BULKHEAD magazine

セーリングニュース&コラム【バルクヘッド・マガジン】

アテネ五輪 アテネの海に日の丸が上がった

2004年09月13日 03時37分16秒 | コラム
 この夏、最大のイベントといえばアテネ五輪。日本は過去最高の37個のメダルを獲得し、大いに盛り上がりました。そして、セーリング競技でも、470級男子の関一人・轟賢二郎組が3位銅メダルを獲得しました。これは日本男子で初めてのメダルであり、95年アトランタ470女子の重・木下組の銀メダルに続いて2個目の快挙です。

 ぼくは個人的にセーリング競技を取材に行きました。観覧船や岸壁、また大会会場とは違うヨットハーバーの2階で双眼鏡をのぞきながら観戦し、彼らの活躍にコブシをぎゅっと握りしめてました。

 彼らのレースは、実に観戦者を興奮させる戦い方でした。自ら認めるスタートの失敗も見られましたが、風の振れをうまくつかんで上マークを上位回航。そこから1レグ毎にだんだん順位を上げていくという展開でした。先行逃げ切り型でなく、挽回型の彼ららしいレースだったといえます。

 とくに第2上マークをまわって日の丸スピンがトップで上がった第7レースは、ひとり絶叫していました。このトップを取ったレースはもちろん印象的でしたが、ぼくには第5レースも強烈に覚えています。

 一時は24位まで後退していたにも関わらず、弱いブローを細かく拾って、終わってみれば7位フィニッシュ。最終レグでは8艇を追い抜く走りを見せました。見ている方は、本当にヒヤヒヤものです。本人に後で聞いたら、いたって平然と「あれは、ラッキーでした」の一言で片づけていましたが。

 この両選手は、対照的な性格ともいえます。クレバーな関は、レース中も沈着冷静で感情を表に出さないタイプ。最終レース前日にスウェーデンと同ポイント4位になったときも、メダルを意識せず、(負けるつもりはないけど)平静を装っていました。

 反対に轟はもともとストレートな感情を持った選手です。彼は、学生の頃からオリンピックでメダルを取ると公言し、その目標に向かって一直線に突き進んできました。その2人のギャップがうまく調和されたチームといえるでしょう。

 まずは、心からオメデトウと言いたい。そして、セーリング競技を少しでも世間にアピールしてくれた彼らにアリガトウと言いたい。そんな気持ちです。

(文・平井淳一)