<はじめに>
皆様、お待たせしました。
って、待っている人なんていないか(笑)
とりあえず、遅くなってすみませんでした。
神宮から約1ヶ月。
やっと第二部です(笑)
今回のテーマは、「生駒里奈という『存在』」です。
当初、これを第一部として書くつもりだったんですが、
色々バランスを考えて第二部にしました。
ちなみに、前回の記事の掘未央奈と同じように、
僕は生駒里奈推しではありません。
あ、
今回も、映画「悲しみの忘れ方」のネタバレがあります。
ご注意ください(笑)
<本文>
まず、大前提として、一応言っておきます。
これは、乃木坂46「真夏の全国ツアー2015ファイナル@神宮球場」の感想です。
それを踏まえてお読みください。
で、
神宮を見に行った経緯などを書こうと思ったのですが、
前の記事で書いたので、省略します。
あと、
ここから先は、キモヲタの想像です。
いや、妄想かもしれません(笑)
注意して、お読みください。
まずは、この記事を書く前に、
現時点で僕が思っている、生駒の印象を箇条書きにしておきます。
「元センター」
「兼任」
「凛とした表情が綺麗」
「しゃべると少し変」
「漫画ヲタ」
「運動音痴」
「ダンスは上手い」
「秋田出身」
「12枚目センター」
といった感じです。
これが、記事を書き終わった時、どう変わるのか?
それが今回の裏テーマでもあります。
さて、
推しでもない生駒里奈について、
なぜ、記事を書こうと思ったのか?
きっかけは、この表情です。
ツアーファイナル。
2015.8.31神宮球場。
「悲しみの忘れ方」を歌い終えた生駒の表情です。
僕はこの表情が引っかかりました。
気になりました。
コンサートのラスト曲(アンコール前という意味)
オーケストラバージョンで、
花火まで打ち上げて演出した曲の最後(笑)
(ちなみに、コンサート全体の感想は、
次の記事、第三部「乃木坂らしさの『コタエ』」で書くつもりです)
ツアーが終わったというだけではない。
なんとも言えない、
生駒にしては珍しいというか、
言葉にするのは難しい「何か」を感じました。
そして、その「何か」を知りたくて、
次の日、
この曲が主題歌になっている、
映画「悲しみの忘れ方」を観に行きました。
そして、やっとこの表情の意味が分かりました。
この映画は、
「生駒・生田・白石・西野・橋本」
の5人をメインにしたドキュメンタリー映画で、
その中でも、生駒がメインとして扱われています。
つまり生駒は、この映画の主役。
僕は以前の記事で、
「なんで12枚目のセンターは生駒なんだろう?」
「太陽ノック」というシングル曲は、生駒には合わない。
生駒が似合う曲は、「制服のマネキン」のようなテイストで、
彼女の「凛とした表情」が活かされる楽曲であるべきだ。
そんなことを書きました。
まだ、この映画を見る前で、
この主題歌が発表される前です。
その後、「悲しみの忘れ方」という曲が映画の主題歌だと発表され、
さらに、映画の内容が発表されて、
やっと、12枚目のシングルのセンターが生駒になった意味が分かりました。
でも、今思えば、
分かったつもりになっていただけでした・・・。
僕は、
映画を観て、
やっと、12枚目のセンターが生駒である、
本当の意味を知りました。
この映画は、
乃木坂46のオーディションから撮影され続けた映像が使わてれいます。
なぜ彼女たちはオーディションを受けたのか?
オーディションの最中はどんな気持ちだったのか?
受かった時、どんな気持ちだったのか?
結成した時は、
初めての収録は、
初めてのレコーディングは、
そして現在は・・・・。
インタビューも交えて、メンバーの心の内が描かれていきます。
その中でも、結成当初から「センター」に立たされた生駒里奈。
彼女が背負った宿命は、他の誰よりも大きなものでした。
AKBのライバルグループとして、大々的に宣伝され、勝手に比較される日々。
昨日までは普通の女の子だった少女たち。
否応なく伸し掛かるプレッシャー。
センターの生駒は、その矢面に立たされました。
アイドルという「偶像」の中でも、
更に「特別な偶像」である、センターという存在・・・。
そして、「16人のプリンシパル」
その舞台裏で起きた事件。
この映画の見所でもある、
「生駒と松村の意見衝突」
でも、
正直、このシーンは想像の範囲内。
他のメンバーのシーンも、想像の範囲内でした。
そんな中、
僕が持っていた生駒のイメージを変えるシーンがありました。
それが、
「生駒がメンバーに対して、意見を言うシーン」
でした。
何かのコンサート(?)のリハーサル終了後、
控室でマネージャーからの報告が終わったあと、
生駒がメンバーに向けてこんな内容の言葉を言います。
「フリを間違えている人がいるからちゃんと覚えよう」
「立ち位置を間違えている人がいるから気をつけよう」
まるでキャプテンのように、指示を出す生駒の姿。
正直、ビックリしました。
生駒って、グループの中でこんな立ち位置だったの????
