ぷちこの『おもいつ記』

ぼちぼち更新します

ブログ変わります

2015-02-23 | 日常
引っ越ししましたという言い回しがしっくりこないので
ブログというか文章を書くところを変えました。
noteです。こっちのほうが気楽にかけそうです。

ぷっちゃんのノート

今Macで確認しようとしたのですが私のOSが古いせいかうまくみれません。
主に読書のことなどを書いてます。
よろしければ読みにきてください。

表明

2014-10-28 | 日常
今「心のプラカードが見えたら~私があなたのことを好きなことがわかるのに~」というような歌を人気アイドルが歌っていると思う。日本音楽著作権協会にも怒られそうにないぐらいのうろ覚えである。
私はこの歌詞に多いに頷く。
「この人が好きです、嫌いです」とわかりたいということではもちろんない。

だいたいの人は自分が持ってる知識、情報、考え方、その物事がどれぐらい好きなのかなど聞いて欲しい話したいという欲求を持っていると思う。私も話したいしそれについて話し合える相手がいるのは幸せだと思う。
自分が知ってること以上のことを知っておりまた研究したり体験したりしている人がいればもう話を聞きたくて聞きたくてたまらない。
今まで生きてきて私のつたない話や考えを「ほぉー!」と聞いてくれ「こんな話知ってる?」と教えてくれ場合によってはみんなで考察したりもしたもんだ。考察といってもいかに広げ妄想しドカーンとサゲに持っていくかに終始していた気もする。

ここまで書いてなんだがこれは「意識の高いワタクシ」がいかに「意識の高い人々」に出会ってきたかということではなく趣味レベルでのお話である。

幸か不幸かそんな人達に囲まれて生きてきたものだから誰だってそういう考えだと思うじゃないですか。
なのにこの歳になってそうではない人達がいることに気づいたんですよ。

ある人が○○の話をしはじめる。こっちはせっかく投げかけてくれた話題だから拾う、広げる。
相手、「(むすぅ~怒)」私、「(えっ?はっ?)」
この場面になんど出くわしたことか。
その人は○○の知識においては私が1番!最新情報も私だけが知ってる!だから「よく知ってるね。すご~い!」と褒めてほしいだけなのですよ。

いやもうそれ先に言っといてくれ…。拾って投げたらファーストでアウトにしちゃったじゃないかよ。
ごめんごめん、知ってたら全力で投げずに塁にだしてあげたのにほんとごめん。
ボテボテのゴロだけど私はホームまでランしたいの、よろしくって先に表明しといてください。

そろそろARで見えるようにしてくれません?



カケナイ

2014-10-27 | 日常
昨日、カイテハステたいと書いたのに書こうとするとどうしても正確な資料を探したり裏を取ろうとしたりして書きたいことをカカズにステテいる。

文章を書きたい

2014-10-26 | 日常
一定の周期で文章を書きたいと思うことがある。
普段ぼんやり空想していること、街角で出会った小さな事件、発見。
そう遠くない昔、ブログが流行った。
みんな考えてること言いたいことしょうもないけど共有したいことをこぞって書いていた。
もちろん書くという行動に移してない人も多い。
時代はあれよあれよと進んでいきより手軽に投稿できるツイッターやフェイスブックに移行していった人も多い。私もそのうちの一人だ。
ツイッターやフェイスブックのあれやこれやを一通り見た私はもう一度ブログを書こうと思った。
未だにブログではもったいないような立派なレポートをブログで書く人、アフェリエイトでお小遣いぐらいの内容を書いてる人はすごいと思う。
しかし私が目指すのはそこではない。
住正徳氏の「カイテハステル」は素晴らしいコンテンツだと思う。
私もカイテハステル程度のことをここに書いていきたい。
ただ久しぶりにブログを書こうとしたら大変な思いをした。
このブログを「手軽に簡単に」投稿できるアプリがあるようなのでダウンロードしログインしようとしたらそれからの手続きが山のようにあるのである。
したがって昔iPhoneからメールで投稿したものを探し出しそこからログインしインターネットのブラウザを開き狭い画面を見ながらこの文章を打ち込んでいる次第である。

6ヶ月間

2014-07-24 | 日常
1月下旬に骨折をしそのまま入院、5日後にはこの創外固定をつける手術をしました。
創外固定は約4ヶ月弱つけていました。
2ヶ月ほどは左脚に全く過重をしてはならず褥瘡にも悩まされました。
手術は手の専門のお医者さんだったのですが巡り合わせで私の主治医になってくださいました。
大学病院に戻ってしまいましたが3月までいた研修医の先生も毎日の様に様子を見に来てくれました。
主治医も研修医先生も休日がないのではないかというぐらい毎日顔を見せてくれました。
整形外科の看護師さんも気が回ってとても優しく寝たきりの私の世話を充分にしてくださり少しでも快適に生活を送れるようにたくさんの工夫をしてくれました。
主治医の照れ隠しと思われるそっけない態度、近頃の若者らしい研修医先生、なにかと気にかけて時にはバカ話しにもつきあってくれる看護師さん。
手術の翌日から始まったリハビリ。担当の先生はスパルタで有名な先生で落ち込むこともたくさんありました。
それをぽろっと研修医先生にこぼしたときに先生は「リハビリで落ち込まないでください。みんな調子よくなっていてもまた悪くなります。落ち込まないでください。」とふだんは若者らしくふわっと話をするのにこの時ばかりはなんと力づよく話してくれたことか。
この先生にどれだけ勇気づけられいつもえがおで飄々と大学病院で勤務されてることを願ってやみません。
入院中は6ヶ月という長いじかんを過ごさせてもらい、先生や看護師さんには常に気を使ってもらい、怪我はしたものの大変居心地がよく前向きになれたものでした。

しかし退院してからは事態がちがいます。
これまでに精一杯150%で生活してきたものを求められます。
自分が150%、200%やってきたと自負していても周りにはそうは見えません。
ある人に数値では言われてないですがお前は5%もがんばってない、今までもがんばっていなかったと言われました。
怪我をするまえは私は大量の食事をとってもガリガリに痩せていました。
アスリートがよく言うように食べるのが辛い、いくらカロリーを摂取しても消費される一方とはこのことかと身を持ってしりました。
健康に気を使い給料のほとんどを病院代につぎ込んで必要なカロリー分も買いたしやっとの状態でした。
私は周りに認められるためだけに前のような生活をしようとはおもいません。
わたしが150%やろうか200%やろうがそのひとには50%ほどまたはそれ以下に見られることでしょう。
これを読んだ人はそのなの言い訳だ、私はもっと頑張っていると感想を持つ人がたくさんいるでしょう。
その人からみえる私のだった50は私にとっては100なのです。
上限いっぱいなのです。
上限さえも超えろという人もいるでしょう。上限を超えて働いて心まで壊してしまった自分がここにいます。あんなことはもう繰り返したくない。
周りの人が求めるあと50や100は知識や経験などで埋めてきました。
惜しむらくはその知識や経験を活かせるものにするのにまた時間がかかってしまう私の不器用さです。