【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》

古都、薬を売る老翁(壷公)がいた。翁は日暮に壺の中に躍り入る。壺の中は天地、日月があり、宮殿・楼閣は荘厳であった・・・・

現代の探検家《田邊優貴子》 =84=

2017-03-30 15:47:02 | 冒険記譜・挑戦者達

○◎ Great and Grand Japanese_Explorer  ◎○

○ 北極・南極、アァー 素敵な地球のはて =田邊優貴子=  ○

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◇◆ 旅、旅、旅 = 1/3= ◇◆

 2010年11月も終わろうとしているある日のこと。 街路樹はすっかり落葉し、冷たい風が吹いていた。 もうすぐ冬がやってくる。立て続けに行った南極と北極での感覚がやっと抜け、東京の街の流れの速さにほんの少し慣れてきて、もとの暮らしに戻りつつある頃だった。

 三鷹の自宅へ帰ると、郵便受けに一枚の絵葉書が入っていた。 見慣れない切手。 消印には、“Jalalabad”という文字。 消印の日付を見ると、2か月近くも前に投函されていた。 アフガニスタンからの葉書……名前を見るまでもなく、私の頭の中に送り主の顔がすぐに浮かんだ。 それは高校時代からの親友。 彼女は10か月ほど前に、仕事でしばらく滞在していたスーダンからアフガニスタンに移り、そのままアフガニスタンで働いていた。

 ちょうど私が南極から日本への帰路についているさなか、砕氷船しらせの中で“アフガニスタンに行くことになった”というメールを受け取った。 南極から帰ったら、休暇をとってアフリカに会いに行く約束をしていたのだが、新しい行き先を見てさすがに会いに行くことはできないと知ったのだった。

  出会った頃、高校生だった私たちは、お互いに見知らぬ世界への漠然とした憧れを抱いていた。 高校を卒業し、私は京都、彼女は東京へ移り、二人とも大学の講義などそっちのけで、それぞれバックパックを背負って世界中を旅して回った。 一人で旅をすることもあれば、現地のどこかで待ち合わせて二人で旅をともにすることもよくあった。 彼女はアフリカやアジアの世界へ飛び込んでいった。 それは民族や社会、人間そのものへの興味だったのだろう。 そして私はカナダ、アラスカ、北欧……極北の大いなる自然に強く惹かれていった。

 惹かれる対象は違っていたが、そのころから二人とも求めていたものは同じで、今だってもしかするとあまり変わらないのかもしれない。 それは、私たちの現実である日常と並行して流れている他の何か、自分たちの心や存在そのものを動かし揺さぶるような絶対的な何か、確かな何か。 そんな、自分が今生きている日々の暮らしの中では決して見えてこないものごとが存在する世界を求めていたのだろう。

  私はアフガニスタンから2か月もかけて届いた葉書を読みながら、その親友とともに旅したペルーでのある夜のことを思い出していた。 それはもう15年前、私が19歳の夏だった。

 私たちはその旅の中で、ペルーとボリビアにまたがったアンデス山脈の中部、標高3800メートルほどに位置するチチカカ湖に浮かぶ小さな島を訪れ、あるケチュア族の島民の家に泊まることになった。 その夜、家の主人から「今夜は向こうの丘でお祭りをやっているから、見に行ってみたらどうだい?」と促され、私たちはその祭りを見に行くことにした。

  ロウソクを片手に部屋の扉を開け、外へ出たその瞬間、目の前に広がる光景に息を飲んだ。 月明かりもない真っ暗闇の中、天上に覆いかぶさる満天の星空がそこにあった。 それは、ここからそのまま別の星へ旅立ってゆけそうな近さで迫っていた。 言葉を失い、ただただ私はその場に立ち尽くした。 ふと隣を見ると、親友もまったく同じ状態で呆然と星空に見とれていた。

 島には電気は通っていない。 近くに大きな町もない。 そして標高は3800メートル。 しかもその日は新月だった。 恐ろしいほどの真っ暗闇の中、おぼつかない足取りで歩き出すと、前後左右上下の感覚がわからなくなりそうになる。 まるで宇宙に放り出されたような気分だった。

  遠くの丘の上から、祭りの音、村人や子どもたちの声が聞こえてくる。 ──そうだ。 そう言えば、祭りを見に行くんだった。

  「どうする? 行く?」   「いや、ここにいよう」 暗闇の中、私たちは地面に座り込み、その信じられないような星空を見続けることにした。

  ただ無言で星空を眺めて、1〜2時間も経ったろうか。 親友が小さな声でボソッと話した。 「インカ帝国の遺跡とか、インカ道とか、ケチュア族の暮らしとか、古い町並みとか、いろいろすごいものを見てきたよね……でも、今回の旅の中で、何よりもこの星空に一番感動したよ」
  私もまったく同じ感覚だった。 生まれてから19年間。 ほとんどの時間を青森で過ごし、高校卒業後に暮らしはじめた京都でごく普通の大学生だった私にとって、その旅で出会ったのは本当に真新しい出来事、風景ばかりで、毎日が驚きや感動の連続だった。 日々嬉しくて、面白くて、興奮して、ワクワクして、あっという間に3週間が過ぎていった。 それでも、今目の前に広がる、信じられないほど無数の星がまたたくこの空にかなうものは何もなかった。 こんなにも心が震えることはなかったのだ。

 

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現代の探検家《田邊優貴子》 =83=

2017-03-28 12:13:02 | 浪漫紀行・漫遊之譜

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○ 北極・南極、アァー 素敵な地球のはて =田邊優貴子=  ○

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◇◆ 季節の在り処 = 3/3= ◇◆

  私たちはパフィンが着陸成功した辺りまで移動してみることにした。 そしてその場に寝転がって真上の崖を見上げてみて、驚いた。 その崖の岩の隙間には、頂上まで何層にも連なってパフィンたちが営巣している姿があった。 それはまるで6〜7階建てのマンションのようで、ちょうど頭上に見える範囲だけでも、ところ狭しと各階に1〜3羽のパフィンが棲んでいるのだった。 すると、ちょうど海側からまた1羽のパフィンが戻って来て、よりによってすでに3羽もいる場所に着陸しようとしたのである。 3羽はザワつきだし、なんだか慌てているように見えた。

  どう考えてもあのスペースには入らない、ただでさえ着陸が下手なのに……。 見ている私までハラハラと心配になって、これから襲いくる恐怖に脅える3羽の気持ちを察した。 案の定、海から飛んで来たパフィンは、すでにいた3羽のうちの1羽にぶつかり、背中にアタックする格好になってそのままゴロンと転んだ。 その瞬間、私は大声を上げてその場で大笑いしてしまった。しかも、新しくやって来たパフィンはそのまま、まるで何事もなかったかのように、その窮屈な場所にぎゅうぎゅう詰めになって居座ってしまったのだから、余計に可笑しい。

 必死で大真面目な彼らを笑うのは失礼かもしれない。 けれど、なんだか間抜けなその行動に、出会ってわずかな時間しか経っていないにもかかわらず、強い愛着が湧いていた。  

 場所を移動してよくよく観察してみると、いたるところにパフィンの姿があった。 しかも、崖の頂上のある一角には数十羽もの姿が。 さらに頂上のわずか下の辺りには、よく見るとパフィンだけでなくヒメウミスズメが小さな岩の隙間に営巣している。 まさにその名の通り、ここはバードクリフ=鳥の断崖絶壁だった。 その光景はいつまでたっても飽きることはなく、しばらくのあいだ仰向けになって崖を見上げ、パフィンたちの様子を眺め続けた。 晴れ上がった青空を背景に、勢いよく飛び立ち、バタバタと戻ってくる何十羽ものパフィンを私たちは見送った。

