太陽が見てるから<初代>

プロレス話を中心に日々思う事を書き留めます。
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垣原賢人という"勿忘草"(3)

2006-05-21 23:09:36 | プロレス
初めて垣原の試合を生で見たのは、デビュー3年目に入った1992年9月21日、UWFインター大阪大会。
この年6月には先輩の安生を降すなど躍進を感じさせた垣原。
この大阪ではもうひとりの先輩・中野との一戦だった。この一戦、攻防がどうだったかは忘却の彼方ですが、インパクトは残っています。
垣原の掌抵打ち連打!
中野の顔面から大噴血!!!
自分はリングサイド何列目で見てたのかな…どこが傷口なんか、というよりとにかく血塗れになった中野の真っ赤な顔が一気に脳裏に焼きついたのです。
確か逆片エビで中野が逆転勝ちしたと思います。でもこの試合で、垣原といえば掌抵、のイメージが鮮烈にできたはず。

翌年1993年4月10日のUインター大阪大会も観戦した俺です。
この日、垣原の相手は佐野直喜(現・佐野巧真)。
後にUインター所属選手になった佐野だが、この時点では前年に所属団体(SWS)が崩壊→Uインターに挑戦を表明して参戦している…。
言うなれば"外敵"。垣原は迎撃する立場だった訳でした。
早速、この試合が収録されてる中古ビデオ「高田延彦vs山崎一夫・熱闘大阪」の封を切って、佐野vs垣原を見てみます!

出だしから垣原が掌抵ラッシュで佐野をダウンさせる。その後もブリッジ効かせた投げを連発して佐野のポイント数を減らしていく。
絞め技もスタンディングで前ネックロックを極める垣原。
佐野の胴絞め裸絞めもレッグロックで切り返すなどキャリア上位の佐野に技術で負けていない垣原!
佐野もスタンディングのアキレス腱固めからのSTFで垣原をエスケープさせるなど反撃、そして粘る。
粘りを絶つべく?ドロップキックを繰り出した垣原だが、かわされて投げ捨てジャーマンを食らう。
逆十字を仕掛ける佐野。両腕をクラッチして防ぐ垣原。佐野は違う腕を"裏十字"の様にきめる!クラッチ解けた垣原の右腕を逆十字に極めて見事な勝利!
垣原は「クッソ~!」と悔しさを叫ぶ。そして、
「もう一回お願いします!
もう一回お願いします!」
と、観客そして佐野にアピール。
そして闘った2人は握手。垣原は両手で佐野の手を握り、頭を下げた。

激しい闘志、そして敗北の悔しさから相手を認める、そして新たな目標にする…。
この爽やかさが、垣原の魅力、ひいてはUWFの魅力といえるのではないだろうか!?
この佐野戦を会場で見た時、いつか垣原がUWFのトップに…そんなHOPEを感じずにはいられなかったんです!
この時のヒーローだった高田延彦の様に…。

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2 コメント

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思い出します… (たかが)
2006-05-23 05:39:11
当時は、垣原がUを背負ってたって行くものと思っていました。プロレスの勢力分布図も違っていたかもしれません。新日の一選手としてリングを去るのは残念ですね…

垣原が総合を目指したのかどうかは定かではないんですが、どちらかと言うと、山崎一夫タイプだったんでしょうか。飽く迄、プロレスの枠内で物事を考えていたというか…
>たかが様 (ばーにんぐK)
2006-05-23 22:05:41
今日も垣原記事のために中古ビデオを見た俺です。

確かに総合よりもプロレスの枠という感じですね。

ただ、プロレスの中でも、UWFの象徴としての未来を感じていたのです。新日本で終わってしまうのは、あの時から見ていた者としては意外というしかないです。

ただ、キングダム時代に高山が全日本にあがってるのを見て、垣原が全日本で闘うのを見たい!という期待もありました。そしてそれは現実に…。

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