外患誘致の詔

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殆ど自己満足

フジテレビドラマスペシャル「はだしのゲン 後編」

2007-08-12 00:00:09 | 社会・政治・法律とか

失敗した、前編を見ておくべきだった。

「はだしのゲン」は、原作とアニメを幼少期に見たことがあるが、原作は余り覚えていない。アニメはよく覚えている。
今回のドラマの「はだしのゲン」だが、フィクションでありつつ広島の原爆の悲惨さを訴える作品としてはとても感動するものだった。

後編はちょうど原爆が落とされた後、ゲンの父と姉、弟が崩れた家に挟まれ、迫り来る炎の中、焼け死んでいく。
焼け死んだ家族の頭蓋骨を拾い集め、原爆の被害を逃れた母の友人の家に世話になるも、被災した中で生まれた子供、友子は栄養失調で命を落とす。
友子を医者に診てもらい、栄養のあるものを食べさせるべく、ゲンとゲンの弟の生き写しともいえる赤の他人だった竜太と一緒に金持ちの酒蔵で被災した絵描きを目指していたその家の次男の包帯の交換などの面倒を見る。
はじめは次男はゲン、竜太に傲慢な態度を取るも、ゲンが心の底からその次男を叱咤激励したことで目を覚まして不自由な身体でも絵を描くようになる。

「はだしのゲン」をはじめ、毎年8月のこの時期になると広島、長崎の原爆被害、終戦をきっかけに色んなドラマが放送されるが、俺はこういった番組を見るのが好きだ。
好きだというと語弊があり、不謹慎だが、すでに俺の両親の世代ですら戦争の記憶は無い。俺の祖母が生前、戦争の悲惨さを語ってくれたことを鮮明に記憶している。
俺の祖母はかつて兵庫で看護師をしていた。
そして野戦病院で傷ついた兵士の手当をしたことがあった。
そんな過去もあって、祖母は気丈にして決して弱音を吐くことのない強く優しい人であった。

命かながら、アメリカ軍による機銃掃射と投下される焼夷弾の中を祖母は、俺の親父とその兄弟、つまり俺の叔父・叔母を連れて逃げて疎開したのだ。
俺は、興味本位ではなく(あくまで自称だが)、かつて日本が戦争一色に染まり、国上層部により国民の士気を高めんと、新聞やラジオで硫黄島や沖縄戦の苦戦を「圧倒的な優位」と虚偽を伝えていた。
事案維持法の下、戦争を卑下する発言をする者は無差別に逮捕された。

故に、国民は表現の自由を失い、心にない愛国心を植え付けられ、やがてそれは具現化してしまう。
赤紙が来て、怪我を理由に徴兵に応じない者は臆病者、国賊、非国民と世間から嘲られた。
だが、果たして自分が昭和始めに生まれていたらどうしていたのだろう?今の思想を持ったままであれば、赤紙が来て召集令が出ようとも非国民と罵られようと、俺は逃げて戦争に行かなかっただろう。

だが、当時の国民は国家によって歪曲した神風精神を吹き込まれていた。
国家神道の強要、天皇の神格化など、国家をあげた所謂洗脳だ。ひょっとすれば、その当時おれが徴兵される年齢であれば志願するような思想を抱いていたかも知れない。
戦争は何を国民に強要したか?
電車が走る中、明治神宮が近づいてくると、乗客は一斉に明治神宮に深く礼をする。率先して行う者もいれば、その環境でそう為さざるを得ずにやる者もいたのだろう。

当時、大袈裟なスローガンを掲げ、国民の士気をあげようとしていた。
「進め一億、火の玉だ」、「一億玉砕」など。もちろん、当時の日本人の人口は一億人もいない。
また、今も語り継がれる多くの軍歌、これは国家にとって都合の良いものだっただろう。
歌とは、人の心に響き、懐かしさを与えると思う。
軍歌を今でも好む人は多くいる。何せ、すべての軍歌が悪いわけではないからだ。

例えば、「月月火水木金金」、スコットランド民謡で卒業式で歌われた「仰げば尊し」、パチンコ屋で昔流れていた「軍艦行進曲」、「爆弾三勇士」などなど、今も尚歌われているものもある。
しかし、戦中はこうした歌は国家にとって好都合だった。

赤紙が届き、召集され、特別攻撃隊、所謂「神風特攻隊」への志願、これは任意性だったが、多くの青年は特攻隊への志願書に「志願」に丸印をした上で、「心から望む」旨の添え書きまでしていたくらいだ。
戦争で死ぬことは名誉とされたからだ。
しかし、敗戦して今となっては特攻隊や戦中に殉死した人たちは忘れ去られ、名誉もなにもあったものではない。
遺族には手紙一通本人の志望が伝えられるだけ、それでも運がよいほうで、行方不明になったりしていた。幸運にも本人の遺骨が届くことなどは稀だったくらいだ。

かつて、第二次世界大戦は大東亜戦争と呼ばれていた。
今も尚これを決め手とするかは人によって意見が分かれるものの、真珠湾への奇襲攻撃が戦争の引き金になったとする考えがあるようだ。
奇襲攻撃が行われ、執拗な機銃掃射などを日本軍が行ったのは紛れもない事実だ。

いっぽう、この無駄な戦争を早期に終わらせるという口実の元、広島・長崎に原爆を投下したアメリカのやり方もなお許されることではない。
戦争は「どっちが悪い」とか語ることはナンセンスなんだろう。
近年のイラク戦争にしてもそうだろう。アメリカによる徹底したイラク国内に大量の核兵器があるという理由から徹底して捜索したも、今も尚見つかったという情報はない。
そして発生した9・11テロ、イラク戦争は世界から見てアメリカが9・11テロへの報復戦争を行ったと見ている。

もちろん、当時のイラクのフセインは非人道的な事を行い、イラクを支配していたが、治安はフセイン統治下よりも遙かに悪くなってしまった。
一つに、アメリカは9・11のテロへの報復を行う相手を大きく誤ったこと。
もう一つはそもそも、戦争は報復を呼ぶということ。戦争は何も生まないと言うことなのだ。

防衛と平和維持とのバランスを取ることは難しい。
はだしのゲンを見ると、平和であることを強く望む。だが、日本は戦後62年で大きく意識が変わっていき、平和ぼけしてしまった。
いざ有事になったとしたら、どのようなパニックに陥るんだろうか?
戦火の中、物取りをするものもいるだろうし、想像が付かない。
なにせ、国民の自由を保障している憲法があるのだから。

 



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