実は、この映画の中で、
生駒が指示を出すシーンが数回ありました。
それも、兼任をする前と後。
何が言いたいかというと、
「兼任後、AKBで学んだから、
乃木坂で意見を言うようになったのではなく、
結成当初から、生駒はそういう存在だったんだ」
というのが驚きでした。
ビックリです。
センターに立っているから、
収録などの表舞台では、メインで喋るけど、
まさか、裏やライブまで仕切っている存在だとは思っていませんでした。
本当にビックリです。
同時に、
生駒は名実共に、
「乃木坂46を引っ張ってきた存在」
なんだと、思いました。
そして、それが生駒の魅力なんだと思いました。
本当はセンターなんてやりたくなかったけど、
なってしまったからには、全てを受け入れ、
やるからには良い物にしたい。
それが、あの喧嘩のシーンであり、
兼任を選択した理由でもある。
この映画を観れば観るほど、
生駒が乃木坂に与えた影響は、大きかったのだと思い知らされます。
事情があって2回も観たので、更に実感しています(笑)
以前読んだインタビューで、
生駒がこんな内容のことを言っていたのを思い出しました。
外仕事をする中で、
芸能界で生き残るためには、もっと成長しなければ、
もっとスキルを磨かなければと思い知った。
そして、
自分が頑張れば、乃木坂のみんなのチャンスも増える。
自分をきっかけに、次は別のメンバーが呼ばれるような仕事をしよう。
だから自分は頑張るんだ。
これらの言葉の裏には、こういうことがあったんだね・・・。
話は戻って、神宮ファイナル。
ライブ前日。
乃木坂工事中で13枚目の選抜が発表され、生駒は3列目へ。
実は、選抜センターが次のシングルで3列目に下がったのは生駒が初めて。
「ゆかいな仲間たち」に、言いたい。
センターを背負うメンバーを気遣えや!!!
今、お前たちが貰ってる給料は、
この子たちが矢面に立って、傷ついた代償であることに敬意を払え!!!!
「センターが終わったから、はい、さようなら」
なんじゃそりゃ!!!
・・・それでも、
それさえも受け入れるしかないメンバーたち。
生駒も、この時初めて、
「ああ・・・、やっぱり12枚目は、映画のためだけのセンターだったんだな・・・」
と、思ったに違いない。
さらに、
この発表があったのは、ツアーが始まった頃だろう。
次のシングルでは3列目と言われ、
どんな感情で、
どんな思いで、センターに立ち、
ツアーを引っ張り続けてきたのか・・・。
想像しただけで涙が出てくる。
与えられた仕事は全力でやる。
それが生駒の信念だとしても、
あまりにも酷な現実だ。
13枚目は3列目。
福神ですらない・・・。
そんな中始まった全国ツアー。
今回のツアーは、
「12枚目シングル「太陽ノック」と、
映画「悲しみの忘れ方」の主題歌を引っさげて、
生駒をメインにした全国ツアー」
主役は生駒里奈。
観客やファンは、12枚目のセンターとしてステージに立つ自分を見に来ている。
裏の事情なんて知るはずもない。
知られる訳にはいかない・・・。
6都市16公演。
ツアーファイナル、最後の曲。
つまり、「悲しみの忘れ方」が、
生駒が背負ってきた、12枚目の集大成になる曲だ。
これが終われば、
12枚目で与えられた、自分の役目も終わり。
今、すべてが終わる・・・。
もう感情は隠さなくていい。
観客も、次のシングルは3列目で、
福神ではないことを知っている。
すべての感情を出していいんだ。
もう、我慢しなくていいんだ・・・。
これまでの、色んな感情が入り乱れる・・・。
そして、この表情・・・。
もしかしたら、選抜のセンターはこれが最後かもしれない。
次は、アンダーの可能性もある。
3列目とは、そういう位置・・・。
やっと分かった気がする・・・。
この表情の意味・・・・・・。
更に、Wアンコールなんてされたら泣くわな(笑)
生駒、いや、
生駒里奈さん、お疲れ様でした。
12枚目センター。
そして、映画から繋がるコンサートツアー座長の大役。
本当に、本当に、お疲れ様でした。
これからも頑張ってください。
今回のツアーのテーマは「乃木坂らしさとは?」だった。
詳しくは次の記事で掘り下げるけど、
もしも、「乃木坂らしさ」というものがあるなら、
それを構成する要素の中には、
生駒里奈という「存在」がある。
そして、それは、とても大きく、
もはや、乃木坂は、彼女無しでは語れないものなんだと思う。
秋元氏風に言えば、
「生駒里奈とは、乃木坂46の『存在』である」
って、感じかな?