  いつの間にか、海から吹きこむ風が徐々に強くなり始めていた。 夢中になっているうちに時間がたち、そろそろ帰路につかなければ夕食に間に合わない時刻に差しかかっていた。 名残惜しいが、私たちはこの場をあとにし、海岸線へ降りることにした。 登って来たときよりも、下りのほうが不安定なため、一歩一歩着実にコケをクッションにして感触を確かめるように慎重に下っていく。 ザックを置いていた場所まで戻り、すっかり冷えこんでしまった身体を温めるため、ザックからテルモスを出して紅茶を飲み、ヤッケの内側に薄手のダウンを着込んだ。
 辺り一面、相変わらず鮮やかな黄緑色のツンドラカーペットがキラキラと輝いている。 そんな黄緑色の景色の中、振り返ると、背後には岩肌が剥き出しになったバードクリフが険しく切り立っていた 。風がツンドラを吹き抜け、キンポウゲの花を大きく揺らしていた。

  小屋に戻った私は、夕食をとったあともしばらくのあいだ、今日出会った数々の出来事でなかなか興奮が冷めずにいた。 いつの間にか、さっきまでの快晴が嘘のように、窓の外に見える景色がすっぽりと雲に覆われている。 

 あと数日で、ここを離れなければならない。 日に日に太陽高度は下がり、少しずつ気温は低下している。 そこら中に咲き誇っていた花畑も今やほとんどが枯れてしまい、芽吹きたてだったキョクチヤナギの濃い緑の葉も黄色くなっている。 深夜にはほんのりオレンジ色を帯びた空になり、頬を撫でるように柔らかく吹いていた風はもはやどこにも見当たらない。 あんなに小さかったトナカイやグースの子どもはすっかり大きく成長し、あと少したてば一人前になるのだろう。

 この山々と氷河とツンドラの大地の中ではほんの点でしかない生き物たちだが、それによって、この世界が持つ広がりがより一層際立っていた。 そして、このあまりにも短すぎる夏の瞬間瞬間に生を営んでいる彼らから、とてつもなく強い命の佇まいと閃光のような煌めきを感じるのだ。 子どもの頃に見た極北の映像になぜか目が釘づけになったのは、そんな世界の広がりや果てしなさ、生き物たちが発する煌めき、季節そのもの、そんなことに対してだったのかもしれない。

  子どもの頃から憧れ続け、21歳の時に初めて実際に目の当たりにした極北の大地とそこで過ごした日々のこと。 このツンドラの大地に降り立ったときに感じた、“やっと来ることができた”という気持ち。 ここスヴァールバルでの1か月間は、そんなこれまでのできごとや気持ちをよみがえらせ、再確認させてくれた。 今は、もうここを去らなければならないことが無性に寂しく、名残惜しいのだった。

  出発の日、天候に恵まれ、予定通りセスナ機はニーオルスンに飛んで来た。 この日、ついに私は極北の大地をあとにした。  1週間後、ニーオルスンにまだ残っている仲間から写真付きのEメールが届いた。  “こちらはもう雪が降って、辺り一面真っ白です”

  添付されていた写真に写っていたのは、私がいた1週間前とはすっかり様相が変わり白一色になった、いつも小屋から見ていたはずの景色だった。黄葉していたキョクチヤナギももうどこにも見当たらない。 極北の短い夏は完全に終わり、劇的に季節がめぐっていた。

 

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現代の探検家《田邊優貴子》 =82=

2017-03-26 15:25:32 | 浪漫紀行・漫遊之譜

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○ 北極・南極、アァー 素敵な地球のはて =田邊優貴子=  ○

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◇◆ 季節の在り処 = 2/3= ◇◆

 そんなトナカイ親子の様子を見ながら、ふと、1週間前まで滞在していた仲間の研究者の話を思い出した。 彼はチョウノスケソウの成長や一日の花の動きを観察するために、チョウノスケソウの花畑がある斜面に定点カメラを設置してインターバル撮影をしていた。 

約2週間撮影したデータを後でパソコンに取り込んで画像を確認したところ、途中、満開の花畑の中にトナカイが写りこんで、その次の画像では辺り一面に咲き乱れていたはずのチョウノスケソウが完全に消えてなくなっていたということだった。 

「いや〜、トナカイに全部食べられちゃいましたよー……」 残念そうに事の顛末を話す彼には申し訳なかったのだが、トナカイの行動を想像すると可笑しくて、みな笑ってしまったのだった。

 確かにツンドラを歩いていると、トナカイが通ったあとには美しい花畑がすっかり消え去っているのをよく見る。 とは言っても、この広い原野の中で、よりによってカメラを設置した場所にトナカイがピッタリとやってきて、しかも撮影対象物をきれいさっぱり食べてしまうとは、設置した本人もさすがに予想しなかったのだろう。 けれど、観察するのにもってこいの立派な花畑だなと人間が感じる場所は、きっとトナカイの目から見ても魅力的で美味しそうな花畑なのかもしれない。

 トナカイ親子に出会ってから海岸線を歩くこと約1時間半。 ついに、目指していたバードクリフと呼ばれる断崖絶壁が見えてきた。 よく目を凝らしてみると、その断崖と海の間を行き交う海鳥の姿が無数に見える。 期待がどんどん高まり、私たちは足早に歩いていった。

 近づくにつれ、足の裏から伝わるツンドラのカーペットの感触がよりフカフカに、より鮮やかな黄緑色になっていく。 その中には、小屋の周辺では見たことのない、黄色いキンポウゲや可憐な花がいくつも咲いていた。 昼下がりの太陽がちょうど崖のほうから差しこみ、逆光で黄緑色が艶々と反射していた。 時折、もう成鳥と同じくらいの大きさにまで育ったユキホオジロのヒナが岩と岩の間を歩きまわっているのが見える。 フワフワの羽毛が少し抜け落ちて、その下から成鳥の羽が見え始めていた。

 断崖絶壁の真下までは、その断崖よりはやや緩やかな斜面になっている。 恐らく海鳥たちが営巣しているのは切り立った崖になっている部分だろう。 その下まではすんなりと登れそうに見えた。 が、いざ断崖の直下まで近づいてみると、比較的緩やかそうに見えたその斜面は、意外と急勾配であることがわかった。 

鮮やかな緑色をしたコケがところどころに張りつくように生えていて、足をかけると今にも岩が崩れてしまいそうな雰囲気だったので、私たちは背中に担いでいたザックをその場で下ろし、空身で斜面を登ってみることにした。 恐る恐る登っていったが、フカフカの分厚いコケのマットが岩と岩の隙間にしっかりと生えているおかげでクッションのようになり、想像したほど危険というわけでもなさそうだった。 しかし、いつ崩れてもおかしくないので、コケのクッションに足をかけて、両手で岩をしっかりとつかみ、這いつくばるように登っていった。

 やっとのことで崖の真下まで到達したところで、少し平らになったコケのクッションの上に腰を下ろし、崖を背にして一息ついた。 さっきまで近くに見えていた海が、眼下遠くに見わたせた。海から吹いてくる風が汗ばんだ体に心地いい。 そのままコケの上に寝そべると、潮の薫りとツンドラの草が混じりあったいい匂いがした。

 眩しい青空を見上げ、幸福感に満たされてボーッとしていると、突如、真横から鈍い風切り音が聞こえた。 驚いてそちらを向くと、真っ白い大きなカモメの姿がすぐ目の前に飛びこんで来た。 距離にしてほんの1〜2メートルほどだろうか、手を伸ばせば届きそうだった。 眼がギョロッと動き、目と目が合った。私はその野生の鋭い目つきに、身動きが取れず体が硬直した。シロカモメはそのまま何事もなかったように、風に乗って通り過ぎていった。

