先週1週間の大阪スポーツで「俺の母べえ伝説」という、昭和の時代の母の強さを各界の母思いの方々が語る、という企画をやっていました。
プロレス界からは、我らが大谷晋二郎(ゼロワンMAX)が母を語りました。
「講演会で必ず言う言葉がある。『親を大事にしろ』。
これは僕自身が母親に対して『何でもっと優しくしてやれなかったのか』と頭を下げて生きているからだ。」
呼吸困難になりやすかった大谷少年は夜中にも発作が起きた時のため寝室にブザーがつき、母の枕元につながっていた。膝枕をされるとおさまったという。
レスリングを始めるまで病で苦しんでいた大谷がプロレスラーになることに大反対。親子の縁を切ると言ったが、新日本プロレス入団の際、親のハンコが必要になると、ためらう父に「押しなさい」と言い切った。
「"事件"が起こったのはそれから数年後。
バカ正直な母ちゃんは人にだまされて、多額の借金をした。
それでも迷惑をかけまいと、借りている金額を言わないんだ。
『何で正直に言ってくれないんだ?』と問い詰めても黙っている。
僕も頭に血が上り『いいかげんにしろ!疫病神!』と怒鳴ってしまった。
結果的にこれが最後の言葉になってしまった…。」
「2003年6月14日の朝。オヤジに電話で『母さんが事故で死んだ』と伝えられた。
母ちゃんが乗っていた軽自動車が大型トラックに追突されたと。」
※当時の週刊ゴングを見て記載します。
この日の福島市国体記念体育館大会。
大谷は星川尚弘とのシングル戦で16分35秒、スパイラル・ボムからのエビ固めで勝利。
顔面ウオッシュにいく場面の写真には「リング上では普段通り、会場を大いに沸かせていた大谷。ファンを第一に考えている」の説明が…。
試合後のコメント時、堪えきれなかった大谷は涙を流して語った。写真を見たら、真っ赤な目から涙を…。
「リング上にプライベートは持ち込まねえよ、プロレスラーはよ。
プロレスこんな素敵なもんだって、素晴らしいもんだって誰が教えるんだ、俺らじゃねえのか!
好きで好きでしょうがねえ俺がプロレスの面白さを、教えてやるからよ。
記念すべきプロレスの教科書100ページ、しっかり頭に叩き込んどけ。
レスラーが楽しまなくて誰がプロレス好きになるっていうんだ。そうだろ!
いいか、こういう試合以外のこと言うのは失礼だけど、ムチャクチャ辛えけど、辛くなんかねえよ、ちっとも!チクショー。
おう、やりがい出てきた。やりがいが出てきたぞ。
しっかりと俺の大事な人、お天道様から見守っとるんだぞ。
俺はまだまだプロレス界を引っ掻き回す。頂点に立ってやるから。
プロレスっていいな。プロレスっていいな、凄いな。いいな。プロレスっていいな。そんな大好きなプロレスをもっとでかくしたいと思います。
何かありますか。暗いなあ、みんな。よろしくお願いします。ありがとうございました!」
翌日、大谷はひつぎの前で1時間ぐらい謝り続けたという。
「もともと僕は試練を与えられないといけない"悪い男"だと思っている。
それでもどんな試練だって乗り越えようと、前向きに物事が考えられる。
それは心の奥にいつも母ちゃんのことがあるからーだと思う。」
ゴングのグラビアで目を充血させた大谷の写真を見て、親を亡くすことの大きさがこれ以上ない悲しみで襲ってくるんだと感じました。
"親孝行したい時に親はなし"というように、本当に伝えたいこと、ありったけの感謝が後回しになってしまう愚かさは、大谷に限らず誰にでもあるんだと思う。
親への感謝を持って人生を進む。それが前向きに生きる力になるんだと思う、大谷が最後語ったように。
ひとりの母の子のひとりとして。誇れる人間を目指して生きていこう、と思えた「俺の母べえ伝説」でした。
プロレス界からは、我らが大谷晋二郎(ゼロワンMAX)が母を語りました。
「講演会で必ず言う言葉がある。『親を大事にしろ』。
これは僕自身が母親に対して『何でもっと優しくしてやれなかったのか』と頭を下げて生きているからだ。」
呼吸困難になりやすかった大谷少年は夜中にも発作が起きた時のため寝室にブザーがつき、母の枕元につながっていた。膝枕をされるとおさまったという。
