Tokyo Life~音楽とメンタル。時々うさぎ。

気ままにゆるゆると寄り道ばかりのダラダラ日記。

続きを書く前に。

2016-05-11 14:01:49 | メンタルのお話し。
何とか少しメンタルが浮上して気を取り直そうと思ったら・・・。


・・・やっぱり来た・・・

ってか毎回、実家は絶妙なタイミングで私を崖っ淵から突き落とす。


唯一、私が東京にいる事を知っている妹からダミースマホにLINEが来てた。


「札幌に近いうちに帰れる?!」


・・・連チャン電話に私が一向に応じないからとうとう妹を使ってきたのか?!

それとも妹が実家から私の行方を問い詰められてとうとう根負けして白状したのか?!


・・・どっちにしてもこれだけの期間、電話に出なかったのだから上京したのがバレようがどうだろうが待っているのは「強制送還」だ。


2月に確定申告のために帰札した時、伯母が5月に入院する予定で結果次第では施設行きが確定すると聞いた。

入院とは形だけで施設行きは決定事項でそれまでに何としても私を捕まえたいはずだ。


・・・もう実家の奴隷にはならないと決めた。

・・・2度と会わないとも決めた。


2月に妹とも会ったが・・・一体、また実家に何を吹き込まれたのか妹の空気が「ウチをバラバラにし世間知らずで勝手にメンタル壊したどうしようもない姉」と取っているのをありありと感じた。

そして勝手に伯父の養女になって親を捨てた姉に何を言っても無駄という・・・何というか「母の一族のお家芸」である思いっきり上から目線の尊大な態度丸出しを見せつけられてこれが私の最終的な「もう2度と会わない」という決断に至ったのだ。


・・・あの時、ツレに電話して私は間違いなくこう言った・・・


「東京に帰りたい・・・。
今すぐにでも帰りたい。
札幌が嫌いなんじゃない。
実家がいる札幌が嫌いなんだってよく分かった。」


帰るのは生まれ育った札幌ではなく東京の隅っこのこの街だ。


・・・分かってる・・・


妹にこう言ったんでしょ?!

「あんな『どうしょうもなくても』たった1人の姉なんだから」


もうお涙頂戴満載だ。


これもウチの実家の「お家芸」だ。


もううんざりだ。


偽りの「家族ごっこ」を演じていながらこれが理想の家族と大真面目に(!)思っていてそれぞれが


「こんな私ってサイコー!!凄いでしょう?!だから褒めて!!」
「こんなに家族のために犠牲になっている私って一番かわいそう」


という自己満足のエサと犠牲になるなんてもうたくさんだ!!





・・・何故、こうなのかの真実を知った今・・・。



もう会わない もう呼ばない
あなたと他人になるわ・・・

(中島みゆき「愛情物語」から引用)




私の追体験。

2016-05-09 09:49:29 | メンタルのお話し。
思いっきり3日も更新が開いてしまいました。

実はカウンセリングで実家の事で新たに分かった真実に絶望して3年前の悪夢再びで寝たきりになっていました。

昨日の夜まで何とかスマホは使う事は出来たのですがフラッシュバックとそれに伴う過呼吸がひどくてとうとうスマホさえ手に取る事が出来ないほど絶望しました。

・・・いや・・・上京した時あたりから私の中で疑惑としてもってはいた事ではありましたし札幌の精神科の先生もそこまでたどり着けなかったけど遅かれ早かれ分かった事かもしれないし前のブログから読んでいる方々かた観たら今更感満載なのかもしれない。


ですがカウンセラーの先生と話していて私の中で思っていた疑惑が確信になりカウンセラーの先生にも言われてほぼ確定でした。


もう横になっているだけで何かしたくても体が動かない。


・・・今は考えるのをやめよう・・・


札幌にいたら間違いなく緊急診察という名の安定剤じか打ちの刑でした。


服用出来る薬を出来るだけ入れて何とか動けるところまでになりブログを更新しています。



カウンセリングでは・・・前回はほぼ挨拶程度で終わってしまったので実質この日が1回目でした。

この日は主に私の実家の家族構成、私の生育状況と大体、高校卒業時までの聞き取りがメインでした。


これについてはもう札幌の精神科でも何度となく話してきましたし3年前の悪夢のMAXを経験しているので普通に淡々と話しました。


私を医師にさせるため母がスパルタ教育だった事。

私の生活は分単位で細かくスケジュールが組まれていて予定を1分でも過ぎたら壮絶な虐待が待っていた事。

虐待の細かい内容(先生は話したくなければ話さなくてもいいと言ってくれたのですが私はありのまま事実をお話ししました)

小学校入学時から中学のメンタル壊すまでのスケジュールがどうだったのかを訊かれまして



私のスケジュール(小学1年から中学生の頃)

AM4:30 起床→数学の計算100題、漢字をふくむ国語の問題集100題(小学生の頃はそろばんに漢字の書き取り、計算問題100題ずつでした)
AM7:30 ご飯
AM8:00 登校
PM3:40 帰宅(←学校が3時半に終わるため10分で帰宅しないと死にメに遭うのでダッシュでした)
PM4:00 塾  (小学校時代は一日おきにそろばんに残り2日は英会話の日でした。)
PM7:30 帰宅 ご飯(試験前や夏期、冬期講習期間はこの限りではない)
PM8:00 勉強
PM10:00 就寝(但し、試験前や塾の模擬試験前、夏期冬期講習期間はこれより遅くなる場合アリ)

↑これを週6日毎日です。
ちなみに家から塾などの往復時間は母があらかじめ時間を測っていて母が○分で帰るようにと言ってその通りにしないと勉強時間が暴力タイムに代わるので走ってた記憶しかないですね。

日曜日は起床時間は同じで午前中をまるまる復習と予習で昼まで昼ごはん後、午後4時半まで自由時間。
(自由時間と言っても友達もいないので・・・ってか作る時間も余裕も与えてはくれませんから図書館で本を読む事しかできませんでした)
帰宅後、午後10時まで勉強。


ざっくりとこんな感じですがこれを細かく説明するととにかく予定時刻を1分でも過ぎれば無傷ではいられないし母はテストの点数が80点を下回ると母の「お仕置きタイム」という壮絶な虐待(耳たぶ切られたり頭を壁に何度も打ちつけられたり・・・よく死ななかったわ)が待っていたのでとにかく「命をかけて成績をあげていた」というのは決しておおげさではありません。

カウンセラーの先生が
「そこまで壮絶な虐待がありながら近所もふくめて通報してしかるべき措置を回りが何故とらなかったのか?!」
という質問に対して・・・。


母の凶暴性って普通じゃなかったんですよ。


もう極妻もびっくりな暴言吐きながら極道の方々顔負けな暴力です。


あんなのを近所の方々が目撃してしまったら通報以前に自分の子供が被害に遭う事を考えずにはいられなかったと思います。

そのくらい母は近所では恐怖の対象で有名でした。

それでいてアルコール依存症で若くして相続した財産を遣い尽くしたのですから手に負えません。


これ・・・明らかに長い話しになるので一旦、アップして続きを少しづつ書いていこうと思います。


あとコメントの返信が遅れています。


返信は必ず入れますのでお待ち下さい。