 それは、高い大空を悠々と羽ばたくシロカモメと同じ目線になった瞬間だった。まるで自分も空に生きる生き物になれたような気がして、たまらなく感動した。

 感動覚めやらぬまま、座りこんでキラキラ輝く海を見ていると、上空に海鳥の群れが数多くいるのに気づいた。 その様子をじっと観察していると、ひときわ不器用に一生懸命翼をばたつかせている鳥が何羽かいるのが目に留まった。 なんて飛び方の下手な鳥だろう。

  しばらくすると、その鳥がバタバタとこちら側に向かって羽ばたいてきた。 近づいてくるにつれて、その姿が鮮明になった。 くちばしと足が鮮やかなオレンジ、口元にはハート形をした真っ黄色の飾り、体は白と黒。なんとも派手で、飛ぶのが下手なその鳥の正体はパフィンだった。

 崖を目指して一直線に飛んで来たパフィンは着陸しようとした。 が、その瞬間、うまく着地できず、体勢を崩しそうになりながら方向転換してまた海に向かって一目散に飛んでいった。 そしてバタバタと羽ばたきながらなんとか海まで行くと、また旋回して、こちらに向かって来た。 今度こそ無事に着陸成功……するかと思いきや、またもや失敗し海に向かっていった。

この一連の行動を3回ほど繰り返し、やっとのことでパフィンは崖への着陸に成功したのだった。 そのあまりに滑稽で可笑しい行動の一部始終に、私は崖の真下で笑い転げてしまった。

 

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現代の探検家《田邊優貴子》 =81=

2017-03-24 13:44:25 | 浪漫紀行・漫遊之譜

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◇◆ 季節の在り処 = 1/3= ◇◆

 北極の短い夏がもうすぐ終わりを告げようとしていた。日に日に太陽の高度が下がってきている。太陽はまだ沈まないが、深夜になると山々が赤みを帯びた色に染まる光景に変わってきた。 ニーオルスンに来て1か月が経とうとしている。調査もほとんど終わり、もうあと数日でここを後にしなければならない。

  クロワッサンとホットチョコレート。朝食をすませて食堂の外に出ると、なにやら辺りが騒然としていた。 低い雲なのか霧なのかわからない灰色のベールが微かに立ちこめた空に、20羽くらいいるだろうか。 キョクアジサシの群れが渦を巻くように、ある一点を集中的に旋回している。 賑やかな鳴き声がそこら中に響きわたり、その様子はまるで空中に立ち上る竜巻のようだった。

  何事だろう? 近寄ってみると、竜巻の下にはホッキョクギツネの姿があった。 餌を探しに、キョクアジサシの巣の周辺をうろついているのだろう。 せっかく大きくなってきたヒナを守ろうと必死のキョクアジサシたち。しかし、そんなキョクアジサシの束になった猛攻撃にもひるむことなく、こんなことは日常茶飯事と言わんばかりにホッキョクギツネは飄々と、お目当てのヒナを探している。

  その様子をしばらく見ていると、どうやら諦めたのか、少し身の危険を感じたのか、ホッキョクギツネはその場を去っていった。  そこから村の中心部へ向かってなんとなく散策していると、今はどこの国も使っていない小屋の玄関の前に、ホッキョクギツネがたたずんでいた。さっきのキツネだろうか。

  少し離れたところからその姿を見ていると、小屋の玄関の下で何かがひっきりなしに動いている。 それは突然飛び出してくると、玄関の上に元気よく駆け上がっていった。3匹のホッキョクギツネの子どもたちだった。もうかなり成長しているのだろう、親ギツネの3分の2くらいの大きさになっている。 しかしまだまだ表情は幼く、親ギツネにくっついたり、子どもたち同士で駆けまわったり、じゃれ合ったり、無邪気に遊んでいる。 

  ふわふわの柔らかそうな毛に、雲の切れ間から斜めに差し込む朝の光が当たり、輪郭が浮かび上がっていた。 親ギツネは穏やかな表情でそれを見守っている。 もうすぐ夏は終わり、巣立つときが近づいている。

  小屋の奥には大きな水たまりが見えた。 おそらく、そのほとりがねぐらになっているのだろう、100羽ほどのグース親子の群れが集まっている。 その向こうには、海を挟んで氷河がドンと海に落ちこんでいる。 水たまりがキラキラと光輝いていた。

  小屋に帰り、少しずつ荷物の整理と片づけをしていると、低く垂れ下がっていた灰色のベールがすっかりどこかへ消えてなくなり、雲ひとつない青空が広がった。 ここ最近は、霧や曇りだったり、小雨が降ったり、風が強く吹いている日が続いていた。 朝のうちに天候が良くても、午後からは雲に覆われることも多く、気温も少しずつ下がってきている。

  今日は一日中、せめて夕方までは確実に快晴が続くだろう。 もうこんな好天の日はないかもしれない。 私にはどうしても行ってみたい場所があったが、一日がかりになってしまうため、なかなか行けずにいた。 

   片道3時間、小屋から海岸沿いに西北西へ歩いたところ、半島の先端近くにそれはあった。 バードクリフと呼ばれる断崖絶壁。 パフィンやウミガラス、シロカモメなど、さまざまな海鳥の一大営巣地になっている場所だ。 しかも、そのバードクリフの真下には信じられないほど緑鮮やかでフカフカの草原が広がっていて、小屋の目の前に広がる東ブレッガー氷河後退域のツンドラには棲息していない種類の花も咲いているという話だった。

  「今日しかない!」  「うん、そうだね。 行ってみよう!」

   同じくバードクリフに行く機会をうかがっていた仲間と二人で出かけることにした。 私たちは紅茶を入れたテルモスの水筒に、チョコレート、防寒着、GPS、双眼鏡、カメラのレンズをザックに詰めこみ、ライフルを持って外へ出かけた。

   小屋の外へ出ると、まぶしい太陽が目に飛びこんできた。 やわらかな風が吹いている。 屋根の上からユキホオジロのさえずる声が聞こえてきた。 ヒナはもう、だいぶ大きくなっているのだろうか。

   小屋から西へ向かい、川を渡り、海岸を見下ろしながら歩いてゆく。 1か月前にあんなにも咲き乱れていたチョウノスケソウもすっかり輝きを失い、白い花びらはほとんど見当たらなくなった。 まるで閃光のように咲きほこり、短い夏とともに終わっていく。   

  周りの雄大な景色にばかり気を取られていると、たぶん気づかずに通り過ぎてしまう。 そんな、ともすると見過ごしてしまいそうなほどに小さく足下に咲いている花で、もうすぐ夏が終わることを、確実に時間が流れていることを、季節が移り変わっていることをはっきりと実感する。

  起伏を越えると、トナカイの親子が地面に顔をつけて植物をムシャムシャと食べている姿が見えてきた。 親子はずっと寄り添って餌を探し、ひたすらに食べながら歩いている。近くを通ろうとすると、子どもが口をモグモグさせながら不思議そうにこちらを向いた。 その口の周りには黄、白、緑、オレンジ、色とりどりの花や葉がくっついていて、とても微笑ましくてついつい吹き出してしまった。

 

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現代の探検家《田邊優貴子》 =80=

2017-03-22 12:26:06 | 浪漫紀行・漫遊之譜

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◇◆ 南極から北極まで旅する鳥 =3/3 = ◇◆

 この地球上の果てから果て、南極から北極まで旅をする鳥がいるなんて…………信じられない、どんな鳥なのだろう。

  それ以来、私はキョクアジサシのことが気になってしかたがなかった。 いま自分が東京で地下鉄に乗り、首都高の下をくぐって、いつもの商店街を自転車で通り過ぎているこの瞬間、キョクアジサシは大海原をヒラヒラと舞いながら南極から北極への旅を続けているのだろう。

