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Broach

9.11.  =私の思い出=

2009-09-11 01:38:32 | 雑感
「ヒストリーチャンネル」で 『9.11~アメリカを変えた102分~』というドキュメンタリを見た。 その日その時のNY市民の行動・感情がそのまま伝わってくる感動的な映像の連続だった。
私はNYではなくロサンゼルスにいたが、8年前の記憶がつい先日のことの様に思い出された。

2001年9月11日。 
当時の勤務先の顧客十数名と共に、米国本社が主催するSEカンファレンスに参加する為来ていたロサンゼルス3日目の早朝だった。
何故かその日は6時前に目が覚めTVのスイッチを入れると、見覚えのあるNYの世界貿易センタービルから黒煙が上がっている。 3時間の時差があるのでNYは通勤時間帯の筈だ。 これは何だと思いつつTVを見続けていると、第二の飛行機がもう一棟に激突、激しく燃え上がる高層ビルが、TV画面一杯に映し出される。
これはただ事ではない、ボストンからやってくるスピーカーもかなりいる、今日のカンファレンスは大丈夫か、自分一人の旅ならもう少しベッドにいるところだが、何しろ十数名の顧客が一緒だ。 確認のため、ホテルのカンファレンス会場の事務局に出かけるが、まだ誰もいない。 何しろ朝6時前だ。 部屋に戻り小一時間経って来てみると、事務局では大騒ぎ。 大会議場はミサ会場に早代わりし、今日のアジェンダは全てキャンセル。 明日以降も分からないと言う。 更に、飛行機は全て飛行禁止。 おまけに、まだ数機の飛行機が行方不明になっており、『高いビルには近寄るな』のお達しまで出ている。
こうなると、カンファランスどころではない。 まずは、十数名の顧客の今日の行動をどうするかだ。 午前中はホテルの部屋で待機してもらったが、いつまでも閉じ込めては置けない。 同行の添乗員に近くのショッピングセンター、ディズニーランドへのDirectionを調べて貰い案内する。 ところが、殆どの店はシャッターを降ろし、ディズニーランドも閉園。 真っ青な秋晴れ空の下ではあるが、仕方ない、ホテル周りで時間を潰してもらう事になった。 夜はイチローの対エンジェルス野球観戦のチケット入手済みであったが、これもお流れ。 チケットは次回開催時に使えるとのことだが、次回開催日は分からず、我々には全くの用無し。 顧客にはイチローグッズで我慢して貰う。
4日後には帰国の予定だが、予定通り日本に帰れるのか全く分からない。 

2001年9月12日-14日。 
連日の晴天。 熱心なスピーカーにより幾つかのアジェンダは実施されたので、まずはホッとする。 飛行機のフライト開始時期は、まだ不明。 添乗員は航空会社に問合せるが、所詮、分からない。 何人かの顧客からは、是非帰らねばならない事情を訴えられるが、何ともならない。
13日になると翌日より一部飛行開始の情報が入るが、我々の飛行機が飛べるか否かはよく分からないと言う。 こんな状況だから早めに空港に行き順番を待ったほうがよいと旅行社の話。 
旅行社を信じるより手も無く、翌日は早めにロス空港に到着。 数日間の飛行禁止のため、空港には溢れんばかりの人々。 9月14日搭乗のチケットが最優先であったため、運よく全員搭乗券を確保。 持ち物検査はいつもより厳しく時間も掛かったが、何とか予定通り帰国の途についた。

その後、8年が経過し世の中も私も大いに変わったが、テロの脅威は未だ少しも去っていない。