生駒里奈という存在があったからこそ、今の乃木坂は存在し、
生駒里奈という存在があるからこそ、これからも乃木坂は存在し続けるだろう。
なんてね(笑)
さてさて、
最後に一つだけ、ダメ出し的なことを書いておきます。
さっきも書いたように、
生駒はメンバーに対して、意見を言う存在になっているようだ。
これはいいことだと思う。
ただ、
生駒に対して、意見を言えるメンバーがいるのか?
それが疑問でならない。
前にも書いたが、
12枚目シングル太陽ノックは生駒のテイストではない。
これは、「愉快な仲間たち」(運営とも言う)が悪い。
映画の公開が7月にズレたから、
時期的な意味で、仕方なく映画主題歌のセンターに決まっていた生駒を、
12枚目センターにしたのかは分からないけど、
夏曲だからという強引な言い訳で、
生駒のイメージとは相反する楽曲を用意した運営が悪い。
けど、
それを言い訳にして、楽曲に寄せなかった生駒も悪い。
自分の不得意分野だからといって、
ぎこちない笑顔でセンターを演じられても、
見ているこっちが辛いだけ。
生駒もプロなら、
違和感を唱えられる時点でアウト。
生駒が、メンバーにダメ出しするように、
生駒にも意見を言ってくれる人がいるのだろうか?
メンバーでもスタッフでも言ってあげてほしい。
そして、
今、生駒が学ぶべきは、
「自分の表現感情と、見ている人の鑑賞感情のズレの修正」だ。
わかりやすく言うと、
例えば、
生駒が自分では80%の感情で笑っているつもりだとしよう。
でも、見ている人が、
「生駒は40%しか笑ってない」
と感じたら、それは生駒の表現感情がズレているということだ。
生駒の場合、これが目立つ。
特に、コンサートの「煽り」と、
歌の「キメ顔」に関してのズレは、観ていて辛いものがある。
今回の神宮でも、冒頭の「太陽ノック」からの3曲。
生駒の「煽り」は強引だった。
観客のテンションを無視して、
自分だけのテンションで突っ走っていた。
ライブなのだから、出演者と観客のテンションが一致して、
初めて良いコンサートになる。
それを、生駒は学ぶべきだ。
そして、生駒はできるはずだ。
芸能界を生きるための、良質のアンテナは持っているし、
それを表現する感覚も度胸も持っている。
あとは、どう修正するかだ。
お願いだ、誰か生駒に言ってあげてくれ!!!(笑)
以上です。
<あとがき>
さて、次回の記事ですが、
「乃木坂らしさの『コタエ』」
というテーマで書くつもりです。
あくまでも「つもり」なので書かなかったらごめんなさい(笑)
ちなみに、
これを書くきっかけになったのは、
コンサート冒頭の桜井の言葉と、
花火のタイミングです(笑)
ではでは。。。。
皆様、お待たせしました。
って、待っている人なんていないか(笑)
とりあえず、遅くなってすみませんでした。
神宮から約1ヶ月。
やっと第二部です(笑)
今回のテーマは、「生駒里奈という『存在』」です。
当初、これを第一部として書くつもりだったんですが、
色々バランスを考えて第二部にしました。
ちなみに、前回の記事の掘未央奈と同じように、
僕は生駒里奈推しではありません。
あ、
今回も、映画「悲しみの忘れ方」のネタバレがあります。
ご注意ください(笑)
<本文>
まず、大前提として、一応言っておきます。
これは、乃木坂46「真夏の全国ツアー2015ファイナル@神宮球場」の感想です。
それを踏まえてお読みください。
で、
神宮を見に行った経緯などを書こうと思ったのですが、
前の記事で書いたので、省略します。
あと、
ここから先は、キモヲタの想像です。
いや、妄想かもしれません(笑)
注意して、お読みください。
まずは、この記事を書く前に、
現時点で僕が思っている、生駒の印象を箇条書きにしておきます。
「元センター」
「兼任」
「凛とした表情が綺麗」
「しゃべると少し変」
「漫画ヲタ」
「運動音痴」
「ダンスは上手い」
「秋田出身」
「12枚目センター」
といった感じです。
これが、記事を書き終わった時、どう変わるのか?