 そこに圧倒的な生命の輝きというか、凄まじさ、そして自分が生きているこの地球の果てしなさや限りない広がりのようなものを感じ、体の中をフッと風が突き抜けたような気がした。 キョクアジサシがこんなにも小さな体で大空を飛び、信じられないほどの長距離を旅してこの北極の大地にやって来ている。
 ちょうど3か月前、南極の夏の終わりとともに私は南極から戻って来て、まさに今、北極の夏の始まりとともに、ここにやって来た。 私はこのキョクアジサシにほんの少しだけ自分の姿を重ね、なんだか妙な親近感を覚えていた。 

 一緒に来ていた仲間は相変わらずキョクアジサシに威嚇され続けている。ちょうど抱卵中、もしくはすでにヒナが生まれているのだろう。 だからこの時期、親鳥はかなりナーバスになっているのだ。

 あまり近づきすぎないようになるべく気配を消して、彼がキョクアジサシの攻撃を受けている横を通って行こうとしたそのとき、ふと地面にある岩陰で何かが動いたような気がした。 目を凝らしてみると、岩と岩の隙間、コケの上にふわふわの丸い毛玉のようなものが2つ。 大きさは5cmくらいで、薄い茶色にグレー、黒い斑点、白い腹、ふわふわの体にオレンジがかった赤くて細長いくちばしと脚が付いている。

 なんとそれは、可愛らしくぴったりと体を寄せ合いながら座る、2羽のキョクアジサシのヒナだった。

 自分でもよく気がついたものだと驚いた。 キョクアジサシの攻撃を避けようと少し身をかがめてそこを通ったから偶然目に留まっただけで、普通ならば見過ごしてしまうだろう。


 それにしても、周囲の岩とコケに驚くほどに紛れ込んでいる。 ふわふわで小さな体、黒いつぶらな瞳がとても愛らしい。 だいたい、鳥のヒナというものはあまり鮮やかな色をしていないものだが、彼らのくちばしは赤く鮮やかで、すでに細長いフォルムをしている。図鑑でも見たことがなかった私にでもすぐにキョクアジサシのヒナだとわかるほどに、誕生して間もない、こんなにも小さなころから、彼らはすっかり自分がキョクアジサシであるという雰囲気を醸し出していた。

 彼らは、これから北極の短い夏が終わりを告げるまでの1〜2か月で大きく成長し、きっと地球の果てから果てへの長い長い旅に出かけるのだろう。

 ツンドラの原野の中、まるでその存在を隠すように、ポツンと岩陰に寄り添いたたずんでいるこのかすかな2つの生命は、この風景をより深く、より一層広がりあるものにしていた。

 小屋への帰り道、グースの親子に出会った。 子どもたちはまだ小さいのに、海の上をスイスイと泳いでいる。 順々に海からあがり、みんなで仲良くコケや草をついばみながらゆっくりと原野を歩いていった。 丘を登りながら海をながめると、大きな羽音をさせてケワタガモの群れが飛んでゆくのが見えた。 もうすぐ23時になろうとしているが、辺りはまだまだ明るい。 これからみな巣に帰るのだろうか。

 そのとき、なんだか分からないが不思議な感覚に陥った。 これまで決して訪れたことがない場所で起きている目の前のなんでもない光景。 それなのに、いつだったか、この目の前の光景をどこかで見たような気がした。 その光景は、なぜか私の記憶の中の小さな扉をコンコンと叩いていた。

 しばし立ち止まって考えると、私はハッとして、それが何であるかを思い出した。 それは、子どもの頃に夢中になって見ていたアニメ「ニルスのふしぎな旅」で繰り広げられていたシーンだった。 いたずらをしたために妖精によって小さくされてしまった主人公のニルスが、グースの背中に乗って、その群れと一緒に旅をする。 そのとき画面に映っていたのはたしか、氷河で削られた山々とツンドラの大地、そしてその上空をグースの群れが悠々と飛んでいく……そんな絵だった。

 小屋がある丘の上まで登り切ると、眼下にはさっきまでキョクアジサシとアザラシを見ていた海岸がすべて見渡せた。 山のほうにはいつのまにか低い雲が立ちこめている。
 北極の夏の夜、心地よい風に吹かれながら、ツンドラの原野と山を見ていると、低く鈍い、大きな音をたてて、グースの群れがどこかへ飛んでいった。

 

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森のなかえ

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現代の探検家《田邊優貴子》 =79=

2017-03-20 15:00:55 | 浪漫紀行・漫遊之譜

○◎ Great and Grand Japanese_Explorer  ◎○

○ 北極・南極、アァー 素敵な地球のはて =田邊優貴子=  ○

= WEB マガジン ポプラビーチ powered by ポプラ社 より転載 =

◇◆ 南極から北極まで旅する鳥 =2/3 = ◇◆

 今晩のメニューは、レタス、トマト、人参、パン、トナカイの肉を塩胡椒で焼いたもの、少し不思議な味のするホウレン草のスープ、フライドポテトだった。 だいたいはノルウェー人と、たまにロシア人が作っているので、日本人からするとかなりボリューム満点で、味は単調で塩辛く感じる。 が、それでもやはり自分たちでつくらなくてもよいことに、とても感謝するのである。

 トナカイの肉でお腹いっぱいになり、いつものようにミルクティーで一服しながら、食堂の窓の外に広がる景色をながめた。 なんて贅沢な眺めだろう。目を細めながら、雲一つ見当たらない快晴の空を見ていると、いても立ってもいられなくなった。 もうすぐ20時だというのに、辺りはまだまだ明るい。 このまま部屋に戻ってしまうのはなんだかとてももったいない。 そこで、私たちは食後の散歩がてら、いつも部屋の窓から見下ろしている海岸を目指すことにしたのだった。

 小屋のわきを通り、かすかな風でホッキョクヒナゲシが揺れる斜面を下りていった。 砂浜になった海岸まで、20分ほど歩いただろうか。 小屋は遠く丘の上に見える。 斜光線に照らされた海がキラキラと輝いていた。

  水べりに立って海を眺めていると、何者かがゆっくりと漂っている。 顔を出して不思議そうにこちらを見ているその生きものに、そっと近寄ってみると、それはアザラシだった。 近づいて来ては潜り、また水面から顔を出しては呼吸をする、という動きを繰り返している。 そしてどこに行くでもなく、その辺をただ悠々と、気持ちよさそう泳いでいた。 ワモンアザラシだろうか、顔をちらりと出すだけなので、なかなか判別ができない。

 アザラシは近くまでやってきて、仰向けになって漂ってみたり、真正面を向いてゆらゆらしてみたり、真っ黒の大きな瞳が時折こちらを向いてみたり。 そんな姿を見ていると自分もゆったりとした気持ちになっていくのを感じた。 いつまで見ていても飽きることはなく、アザラシがいなくなるまで、海岸からただただその姿を見つめていた。

  私のすぐ目の前の水際を、2羽のハマシギがくちばしで砂浜をつつきながら歩いている。 ほんの少しだけ湿った潮風が心地いい。 あのアザラシも、ただこの心地いい風を感じたかったのかもしれない、仰向けになって夏の太陽をただ浴びたかったのかもしれない・・・そんなことを思いながらしばらく砂浜でたたずんでいると、

 「ギギギギギギギギ───」

  後ろのほうから不思議な声が聞こえた。 とっさに振り向くと、少し離れた辺りを散策していた仲間の一人が小さな鳥から猛攻撃を受けていた。 彼の頭上すれすれを3羽の鳥がくるくると旋回しながら猛スピードで飛んでいる。翼はグレー、体は白、頭は黒い帽子をかぶっているかのようで、くちばしは燃えるような赤。 空中で巧みに上下左右、さまざまな方向にターンしながら、ヒラヒラヒラヒラとまるで舞うような飛び方をしている。

  あぁ、ついに間近で会えた。

  そう、それがいつも部屋の窓から双眼鏡でながめていた鳥、キョクアジサシだった。 襲われている仲間には悪いのだが、私はしばらくそのキョクアジサシが空をひらひらと舞う光景に見とれていた。

