関して 風俗 愛の放浪記 で非常に良い文章を見つけた。それを引用して今回の話の締めくくりとしたい。
そもそも、人と人との関係は、一方的なものではない。俺が好きだから、ということだけで成立するわけではない。二人の関係が出来上がるためには、一方が好意を示すときに、もう一方も好意を感じる、という相互関係が必要だ。こちらの心が動くときに、相手の心も動いている、ということが必要だ。これは、気持ちのキャッチボールだと言える。投げたボールを投げ返してくれなければ、キャッチボールは成立しない。
こういうキャッチボールは、恋愛に限ったことではない。特に風俗の場合、恋愛というのは、例外を除いてはほとんど成り立っていないように思われる。また、たとえ成り立ったとしても、そういう恋愛関係は長く続くものではないし、お互いの思惑が食い違う可能性も高い。
俺が風俗で唯一考えられる人間的な関係は、信頼関係だ。その信頼関係がどれだけ深められるかは、お客の努力と人間性にかかっている。女の子との間に深い信頼関係が築けたとき、おそらく最も深い精神的満足が得られるだろう。もちろん、そんなことは風俗の子相手にできるわけない、と思う男性も多いだろう。そういう気持ちの裏には、風俗という仕事に対する、あるいは風俗の仕事をしている女の子に対する蔑視が潜んでいるのではないか。風俗であれ、他の仕事であれ、そこにいるのは一人の女の子だ。その子に対して本当の信頼関係を築くのは、そういう外面的なレッテルを離れて、一人の人間と対峙したときに始めて可能になる。