春の雪
2005-12-31 | 映画
期待しないで観たのが良かったのか、満足のできるものに仕上がっていた。
三島由紀夫の『豊穣の海』(四部完結)の第一部『春の海』の映画化である。
ここで登場する松枝侯爵家の子息・清顕(妻夫木聡)は、この後に続く『奔馬』『暁の寺』『天人五衰』では別の人格へと転生し、清顕の親友である本多繁邦(高岡蒼佑)が終始かかわり執着してゆくことになる。
今回の映画化は第二部以降の映画化を見据えたものかどうかは知らないが、転生の印である清顕の脇腹の三つの「黒子」はしっかりと認められるし、『暁の寺』での清顕の生まれ変わり、「ジン・ジャン姫」のペンダントの写真も、学習院へ留学中のシャムの皇太子が未来(第三部)からのメッセンジャーの役割を果たして見せている。
このように、さりげなく第二部以降への布石も一応打たれてはいるし、四部を通じての語り手としての本多への重心の置き方もほど良い塩梅である。
オープニング早々の犬の屍骸を見つけるくだりから、死の匂いが漂っており、門跡(若尾文子の色気ある気品は絶品)が立ち会うことで、終盤の奈良の月修寺へと繋がっている。
印象的な場面はいろいろあったが、個人的には帝劇のオペラ鑑賞の聡子(竹内結子)が一番綺麗な色調で印象に残る。
また、宮家へ招かれた聡子が殿下(及川光博)の部屋で聴くマーラーの交響曲第五番第四楽章、ヴィスコンティの『ヴェニスに死す』でも使われた有名なアダージェットが、映画全体の緩やかで厳かであるが、やはり死のムードで支配しており象徴的である。
それは清顕の「夢日記」の、この世から離れた幽玄の世界(まるで泉鏡花の世界のような)にも通じており、清顕と聡子の恋愛自体が「夢」であったようにさえ思えてしまう。
もし行定勲監督が、そんな効果を狙ったとすれば、第四部の完結篇で再登場する出家した聡子の、本多への返答が生き生きと心に迫ってくることになる。
三島由紀夫の『豊穣の海』(四部完結)の第一部『春の海』の映画化である。
ここで登場する松枝侯爵家の子息・清顕(妻夫木聡)は、この後に続く『奔馬』『暁の寺』『天人五衰』では別の人格へと転生し、清顕の親友である本多繁邦(高岡蒼佑)が終始かかわり執着してゆくことになる。
今回の映画化は第二部以降の映画化を見据えたものかどうかは知らないが、転生の印である清顕の脇腹の三つの「黒子」はしっかりと認められるし、『暁の寺』での清顕の生まれ変わり、「ジン・ジャン姫」のペンダントの写真も、学習院へ留学中のシャムの皇太子が未来(第三部)からのメッセンジャーの役割を果たして見せている。
このように、さりげなく第二部以降への布石も一応打たれてはいるし、四部を通じての語り手としての本多への重心の置き方もほど良い塩梅である。
オープニング早々の犬の屍骸を見つけるくだりから、死の匂いが漂っており、門跡(若尾文子の色気ある気品は絶品)が立ち会うことで、終盤の奈良の月修寺へと繋がっている。
印象的な場面はいろいろあったが、個人的には帝劇のオペラ鑑賞の聡子(竹内結子)が一番綺麗な色調で印象に残る。
また、宮家へ招かれた聡子が殿下(及川光博)の部屋で聴くマーラーの交響曲第五番第四楽章、ヴィスコンティの『ヴェニスに死す』でも使われた有名なアダージェットが、映画全体の緩やかで厳かであるが、やはり死のムードで支配しており象徴的である。
それは清顕の「夢日記」の、この世から離れた幽玄の世界(まるで泉鏡花の世界のような)にも通じており、清顕と聡子の恋愛自体が「夢」であったようにさえ思えてしまう。
もし行定勲監督が、そんな効果を狙ったとすれば、第四部の完結篇で再登場する出家した聡子の、本多への返答が生き生きと心に迫ってくることになる。
映画『春の雪』、私は前半成功、後半三島に位負けかと思いました。全体のトーンが鏡花的というのは、おっしゃるとおりかもしれませんね。
そういえばマーラーがかかっていたんでしたね。
あの曲は象徴的でした!
清顕の三つの黒子はわざとらしいほどハッキリと見せられましたが(笑)、続編などの企画はないようですね。
確かに清顕の夢は鏡花的でしたが、それに引き換え、聡子とのラブシーンは官能性は皆無でしたね。
>ミチさん、
聡子は脱がないで清顕だけ裸にしたのは、わざわざ黒子を見せるためだったのでしょうか?