  なんて美しいのだろう……。

 キョクアジサシが宙で急旋回するたびに、斜めから差し込む太陽で白い体が反射し、青く澄んだ白夜の空を背景にキラキラと輝いていた。 北極に来て、このキョクアジサシが一番会いたい鳥だった。 今、ここ北極はまさに夏を迎えており、このキョクアジサシもちょうど繁殖のシーズンで、ここにやって来ているのだ。

 初めてキョクアジサシという鳥の存在を知ったのは、私が初めて南極に行く約1年半前だったろうか。 そして、その話を聞いて心から驚き、心から感動したのを覚えている。 このキョクアジサシ、北極で繁殖するものは北半球が夏の間に北極に行って子育てをし、子育てを終えると、その後、夏を迎える南半球のずっと果て、なんと南極まで渡りをするというのだ。 そしてまた、南極の夏の終わりとともに、再び北極を目指して渡りをする。

 

 

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現代の探検家《田邊優貴子》 =78=

2017-03-18 12:37:49 | 浪漫紀行・漫遊之譜

○◎ Great and Grand Japanese_Explorer  ◎○

○ 北極・南極、アァー 素敵な地球のはて =田邊優貴子=  ○

= WEB マガジン ポプラビーチ powered by ポプラ社 より転載 =

◇◆ 南極から北極まで旅する鳥 = 1/3 = ◇◆

   「よし、ちょっとあの海岸まで行ってみよう」 晴れ上がった深い青空が眩しい夕方だった。 夕食をすませたあと、小屋の裏手に広がる海岸に出かけることにした。 部屋の窓から見渡せるその砂浜。 気になる鳥がその辺りでヒラヒラと飛んでいるのを、私はいつも双眼鏡で眺めていた。

  ここは北緯79度に位置するニーオルスン。 2010年7月9日にここへやってきてから、まだ1週間。 3か月前、南極から帰ったばかりだった私には、この高緯度に位置する北極のツンドラの大地は、何もかもが豊かに見えてしかたなかった。

 南極で原野を歩くときには、ほんの少しのコケ群落でさえとても貴重な存在で、その緑色を驚くほどまぶしく感じる。 南極で出会う色といえば、白、青、茶、赤茶、オレンジ、黒、薄紫、赤、褐色……。 赤茶けた荒々しい大地を歩いている最中に、突然、めったに見かけない緑色が目に飛び込んでくると、本当に新鮮でまぶしく、心が踊るような気持ちになる。 だから、日本にいると気にも止めない少しのコケでさえ、絶対に踏むことのないようとにかく注意して歩くのである。

 そんな感覚がまだ消えぬ間に北極へ降り立った私は、はじめはどうしたものかと戸惑った。 というのも、ツンドラの大地は一面ふかふかのコケや花のカーペットで覆われているからだ。 どこを歩いても踏むことになり、決してよけて前に進むことなどできない。

  昭和基地の緯度は南緯69度。 それと比べると、実はここニーオルスンは10度も高緯度にある。 しかし、周囲を取り巻く暖流のおかげで、昭和基地周辺よりも気温は高く、植生も豊かになっているのである。 そういえば、南極や北極で野外調査をしているというと、人からよく聞かれることがある。
 それは、「ご飯はどうしているのか?」というもの。確かに端から見れば、これは素朴な疑問なのかもしれない。 このニーオルスンでは南極での野外調査と違って、自分たちで朝・昼・晩の食事を作る必要がない。

  南極でも昭和基地に滞在していれば、調理担当の隊員たちがおいしい食事を作ってくれるのだが、基本的に3名程度の少人数で野外の小屋、もしくはテントに長期滞在しながら調査をする私は、残念ながらほとんどその恩恵に授かることはない。 すべて自分たちで作らなければならないのだ。

  ほぼ毎日白米を炊くし、鍋の日もあれば、豚生姜焼きの日、お好み焼きの日、パスタの日、麻婆豆腐の日などさまざま。 あまりにも調査と作業が忙しい日はレトルトカレーや牛丼、ラーメンになることも多い。 牛肉がふんだんに支給されるおかげで、最終的には特別な調理スキルを必要としない焼肉やすき焼きばかりが増えて、もう肉はいや……と少し贅沢な悩みを抱えることになる。 もちろん水道などないので、水は近くの沢か湖まで、20リットルのポリタンクを背負って汲みに行く。

  とにかく、南極の野外調査での食事は、毎回自分たちで好きに作るという雰囲気なのだ。 とは言っても、さすがに3名だけで食事を作っていると日が経つにつれて少し飽きてくる。 そんなとき、昭和基地の食事はどんなものだろうかと想像して、羨望することもある。 調理担当の隊員は日本でシェフや板前を生業にしている人たちなので、聞くところによると、日本で普段食べているものよりもおいしい食事が日常的に食卓に上るらしい。

  野外調査をしながら食事を毎日作るというのは、それなりに負担が大きい。 忙しいときには特にそう感じる。 その点、ここニーオルスンでは最初に入村の手続きをした村の中心にある建物に行けば、食事をとることができる。 自分たちで食事を作る必要がないので、研究者にとっては非常に有り難い。 その分、集中して調査に時間を割くことができるからだ。

 食事はバイキング形式になっていて、チーズ、スモークサーモン、クッキー、オレンジジュース、牛乳、コーヒー、紅茶などは毎食必ず置いてある。 

 

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現代の探検家《田邊優貴子》 =77=

2017-03-16 13:44:56 | 浪漫紀行・漫遊之譜

○◎ Great and Grand Japanese_Explorer  ◎○

○ 北極・南極、アァー 素敵な地球のはて =田邊優貴子=  ○

= WEB マガジン ポプラビーチ powered by ポプラ社 より転載 =

◇◆ 北緯79度の花畑 = 3/3 = ◇◆

  私はまた立ち上がって歩きだし、ゆっくりと深呼吸をするように一歩一歩進みながらこの極北の原野に漂う匂いを自分の中に残そうとした。 そのまま何気なしに歩いていると、突然ツンドラの起伏の中からけたたましい声でピーピーと鳴きながら一羽の鳥が飛び出してきた。

  ムラサキハマシギだ。 体の色はグレー、茶、黒、カーキ、白が混じり、ツンドラの大地に完全に溶け込み、カモフラージュされている。少し目を離すとどこにいるのかすぐにわからなくなってしまう。 それにしても、不自然に翼をバタつかせたり、足を引きずるような動きをしながら、そこら中をドタバタと走りまわっている。

  ああ、これがそうか。 本で読んだことはあったが、実際に目の当たりにするのは初めてのことだった。 シギの親鳥がわざと傷ついたふりをして外敵の気を引き、ヒナや卵のそばから遠ざける行動である。 演技派なその行動に驚きつつ、微笑ましくも感じたが、卵が冷えてしまってはまずい。 

 「ごめんよ」 とつぶやきながら、すぐにその場から離れた。 その迫真の演技は、北極の短い夏の間に子どもを育て上げることへの必死さを物語っていた。 卵のもとからあれ以上遠ざかってしまったら、卵の温度は急速に低下し、夏とはいえ北極では死に至るだろう。 自然の中では、ほんの一瞬の出来事が命を左右することがある。 生きものは、自然は、たくましさや厳しさとともに、必ずあっけないほどの脆さを秘めている。

  しかし、私たちが離れていったというのにシギはまだ鳴いている。 早く巣に戻ってと願いながらも、シギの鳴き声に気を取られて歩いているうちに、ふと何者かの気配を感じた。 振り向くと、起伏の向こうに角が揺れるのが見える。 それも結構なスピードでこちらに近寄ってきている。高台に姿を現したのはトナカイだった。

