母が3年前から入院しています。人工透析と脳梗塞の後遺症で寝たきりです。
透析のない月、水、金に父はほぼ終日母の世話をしていました。
マンションで一人暮らしの父の安否確認のため、毎朝メールのやり取りをしていました。
先週の水曜日(5月10日)父からのメールがありませんでした。
その日は朝から仕事が忙しくて、その事実に気づきませんでした。
翌日、メールがないことに気づきました。そして、その日の朝もメールがきませんでした。
母の入院している病院に、水曜日に父が来たかどうか確認したところ、来ていないとの
ことです。
いそいで、静岡の実家に向かいました。
すでに、亡くなっていました。
警察、消防、救急を呼び、検視医がきました。心臓発作だったようです。亡くなったのは
10日の朝とのこと。
もっと早くいってあげればよかった。
葬儀社の手配もし、5月13日に通夜、14日に葬儀と決めて、一端横浜にもどりました。
母には知らせないことにしました。母は心臓も弱っているからです。
さらに、やっかいなことが起こるのを私は恐れたのです。
病院には父が風邪をこじらせて入院した、というウソをつたえてもらうように頼みました。
12日にふたたび静岡にむかい、通夜、葬儀の準備を進めてもらいました。
13日の朝、病院の看護師の方から電話がありました。
「最後に合わせてあげてほしい!」というお願いをされました。
なやみました。しかし、決心しました。合わせることを。そして、すぐに病院に向かい
父の死を母に伝えました。
母は、予期していた、とのことでした。
13日は豪雨のため、14日の葬儀が始まる前に合わせるように介護タクシーを手配
しました。
14日の早朝病院に向かい、母を介護タクシーで葬儀場までつれてきました。
目もほとんど見えない母ですが、父の顔は見えたようです。
葬儀が始まる前に、母を介護タクシーに乗せ、病院にもどしました。
父に合わせないことにしたのは、私の浅知恵でした。
看護師の方々にその浅知恵を詫びました。
人が、何を本当に望んでいるか?をまったく考えることができなかった。
でも、看護師さんたちのおかげで、母も私も後悔することなく、
今を過ごしています。