レスリングを始めるまで病で苦しんでいた大谷がプロレスラーになることに大反対。親子の縁を切ると言ったが、新日本プロレス入団の際、親のハンコが必要になると、ためらう父に「押しなさい」と言い切った。
「"事件"が起こったのはそれから数年後。
バカ正直な母ちゃんは人にだまされて、多額の借金をした。
それでも迷惑をかけまいと、借りている金額を言わないんだ。
『何で正直に言ってくれないんだ?』と問い詰めても黙っている。
僕も頭に血が上り『いいかげんにしろ!疫病神!』と怒鳴ってしまった。
結果的にこれが最後の言葉になってしまった…。」
「2003年6月14日の朝。オヤジに電話で『母さんが事故で死んだ』と伝えられた。
母ちゃんが乗っていた軽自動車が大型トラックに追突されたと。」
※当時の週刊ゴングを見て記載します。
この日の福島市国体記念体育館大会。
大谷は星川尚弘とのシングル戦で16分35秒、スパイラル・ボムからのエビ固めで勝利。
顔面ウオッシュにいく場面の写真には「リング上では普段通り、会場を大いに沸かせていた大谷。ファンを第一に考えている」の説明が…。
試合後のコメント時、堪えきれなかった大谷は涙を流して語った。写真を見たら、真っ赤な目から涙を…。
「リング上にプライベートは持ち込まねえよ、プロレスラーはよ。
プロレスこんな素敵なもんだって、素晴らしいもんだって誰が教えるんだ、俺らじゃねえのか!
好きで好きでしょうがねえ俺がプロレスの面白さを、教えてやるからよ。
記念すべきプロレスの教科書100ページ、しっかり頭に叩き込んどけ。
レスラーが楽しまなくて誰がプロレス好きになるっていうんだ。そうだろ!
いいか、こういう試合以外のこと言うのは失礼だけど、ムチャクチャ辛えけど、辛くなんかねえよ、ちっとも!チクショー。
おう、やりがい出てきた。やりがいが出てきたぞ。
しっかりと俺の大事な人、お天道様から見守っとるんだぞ。
俺はまだまだプロレス界を引っ掻き回す。頂点に立ってやるから。
プロレスっていいな。プロレスっていいな、凄いな。いいな。プロレスっていいな。そんな大好きなプロレスをもっとでかくしたいと思います。
何かありますか。暗いなあ、みんな。よろしくお願いします。ありがとうございました!」
翌日、大谷はひつぎの前で1時間ぐらい謝り続けたという。
「もともと僕は試練を与えられないといけない"悪い男"だと思っている。
それでもどんな試練だって乗り越えようと、前向きに物事が考えられる。
それは心の奥にいつも母ちゃんのことがあるからーだと思う。」
ゴングのグラビアで目を充血させた大谷の写真を見て、親を亡くすことの大きさがこれ以上ない悲しみで襲ってくるんだと感じました。
"親孝行したい時に親はなし"というように、本当に伝えたいこと、ありったけの感謝が後回しになってしまう愚かさは、大谷に限らず誰にでもあるんだと思う。
親への感謝を持って人生を進む。それが前向きに生きる力になるんだと思う、大谷が最後語ったように。
ひとりの母の子のひとりとして。誇れる人間を目指して生きていこう、と思えた「俺の母べえ伝説」でした。
私は常々プロレスとは“人生の縮図”と考えています。
だから私も大谷選手が大好きです!!
そうですね!プロレスラーが生きる人生は作り物ではなく現実の世界。
喜びも怒りも悲しみも、どんなシチュエーションも、心に抱く感情も、すべての人々が出会うものがプロレスにはあります。だからこそ、"人生の縮図"なんだと思います!
喜怒哀楽豊かにプロレスに熱中している姿を見せる大谷晋二郎。自分も大好きです!
しかし、こういう職業って好きでやってるからで片付けられないこういう曲面は辛いです。
新日本の時代から大谷のプロレスへの情熱には惹かれてました。
そんな大谷も明日(今日か)の大阪では負けたらロボ化だの変な話題に巻き込まれて…こういうのもプロレスが好きだけではやってけない辛さを感じます。違う印象持つ人もいるでしょうが…ちゃんとした試合の話題がほしいです。