 私たちに気づき、50m手前のところでピタッと停止した。 その場は静まり返り、トナカイも私も時が止まってしまったかのような瞬間だった。 が、その静寂はシギが再び鳴き出したことによって崩された。 その瞬間、トナカイは再び小走りを始め、どんどん近づいてくる。もう20mというところでシギは鳴き止み、またトナカイは停止した。

 なぜかはわからないが、どうやらシギの鳴き声が気になって走ってきたようだった。 爛々としているその瞳から、「何? 何があったの? どうしたの?」という声が聞こえてくるような気がした。 彼はこの原野をまるでパトロールしてまわっているかのようで、なんだかたまらなく可笑しかったが、ずっと視線が合ったまま、私たちもどうしていいかわからず、お互いにその場で静止していた。

  シギはもう鳴き出すことはなく、ただ沈黙の時間が流れた。 すると、トナカイは目をそらし、体をクルッと回転し、足下のチョウノスケソウを一口だけ食んで、目の前から走り去っていった。 ほんの数十秒の出来事だったが、とてつもなく長い時間が流れたように思えた。 トナカイは一度だけこちらを振り向いたが、その後は振り返ることなく遠ざかり、その姿はもうすっかり小さくなってしまった。

  シギはもう巣に戻ったのだろう。 鳴き声も翼の音も聞こえない。 白夜の夕方、斜光線が花畑を遠くまで照らしだしていた。 まるで何事もなかったかのように、かすかな風がチョウノスケソウの白い花を揺らしていった。

 なんという不思議な時間だったのだろう。 不思議の国のアリスがウサギを追いかけてもう一つの世界に迷い込んでしまったのと同じように、あのとき私も違う世界に行ってしまったのではないかと錯覚するような出来事だった。 絶対に聞こえるはずもないトナカイとシギの声が、言葉となってはっきりと聞こえたような気がしたのだ。 なんだか滑稽なトナカイの行動と表情はなんだったのだろうか。

  張りつめていた緊張が一気にほぐれ、私たちはフカフカの斜面に腰を下ろした。 力が抜け、笑いがこみ上げてきて、その場で大声を出して笑い転げてしまった。  

 小屋に戻った私たちは、何かに化かされたようなこの不思議な出来事を他の仲間たちに話した。 ところが、どう説明していいものかわからず、なかなか上手く伝えることができなかった。 私たちにとってはなんとも不思議な時間だったが、それはこの目の前のツンドラの原野では何度となく起き続けていることなのだろう。 そんな自然の中の当たり前の出来事を、私たちはほんの少し垣間見ただけに過ぎないのかもしれない。 けれど、その時間はとても鮮やかに私の心を色づけていった。

  その夜、部屋のカーテンを開けると、深夜0時を回っているというのに、外は明るかった。 対岸の山には雲がかかり、オレンジがかったピンク色に染まっている。 徐々に低い霧が立ちこめ、生き物のように山と山のあいだを動いて海を渡り、こちら側へやってくる。 見る見るうちにそれは大きくなり、辺り一面、すっぽりと霧に包まれていった。 あいにくの天候だったが、街からやって来て間もない私の気持ちを、日常からかけ離れた世界へ誘うには十分だった。

 明朝、霧は晴れてくれるだろうか。そんなことをぼんやりと思いながら、ベッドにもぐり込み、心はワクワクとしていた。

 

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現代の探検家《田邊優貴子》 =76=

2017-03-14 10:57:53 | 浪漫紀行・漫遊之譜

○◎ Great and Grand Japanese_Explorer  ◎○

○ 北極・南極、アァー 素敵な地球のはて =田邊優貴子=  ○

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◇◆ 北緯79度の花畑 = 2/3 = ◇◆

   なんと表現すればよいのか未だに難しいのだが、自分は地球に生きている、ということをはっきりと意識した瞬間だったのかもしれない。 私にとって、それは自然の風景だったが、誰しもがこうやって何らかの光景に大きな力をもらうことがあるのではないだろうか。

  10年前のことを思い出しながら、眼下に広がる島の海岸線と氷河が作りあげた山とツンドラの景色を飽きることなく見ていた。 アラスカで見たのと少し似ているようでまた違う。 20分ほどすると、セスナ機は徐々に高度を下げ始めた。 海岸沿いに小さな建物がまばらに建っている。 小さな滑走路らしきものも見える。

 平坦にならされた滑走路を目指し着陸態勢に入った。 大きなエンジン音とタイヤ音をたてて、急スピードでセスナ機は止まった。 ドアが開き、外へ降りると想像していたよりもちゃんとした滑走路であることに驚いた。 私は勝手にツンドラの原野へ降り立つことを想像していたのだ。

  それまで上空から見ていた風景が目の中に大きく飛び込んできた。 氷河で削られてできたU字谷、山と氷河の裾まで広がる緑の大地、振り返れば、入り組んだ海岸線と対岸に落ち込んでいる青い氷河が見渡せた。 冷たそうな海がキラキラと輝いている。 深呼吸して潮の匂いと草や土の匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。

  すぐにでもツンドラの大地に駆け出したい衝動に駆られたが、先に済ませなければならないことがさまざま待ち構えていた。 私たちは荷物とともにバンに乗せられ、村の中心へ続く砂利道をガタガタと揺られながら進んでいった。 村の中心と言っても、時速20kmほどののんびりとした運転で、たった3分ほどで到着する。 途中、トナカイやグースの親子たちが道を横切るのを待って、すぐに小綺麗な建物の前に到着した。

   この村はノルウェー極地研究所とノルウェーの企業が一括して管理・運営している。 ここでまず入村の手続きを済ませ、先に航空便で送っていた荷物が届いているかどうかを確認した。 朝昼晩の三食はどこの国の研究者もここに来て食べることになっているとのことだった。

  手続きが終わると、またバンに揺られて、日本が借りている小屋へ向かった。 日本の小屋は村の中心から外れたところ、滑走路のすぐそばに建っていた。 おかげで、ツンドラの原野と氷河へのアクセスにはとても都合がいい。

   小屋の中は私が思っていたよりも綺麗で、部屋もいくつかに分かれており、キッチンや、実験室、倉庫、何部屋かある寝室にはベッドや机が備え付けられてあった。 寝室の窓からは切り立った山と氷河が見渡せ、窓から下をのぞき込むと、可憐な植物で埋め尽くされた急斜面が海へと続く素晴らしい眺めだ。  荷物を部屋の片隅に置き、これからここで1か月間過ごせるのかと思うと心が躍るようだった。

  昼食をすませ、早速、一緒に来ていた仲間とともに二人で原野に出かけることにした。 小屋の目の前にはツンドラの原野が広がっている。 途中までは植生が発達しているが、氷河から流れ込んだ沢によって礫(れき)がゴロゴロと転がり植生が一時的にまったくなくなる氾濫原がある。

氾濫原を越え、さらに氷河と山側に近寄っていくと、一部の植物がポツポツと礫の隙間に生えている程度になり、しまいには植物がまったくいなくなる。 正面にあるのは東ブレッガー氷河。 この原野は、東ブレッガー氷河が後退して剥き出しになった裸地に植物が定着して出来上がったものだ。

  長靴の底からフカフカの大地の感触が伝わってくる。 植物はみな、大きくとも足首ほどの背丈しかない。 切り立った山やダイナミックな地形、氷河ばかりに目を奪われていると、その存在に気づかず通り過ぎてしまう。

  私はその場に寝転んでうつ伏せになり、地面すれすれまで顔を近づけていった。 トナカイの角のような形、キクラゲのような形、霜が降ったような色、多様な形と色をした地衣類、黄緑色に芽吹いたモコモコのコケ。 チョウノスケソウの白、コケマンテマの濃いピンク、ホッキョクヒナゲシの薄い黄色、ムラサキユキノシタの赤紫、タカネマンテマの薄紫……。