それが今回の裏テーマでもあります。
さて、
推しでもない生駒里奈について、
なぜ、記事を書こうと思ったのか?
きっかけは、この表情です。
ツアーファイナル。
2015.8.31神宮球場。
「悲しみの忘れ方」を歌い終えた生駒の表情です。
僕はこの表情が引っかかりました。
気になりました。
コンサートのラスト曲(アンコール前という意味)
オーケストラバージョンで、
花火まで打ち上げて演出した曲の最後(笑)
(ちなみに、コンサート全体の感想は、
次の記事、第三部「乃木坂らしさの『コタエ』」で書くつもりです)
ツアーが終わったというだけではない。
なんとも言えない、
生駒にしては珍しいというか、
言葉にするのは難しい「何か」を感じました。
そして、その「何か」を知りたくて、
次の日、
この曲が主題歌になっている、
映画「悲しみの忘れ方」を観に行きました。
そして、やっとこの表情の意味が分かりました。
この映画は、
「生駒・生田・白石・西野・橋本」
の5人をメインにしたドキュメンタリー映画で、
その中でも、生駒がメインとして扱われています。
つまり生駒は、この映画の主役。
僕は以前の記事で、
「なんで12枚目のセンターは生駒なんだろう?」
「太陽ノック」というシングル曲は、生駒には合わない。
生駒が似合う曲は、「制服のマネキン」のようなテイストで、
彼女の「凛とした表情」が活かされる楽曲であるべきだ。
そんなことを書きました。
まだ、この映画を見る前で、
この主題歌が発表される前です。
その後、「悲しみの忘れ方」という曲が映画の主題歌だと発表され、
さらに、映画の内容が発表されて、
やっと、12枚目のシングルのセンターが生駒になった意味が分かりました。
でも、今思えば、
分かったつもりになっていただけでした・・・。
僕は、
映画を観て、
やっと、12枚目のセンターが生駒である、
本当の意味を知りました。
この映画は、
乃木坂46のオーディションから撮影され続けた映像が使わてれいます。
なぜ彼女たちはオーディションを受けたのか?
オーディションの最中はどんな気持ちだったのか?
受かった時、どんな気持ちだったのか?
結成した時は、
初めての収録は、
初めてのレコーディングは、
そして現在は・・・・。
インタビューも交えて、メンバーの心の内が描かれていきます。
その中でも、結成当初から「センター」に立たされた生駒里奈。
彼女が背負った宿命は、他の誰よりも大きなものでした。
AKBのライバルグループとして、大々的に宣伝され、勝手に比較される日々。
昨日までは普通の女の子だった少女たち。
否応なく伸し掛かるプレッシャー。
センターの生駒は、その矢面に立たされました。
アイドルという「偶像」の中でも、
更に「特別な偶像」である、センターという存在・・・。
そして、「16人のプリンシパル」
その舞台裏で起きた事件。
この映画の見所でもある、
「生駒と松村の意見衝突」
でも、
正直、このシーンは想像の範囲内。
他のメンバーのシーンも、想像の範囲内でした。
そんな中、
僕が持っていた生駒のイメージを変えるシーンがありました。
それが、
「生駒がメンバーに対して、意見を言うシーン」
でした。
何かのコンサート(?)のリハーサル終了後、
控室でマネージャーからの報告が終わったあと、
生駒がメンバーに向けてこんな内容の言葉を言います。
「フリを間違えている人がいるからちゃんと覚えよう」
「立ち位置を間違えている人がいるから気をつけよう」
まるでキャプテンのように、指示を出す生駒の姿。
正直、ビックリしました。
生駒って、グループの中でこんな立ち位置だったの????
