不器用母娘の甲状腺記

甲状腺癌というのは、早期発見できれば、予後がよく知られているようですが、情報が少ない癌なので、情報源になれればと。

すごーくすごーく

2009-11-03 00:19:01 | 日記
時間がたってしまいましたが、
母は生き続けています。(入院中ですが)

まだ生き続けていきます!!!

経過を落ち着いたら、また追加で書いていこうかと思います。

誰もが、「人に話してストレスをためないで」と声かけをしてくださいますが、
母一人子一人の今、
ほしいものは「家族」であり、
物理的な手助け(吸引をしてくれるだとか)なのだということを、
実感しています。

在宅介護生活ができるのかどうか、
試験的に外泊をしてみようと思っています。

急に寒くなってきたので、
みなさん身体を温めてくださいね。

6月19日

2009-06-19 00:52:36 | 日記
今日は私と母親にとっては、
特別な日だったりします。

おとんの命日です。
もううん十年経ったし、
お墓も新幹線→単線?っていえばいいの???→そこからタクシーで40分、
とかなので、
めったにお墓参りも行けないのです。

最近になって、
おとんが生きていたら、
今の私たち家族はどうなっていたんだろう?
おとんは今の私と母親を見て、
何と言うのだろう?なんて考えることが多くなりました。

今日はおとんの好きだったところを、
いっぱい思い出してみたいと思います。

家族を支えてくれるもの

2009-05-26 19:58:25 | 日記
唐突ですが、
私は以前は、福祉関係の仕事をしていました。
主に老人介護の仕事だったのですが、
福祉の世界にいたことで、
現在ケアマネをしている友達がいたり、
障害や病気を持ったときに、
どんな相談窓口に行けば良いのか、
普通の人よりも情報を得やすい環境にいられたと思います。

最初の病院でも、今のP病院でも、
医療相談員をしている方との出会いには恵まれていますし、
本当にお世話になっています。

彼や友達は自分を支えてくれる存在です。
でも家族ではないんです。
母がいても、
自分の不安な気持ちを何もかもを話せない、
毎日泣いていたりしたときも、
相談員さんは、本当に親身になって、
話を聞いてくださって、
私のカウンセラーみたいな役割を担ってくださっていると思っています。
第三者だからこそ話せる、
そういう存在が、患者さんの家族には必要な気がします。

退院

2009-05-26 19:42:58 | 日記
がん発見から1ヶ月弱、
最初の病院でできる治療、経過観察は終え、
母は退院をしました。

まだ具体的な治療は始まらないので、
その中での退院は、家族としては、
何か起こったらどうしようと不安でした。

がんそのものは身体にあるので、
それに効くこれといった薬もなく、
ロキソニンなどの薬を飲み続けなければ、
38度~39度の熱は、すぐ出てしまうのです。

それでも、P病院乳腺外科で、
主治医のB先生に看て頂いてからは、
「特別生活に気をつけることはないよ。旅行も食べ物もOK。」など、
きちんと言葉にして伝えてもらうと、
安心できました。

病院に行くということは、
1回1回が、心配と現状の把握と決断との繰り返しです。

それでも、久しぶりに家に帰る事が出来た母は、
熟睡もできるようになったようで、
解熱剤を飲みながら、
外食をしたり、
時には一緒に海に行ったり、
具体的な治療に向けて、家で準備を進めていくのでした。


病院2件め

2009-05-26 18:34:06 | 日記
入院中の病院へ戻り、
主治医に結果を報告。
もたもたしているのも時間がもったいないので、
結局、交通の便と、
主治医の出身校である大学病院を紹介してもらうことにしました。

P病院も待ち時間は長かったですが、
ここでの主治医の先生は、
素人にも分かりやすい説明をして下さり、
「治療を進めて良いですか?」との確認、
「せっかくうちの病院に来てくれたのだから、
出来る限りのことはしてあげたい。」と言って下さって、
母はすぐにこの先生と決めたようでした。
その日中に、7個ほどの検査を終えて、
行き帰りの往復2時間を含めて、
8時間ほどの通院1回目が終わりました。

人により、納得できる病院探しに、
何件も周る人もたくさんいるようですが、
うちの場合はがんの中でも、あまり聞かないがんだったので、
早くがんの治療を始めたいというのと、
2件めに早くも母自身が納得できる先生に出会えたことが、
幸運だったと思いました。