  木の仲間であるキョクチヤナギが濃い緑色をした丸い葉をつけ、つやつやとしていた。 木とは言っても、葉のサイズは5mm~1.0cmほど、背丈も1cmほどしかない。 なんて可愛らしいのだろう。本当にこれが木なのかと疑いたくなる。

  辺り一面、色とりどりの可憐な花々が太陽の光を浴びていっせいに咲き乱れ、どこまでも続いていた。 時折吹く風が花畑を通り過ぎていく。そのたびに、花畑は光を反射しながら楽しそうにそっと揺れていた。 立ち上がっては地面にうつ伏せになる。 これを繰り返しながら植物の観察に夢中になっていると、いつの間にか時間が経っていた。 しかし、後ろを振り返ってみても、どうやら自分があまり前へ進んでいないことに気づく。

 

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現代の探検家《田邊優貴子》 =75=

2017-03-12 10:30:02 | 浪漫紀行・漫遊之譜

○◎ Great and Grand Japanese_Explorer  ◎○

○ 北極・南極、アァー 素敵な地球のはて =田邊優貴子=  ○

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◇◆ 北緯79度の花畑 = 1/3 = ◇

   足下には一面に無数の小さな花々が咲き乱れている。 見過ごしてしまいそうなほどに矮小化した植物たち。 キョクチヤナギの丸い葉や、チョウノスケソウの白い花びら、夜露で濡れたコケや地衣類が白夜の光を反射してキラキラと光り輝いている。 長靴でフカフカのツンドラの大地を歩くと、少し柔らかな初夏の風が草と土の薫りを運び、頬をかすめていった。 

 やっとここに来ることができた。 私は嬉しくて走り出したくなるような気持ちだった。 2010年7月9日、晴れ上がった空の下、私たちを乗せたセスナ機はロングイヤービンの空港を飛び立った。 滑走路がどんどん遠のいていく。 ロングイヤービンの町はすぐに小さくなり、高度を上げるにつれて切り立った地形全体が見えてきた。

山々は急勾配のまま海岸に落ち込み、その頂上がストンとまっすぐ平らになっている。 氷河で削られた痕跡だ。平地は緑に色づいてはいるが、森や林はない。 地球はつい最近になってやっと最終氷期が終わったばかりなのだということをまざまざと見せつけられる。

  いくつもの氷河が、まるで舌のように山と山のあいだから海に流れ込んでいる。 普段は動いているようには見えない氷の塊。しかし、こうして見ると氷河はやはり氷の河であることがよくわかる。 決してその場にとどまり続けることなく、河のように流れ、常に動きつづけているのだ。 氷河で削られたシルトが混ざり込んだ海は、ミルキーブルーの不思議な色をしている。

 3日前、成田空港からスカンジナビア航空でコペンハーゲンを経由し、オスロに到着した。 オスロから同じくスカンジナビア航空の国内線で世界最北端の大学がある街・トロムソを経由し、ノルウェーの北、北極海に浮かぶスヴァールバル諸島のスピッツベルゲン島にあるロングイヤービンという小さな町にやって来た。 北緯78度、東経15度に位置する人口2000人ほどの町で、ここまではスカンジナビア航空が定期便を運行している。
 ロングイヤービンから10人乗り程度のセスナ機をチャーターし、私たちは目的地であるニーオルスンを目指していた。 私たち、というのは他の研究者や大学院生たちあわせて5名のことである。 ニーオルスンはロングイヤービンから北西に約110km、同じスピッツベルゲン島にある北緯79度、東経12度の国際研究者村だ。 これからちょうど1か月のあいだ、植物の調査をするためにやって来たのだ。

  私はセスナ機の窓ガラスに顔を押しつけ、北極海に浮かぶその島を見下ろしていた。 いくつの山と氷河を越えてきただろうか。 斜めから差し込む眩しい太陽が極北の大地に遅い夏の訪れを告げていた。 眼下に広がるその光景が10年前に見た光景とオーバーラップし、私はすっかりタイムスリップしたかのような気分になっていた。

  10年前、21歳だった私は大学を休学し、真冬のアラスカへ旅をした。 こどものころからずっと憧れつづけていた場所だった。  フェアバンクスから小さなセスナ機に乗り、今日と同じように、私は窓ガラスにひたすら顔を押しつけていた。 窓の向こう、雲の切れ間に広がるのは、恐ろしいほどに険しく切り立った山々と、雪と氷が地平線まで果てしなく続く世界。 時折、カリブーが真っ白になったツンドラを走っている姿が小さく小さく見える。 極夜期手前のぼんやりとしたピンク色の光がやわらかく世界を染め上げていた。

  突如、目の前に雲を大きく突き抜けてひときわ神々しくそびえ立つ山が迫ってきた。 マッキンリーだった。 それはもはや、白い色とは呼べないほどに透き通った光を放っていた。

 すべてが圧倒的だった。 そこは私がそれまで生きてきた日常とあまりにもはるか遠くかけ離れていた。 そして、そんな気の遠くなるような光景すべてに釘づけになり、そこから数年間、私の心はまるで時が止まったかのようになってしまった。 どう表現していいのかわからないまま、時間だけが過ぎていった。

  そのとき出会った風景は、いつまでも私の心の中に蓄積したまま消えることはなかった。 それどころかどんどん大きくなり、どんどん光を放っていき、ついには私の人生を大きく変えてしまった。 アラスカで見た風景によって、大きな自然、遠い自然、凄まじい自然、そんな自然に何らかの形でかかわって生きていくことを私は選択したのである。

  人生の中で出会った、たかが一つの風景に過ぎないのかもしれない。 が、それは私の生き方そのものを変えてしまう力を持っていた。 決して単に美しいというわけではない。 とにかく圧倒的な世界の広がりと、生きていることの脆さと不思議さ、気の遠くなるような時間の流れ、それ自身のために存在する世界、理由や意味というものを超えた世界、そんなものを強く見せつけられたような気がした。

 

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現代の探検家《田邊優貴子》 =74=

2017-03-10 13:05:50 | 冒険記譜・挑戦者達

○◎ Great and Grand Japanese_Explorer  ◎○

○ 北極・南極、アァー 素敵な地球のはて =田邊優貴子=  ○

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◇◆ 旅をする本の物語 = 3/3 = ◇◆

  その後、少しして正式に南極行きが決まった。 嬉しさの反面、拭いきれないモヤモヤ感が残った。 が、そんなことを気にしている場合ではなかった。 とにかく、南極へ行く、それだけだと自分に言い聞かせた。 しかし、ふと思う。果たして私は何をしたかったのだろう。

 あらめてじっくり思い出してみることにした、南極に行くことしか考えていなかったころ、私は何を思っていたのか。 南極にはどんな世界が存在しているのだろう。 どんな音、どんな色、どんな光、どんな風、どんな匂い。 人間が決して根づくことができなかった世界はどんなものなのか。 生命の気配は本当にないのか。

どんな音が聞こえるか、ひとつひとつ音を数えてみよう。 どんな匂いがするか、ゆっくり空気を吸い込んでみよう。 私は何を思うのだろう、何を感じ、見つけるのだろう。 なぜ自分がこの世界で生まれて生きているのか、もしかしたらほんの少しはわかるのかもしれない。

  目をつぶると、どんどん思いが溢れ出て、次々と鮮明に浮かんで止まらなくなった。 このとき、一番大切なことを、私はやっと取り戻したような気がした。 見えない大きな力、見えない誰かへの不信など、どうでもよかった。 心の中がスーッとし、静まり返っていった。 こんな静かな心はなんだか久しぶりで、自分の中心にある大事なものが、またこれでぐんと強くなったように感じていた。