実は、この映画の中で、
生駒が指示を出すシーンが数回ありました。
それも、兼任をする前と後。
何が言いたいかというと、
「兼任後、AKBで学んだから、
乃木坂で意見を言うようになったのではなく、
結成当初から、生駒はそういう存在だったんだ」
というのが驚きでした。
ビックリです。
センターに立っているから、
収録などの表舞台では、メインで喋るけど、
まさか、裏やライブまで仕切っている存在だとは思っていませんでした。
本当にビックリです。
同時に、
生駒は名実共に、
「乃木坂46を引っ張ってきた存在」
なんだと、思いました。
そして、それが生駒の魅力なんだと思いました。
本当はセンターなんてやりたくなかったけど、
なってしまったからには、全てを受け入れ、
やるからには良い物にしたい。
それが、あの喧嘩のシーンであり、
兼任を選択した理由でもある。
この映画を観れば観るほど、
生駒が乃木坂に与えた影響は、大きかったのだと思い知らされます。
事情があって2回も観たので、更に実感しています(笑)
以前読んだインタビューで、
生駒がこんな内容のことを言っていたのを思い出しました。
外仕事をする中で、
芸能界で生き残るためには、もっと成長しなければ、
もっとスキルを磨かなければと思い知った。
そして、
自分が頑張れば、乃木坂のみんなのチャンスも増える。
自分をきっかけに、次は別のメンバーが呼ばれるような仕事をしよう。
だから自分は頑張るんだ。
これらの言葉の裏には、こういうことがあったんだね・・・。
話は戻って、神宮ファイナル。
ライブ前日。
乃木坂工事中で13枚目の選抜が発表され、生駒は3列目へ。
実は、選抜センターが次のシングルで3列目に下がったのは生駒が初めて。
「ゆかいな仲間たち」に、言いたい。
センターを背負うメンバーを気遣えや!!!
今、お前たちが貰ってる給料は、
この子たちが矢面に立って、傷ついた代償であることに敬意を払え!!!!
「センターが終わったから、はい、さようなら」
なんじゃそりゃ!!!
・・・それでも、
それさえも受け入れるしかないメンバーたち。
生駒も、この時初めて、
「ああ・・・、やっぱり12枚目は、映画のためだけのセンターだったんだな・・・」
と、思ったに違いない。
さらに、
この発表があったのは、ツアーが始まった頃だろう。
次のシングルでは3列目と言われ、
どんな感情で、
どんな思いで、センターに立ち、
ツアーを引っ張り続けてきたのか・・・。
想像しただけで涙が出てくる。
与えられた仕事は全力でやる。
それが生駒の信念だとしても、
あまりにも酷な現実だ。
13枚目は3列目。
福神ですらない・・・。
そんな中始まった全国ツアー。
今回のツアーは、
「12枚目シングル「太陽ノック」と、
映画「悲しみの忘れ方」の主題歌を引っさげて、
生駒をメインにした全国ツアー」
主役は生駒里奈。
観客やファンは、12枚目のセンターとしてステージに立つ自分を見に来ている。
裏の事情なんて知るはずもない。
知られる訳にはいかない・・・。
6都市16公演。
ツアーファイナル、最後の曲。
つまり、「悲しみの忘れ方」が、
生駒が背負ってきた、12枚目の集大成になる曲だ。
これが終われば、
12枚目で与えられた、自分の役目も終わり。
今、すべてが終わる・・・。
もう感情は隠さなくていい。
観客も、次のシングルは3列目で、
福神ではないことを知っている。
すべての感情を出していいんだ。
もう、我慢しなくていいんだ・・・。
これまでの、色んな感情が入り乱れる・・・。
そして、この表情・・・。
もしかしたら、選抜のセンターはこれが最後かもしれない。
次は、アンダーの可能性もある。
3列目とは、そういう位置・・・。
やっと分かった気がする・・・。
この表情の意味・・・・・・。
更に、Wアンコールなんてされたら泣くわな(笑)
生駒、いや、
生駒里奈さん、お疲れ様でした。
12枚目センター。
そして、映画から繋がるコンサートツアー座長の大役。
本当に、本当に、お疲れ様でした。
これからも頑張ってください。
今回のツアーのテーマは「乃木坂らしさとは?」だった。
詳しくは次の記事で掘り下げるけど、
もしも、「乃木坂らしさ」というものがあるなら、
それを構成する要素の中には、
生駒里奈という「存在」がある。
そして、それは、とても大きく、
もはや、乃木坂は、彼女無しでは語れないものなんだと思う。
秋元氏風に言えば、
「生駒里奈とは、乃木坂46の『存在』である」
って、感じかな?
