5時だよ、ゴハンだにゃん

(元)外ねこさんに支えられる日々と、
野良猫さん一家TNRの記録

もじゃくん おつかれさま

2016年06月04日 | つれづれの日々




5月25日未明 もじゃが虹の橋を渡りました。

いろんなことがあった4ヶ月。がんばって、がんばって…そして逝ってしまいました。

opeをすべきではなかったのか…それが最初の過ちだったのか?と考え続けた4ヶ月。
答えは今も見つからないけれど。

腫瘍切除を乗り切り、なんとか食欲が戻った3月初め。次第に調子を落としていくちびの様子を
横目に、もじゃは大丈夫そうだな…と思い始めた矢先だった。
3/5の夜。帰宅が遅くなり、ちびの様子を確認した後、慌てて保護部屋を見に行った。
ケージの上段ににっきさんとちんまり収まっていたもじゃの食欲が無いことが妙に気になった。
腎機能があまりよくないとのことだったから、少し輸液が必要かな?と思いつつシステムトイレの
ペットシーツを引き出して目を疑った。
黄色の尿。それも蛍光イエロー。かつて見たことのある色合いに嫌な記憶が甦った。
食欲がないのは腎機能が落ちているせいじゃない。おそらく肝臓に異常をきたしている…。
少し食いつきが悪いかな?と感じていた数日。
光に透かしてみれば耳の皮膚はうっすら黄色く、眼球黄染もはっきり見てとれた。
忙しさにかまけて、発見が遅れた…。

翌6日朝、あわてて受診。キャリーに移すとき昨夜よりさらにどぎつい黄色の尿を失禁した。
状態を告げると順番を飛ばして診察室へ。採血のデータはとてもとても恐ろしい数値だった。
肝機能データは4ケタ。貧血も急速に進んでいた。病態としては胆管炎。
opeの麻酔によるもの?溶血性?腫瘍に使ったステロイドがWキャリアであることに影響したか… 
人間ならば緊急で血漿交換もできるだろうが、いずれにせよもじゃには輸液とステロイドと抗生剤、
ウルソしか打つ手はない。入院になったが、難しいかもしれないとVET。

でも、ちびが最期にあの驚異的な気力を送ってくれたのか?
1W後データはまだまだ正常値には程遠いもののなんとか帰宅。そこから輸液と内服と強制給餌の日々。
シリンジよりもひとさし指で給餌する方がうまく食べてくれた。もちろん嫌がりはしたけれど
実際たいした保定もいらなかった。
がんばれ、がんばれ! 
でも食べたくないものを口に強制的に入れられることはとてもツラかっただろう。
けれど少しずつ指先からなめとってくれるようになり、お皿から食べ始めてくれた時には本当に
嬉しかった。

安静のために、ケージ暮らしをさせていたが、ニッキさんと一緒のほうが元気が出るかな…と
ケージをオープン。ニッキさんがケージに乗り込んできて(笑)二匹で同じ皿からゴハンを食べ
くっついて眠った。
しだいにケージの外へ出てくる時間が長くなり、朝様子を見に行くと「おはよー」と聞こえるもじゃの
啼き声が迎えてくれる日々が戻ってきた。
ステロイドも減量し、休薬も目前だった。

安心はできない、でも乗り切った。
あの時のかるびのようにもう少し一緒にいられるかもしれない。

けど、甘かった。ウイルスは復活の日を虎視眈々と窺ってた。

4/9朝 前夜までとは打って変わり、食欲が急激に落ちケージから出てこなくなった。
呼吸が速迫で、口腔内色が不良だった。…来た…と思った。
慌てて仕事から戻ったその夜、少しだけお気に入りのウェットを口にしてくれた。
翌日受診。呼吸が速いこと、貧血が急激に進んでいるらしいことを受付で伝えた。
直後に診察室から飛び出してきたVETの顔を、なぜかなぁ…今もはっきり覚えてる。

ひと月前のX-Pには無かったはずの白い影が、いくつも肺野に見てとれた。胸水はそれほど貯留して
いなかったけれど、縦隔裏でリンパ節の腫大が起こり、それが気管を押し上げて呼吸を妨げている事。
貧血も予想以上に進んでいた。

私のスタンスをよく理解してくれているVETたちは、強力な治療をもう提示することはなかった。
出来る限り苦しませないこと。残りの日々を楽しく逝かせること。
そのためにどうしたらいいか、あの瞬間から私もVETたちもそれしか考えていなかったように思う。

呼吸が苦しくなることだけは最大限避けてやりたい。
ウイルスの攻勢を後押ししてしまうことはわかっていたが、ステロイドを最後まで使うことを決めた。
呼吸や食欲の様子で増量可の指示ももらった。
肺の腫瘍増殖とリンパ節の腫大、そして胸水の貯留をぎりぎりまで抑えてくれればそれ以上望まない。





それから1ヵ月半。一時的にステロイドを2Tまで増量、嘘のように呼吸が穏やかになり、食欲も少し
戻った。
天気のいい日にはニッキさんと並んで窓から外を眺めた。
お皿のドライを取り合って食べた。
ケージのベッドで、100均のカゴで一緒に眠った。



ケージの上段に上がれなくなってからは、テーブルの下にベッドを設置、そこで変わらず2匹は過ごした。
ランディングの準備を進めていく仲間にニッキはどんな気持ちで寄り添っていたんだろう。
そんな二匹を見ながら オペをすべきではなかったのか…していなかったらどうだったのか…術後体力を
戻したもじゃのカラダには、またいくつもの腫瘍がすぐに触れるようになった、あの腫瘍も同じように
もじゃとニッキを引き離すのだろうか?と毎日考えていた。

5/23夜 トイレの前でへたり込んでいたもじゃをベッドに戻し、また同じことを考えながらトイレを
掃除していた。ふいに背中がぽぅーっと温かくなった気がして振り向いたら、もじゃが私の背中に
もたれてこちらを見ていた。
そしてコロンとお腹をみせて腹モフを要求。私の手にごつつんごつつん顔をすりつけて。
もじゃが「そんなこと、もう、どうでもいいんだよ」って言ってる気がした。

夏がきたら丸6年になるはずだった家猫生活。
ニッキさんと2匹でマッタリ暮らした6年は楽しかったですか?
かつての盟友かるびと今度はなかよくね。
そして、ニッキさんが淋しくないように時々そっと一緒に眠ってあげてください。
もじゃくん おつかれさま ありがとう 

 ごめんね。