生駒里奈という存在があったからこそ、今の乃木坂は存在し、
生駒里奈という存在があるからこそ、これからも乃木坂は存在し続けるだろう。
なんてね(笑)
さてさて、
最後に一つだけ、ダメ出し的なことを書いておきます。
さっきも書いたように、
生駒はメンバーに対して、意見を言う存在になっているようだ。
これはいいことだと思う。
ただ、
生駒に対して、意見を言えるメンバーがいるのか?
それが疑問でならない。
前にも書いたが、
12枚目シングル太陽ノックは生駒のテイストではない。
これは、「愉快な仲間たち」(運営とも言う)が悪い。
映画の公開が7月にズレたから、
時期的な意味で、仕方なく映画主題歌のセンターに決まっていた生駒を、
12枚目センターにしたのかは分からないけど、
夏曲だからという強引な言い訳で、
生駒のイメージとは相反する楽曲を用意した運営が悪い。
けど、
それを言い訳にして、楽曲に寄せなかった生駒も悪い。
自分の不得意分野だからといって、
ぎこちない笑顔でセンターを演じられても、
見ているこっちが辛いだけ。
生駒もプロなら、
違和感を唱えられる時点でアウト。
生駒が、メンバーにダメ出しするように、
生駒にも意見を言ってくれる人がいるのだろうか?
メンバーでもスタッフでも言ってあげてほしい。
そして、
今、生駒が学ぶべきは、
「自分の表現感情と、見ている人の鑑賞感情のズレの修正」だ。
わかりやすく言うと、
例えば、
生駒が自分では80%の感情で笑っているつもりだとしよう。
でも、見ている人が、
「生駒は40%しか笑ってない」
と感じたら、それは生駒の表現感情がズレているということだ。
生駒の場合、これが目立つ。
特に、コンサートの「煽り」と、
歌の「キメ顔」に関してのズレは、観ていて辛いものがある。
今回の神宮でも、冒頭の「太陽ノック」からの3曲。
生駒の「煽り」は強引だった。
観客のテンションを無視して、
自分だけのテンションで突っ走っていた。
ライブなのだから、出演者と観客のテンションが一致して、
初めて良いコンサートになる。
それを、生駒は学ぶべきだ。
そして、生駒はできるはずだ。
芸能界を生きるための、良質のアンテナは持っているし、
それを表現する感覚も度胸も持っている。
あとは、どう修正するかだ。
お願いだ、誰か生駒に言ってあげてくれ!!!(笑)
以上です。
<あとがき>
さて、次回の記事ですが、
「乃木坂らしさの『コタエ』」
というテーマで書くつもりです。
あくまでも「つもり」なので書かなかったらごめんなさい(笑)
ちなみに、
これを書くきっかけになったのは、
コンサート冒頭の桜井の言葉と、
花火のタイミングです(笑)
ではでは。。。。
「生駒ちゃん、今まで本当にご苦労様。お疲れ様。そして、役目は終わりです、さよなら…」
みたいな雰囲気になってませんか?
う~ん、変だなあ。
自分の読み違い、カン違いかなあ?
もし、意図に反しているようなら、失礼しましたですが。
これからも乃木坂の象徴、生駒ちゃんを応援しています。(私はいわゆる、「単推し」だとか「オタ」ではありません)
コメントありがとうございます。
なるほど。
そんな意図は全く無かったのですが・・・。
今読み返してみると、誤解されても仕方ない部分を見つけたので、修正させていただきました。
多分、「お疲れさまでした」のくだりが、「今までお疲れさまでした」といった意味に読めたんでしょうね。
僕が言いたかったのは、「12枚目センター。そして、映画から繋がるコンサートツアー座長の大役。本当に、本当に、お疲れさまでした」と言う意味で書いたつもりだったんですけどね・・・。
僕の文章力が低かったせいですね・・・。
不快な思いをさせてしまって、すみませんでした。
いずれにしても、僕も、今後も生駒を応援します。
「乃木坂の象徴」とも言える生駒ちゃん。
あの最終公演最後の曲の瞬間の生駒ちゃんの気持ちは
誰もが容易に想像つくと思います。
先日、ある雑誌が丸々乃木坂特集を組みましたが、
表紙に生駒ちゃんがいないこと、たぶん一般の人でも気づくかも。
それくらい認知度は抜群ですから、「捲土重来」して欲しいです。
ちなみに、「誰か言ってくれる人がいない」のでなく
逆に「聞いていない」怖さを感じます。
生駒ちゃんの自分の信念を貫く強さが、怖さも感じます。
なるほど(笑)
ホレボレしますわ。
コメントありがとうございます。
勇者ですか!
なるほど(笑)