 そして、私は南極へ旅立ち、いくつもの心震える瞬間に遭遇した。 いくつもの驚きがあった。 刺すような風を感じながら、荒々しい剥きだしの岩肌の大地を毎日のように歩いた。 水晶のように透き通ったいくつもの湖にボートを漕ぎだし、そのたびに心奪われた。 白夜の美しい薄紫色の空、そこにできる地球の影。 頭上に輝く南十字星と青白い炎のように揺れるオーロラ。 いくつもの信じられない光景を見上げた。 3か月という時間があっという間に経ち、南極大陸をあとにし、ついに帰るときがやってきた。

 しかし、密かにあたため続けていた『旅をする本』を昭和基地に置いてくるという計画…………ちょうど帰るころ、私はすっかり忘れてしまっていたのである。 あの本は、確かに南極大陸の旅をしたのだが、そのまま船に乗り、南極海を航海して、私と一緒に再び東京へ舞い戻ってきてしまったのだ。 仕方がない、もう一回一緒に南極へ旅に出よう。そして、その時は絶対に置いてこよう。そう誓った。 

  “⑥田邊優貴子 2007年12月南極・昭和基地→2008年03月東京→” ついに、最後のページに書き加えた。 最後には矢印。 もう1回南極へ行くためのしるしだった。 そして2年後。 私は2度目の南極へ行くことになった。 またいつもの本棚から、前よりももっとボロボロになったその本を取りだした。 

「ついにもう一回行けるよ。 今度は一体どんな心震えることに出会えるかな」 話しかけ、やぶれて取れそうになっていた表紙をセロハンテープで補強した。

 2010年2月、南極大陸上での野外調査が終わり、昭和基地に本を置くときがやって来た。 まるで親友のような存在になっていたその本と別れを済ませ、忘れずに無事、置いてくるはずだった。 しかし、その本はやはりその後も昭和基地で暮らすことはなかった。  なぜなら、そのとき一緒に南極へ行った友人に、この『旅をする本』の話をしたところ、是非譲ってくれないかと頼まれたからだ。

 そういうわけで、『旅をする本』は二度も南極を旅したのちに、友人の手に渡っていったのだった。 帰国後、友人からサハリンに連れて行ったという話を聞いてはいたが、その後の消息を知ることもなく、あの本のことは私の記憶の片隅に置かれ、ほとんど思い出すこともなくなっていった。 きっと、またこの世界のどこかを旅しているに違いない、そう思っていた。 

 「単独無補給徒歩で北極点を目指す若者と土曜日に会うから、あの本を彼に渡そうと思う」 つまりそれは、私がその友人にあげた『旅をする本』のことだった。 もし、一回目の南極で、あのとき忘れずに昭和基地に置いてきたとしたら、あの本は北極点へ行くことなどなかったのかもしれない。 もし、友人Tがバンコクの古本屋に立ち寄らなければ、あの本は南極に行くことなどなかったのかもしれない。 すべては無数の偶然がただ連なっているだけのことに過ぎない。 けれど、確実にあの本はあのとき私のもとへやって来た。 そして一緒に南極大陸を旅し、さらには北極点を目指し始めたのである。
 友人からのEメールを見ながら、私はあの本が私のもとへ来てからのことを思い出していた。 

 北極点への冒険…………想像すると胸が高鳴った。 あの本はどんな旅をするのだろうか。 きっと、想像をはるかに超えた壮大な旅になる。 そしてまた、いくつもの物語がそこから生まれるのだろう。 もしも北極点まで行けたなら、『旅をする本』は本当にすごい本になる。 

 ふっと風が走り抜けていった。 気の遠くなるような真っ白な広がりのなか、若い冒険家の足音、息づかいが聞こえるような気がした。

 

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現代の探検家《田邊優貴子》 =73=

2017-03-08 11:55:47 | 浪漫紀行・漫遊之譜

○◎ Great and Grand Japanese_Explorer  ◎○

○ 北極・南極、アァー 素敵な地球のはて =田邊優貴子=  ○

= WEB マガジン ポプラビーチ powered by ポプラ社 より転載 =

◇◆ 旅をする本の物語 = 2/3 = ◇◆

  東京で暮らし始めて一年後、ついにあの本を本当の旅に連れだすときがやってきた。 南極へ行けることになったのである。 

 私はその本をいつも本棚の目の届くところに置いていたが、旅をさせることはしなかった。 友人にはアラスカにでも連れて行ってと言われていたので、この『旅をする本』にふさわしい旅をさせたかった。 

 私のもとへやって来て2年目。 アラスカではなかったが、南極はこの本にとって絶対にすてきな旅になる、私はそう確信して、初めての南極へ連れて行くことにした。

 南極を旅させたら、そのまま昭和基地の本棚にそっと置いてこよう。 この本にはしばらく南極で暮らしてもらおう。 そして何年後かに誰かの手で南極から持ちだされ、またどこか一緒に旅をさせてもらえれば、なんて素晴らしいだろう……すっかり南極へ行ったような気分でそんなことを想像し、胸が熱くなった。 こうやって、私は心の中で密かな計画を立てたのだった。
 が、その後、予想もしないことが起きた。 

 私は南極行きへ向けて約一年をかけて準備をし、とにかくバタバタと慌ただしい日常を東京で過ごしていた。 はじめのころ、私は南極というあまりに未知すぎる世界への憧れ、想像もできない、見たことも感じたこともない世界へ行ってみたいという想いに心を占領されていた。 そしてただまっすぐに、脇目も振らず、調査に向けた訓練、研究計画の具体化など、あまりにも多すぎる準備に取り組んでいた。 

 出発まであと3か月を切った、9月に入ったばかりの暑い日。 私は大学の研究室の教員に呼びだされた。

  「……あなたは、南極へ行くことができなくなった」 

 私には、その言葉の意味がすぐには理解できなかった。 まるで、時が止まってしまったようだった。私の頭の中は真っ白で、何も浮かんでこない。 ただただ、その言葉を理解しようとしたが、無音で微動だにしない世界に私は引きずりこまれそうだった。 

  「え、どういう意味ですか……」 

 必死に口を動かし、出てきた言葉だった。 やっと世界の音が聞こえ始め、夏の眩しい太陽の中、窓の外ではセミの声がうるさく鳴り響いていた。

 説明によれば、私は血液検査で引っかかったということだった。

 でも、そんなこと納得できない。 自分でも身体検査結果の控えは見ていたが、はっきり言って、血液検査の項目にたいした異常などないことを知っていたのだ。 もしあるとすれば、花粉やハウスダストなどへのアレルギー、もしくは、既往歴で小児ぜんそくがあったことくらいだろうが、そんなことは大した問題ではないに違いなかった。 しかも、この話を聞くより前に何の説明もなければ、再検査といったものもなかったのだ。 あまりにも突然過ぎた。どう考えても腑に落ちないことだらけだった。

 ただ南極へ行くことだけを考えていた私は、諦められるはずもなく、しばらくの間、なんとかならないものかと先生に取りすがり、その場であがいた。 しかし、私をずっと応援してくれ、南極への準備作業にともに取り組んできた信頼すべき目の前の人物は、辛く神妙な面持ちで、ひどく落胆していた。 その表情から、もうこれは覆ることのない決定事項であることを私は知ってしまった。 

 一年ものあいだ、ひたすらに南極へ向けて準備に取り組んできた。 もう目の前、というところだった。 部屋を出てから、私はどうしたらいいのかわからない気持ちでそれまでのことを思い起こし、現実というものを理解するにつれて涙がこみ上げてきた。 とにかくやりきれない思いで胸が張り裂けそうだったことは覚えているが、その日、その後の記憶がまったくない。 

 翌日は台風だった。 一晩中まったく眠れず、心に穴が開いたまま研究室を休んだ。 嵐の音を聞きながら、家の中でどうしたらいいのかを考えていた。 けれど、何も答えは見つからない。 

 今年行けない、ということは大きな問題ではなかった。 そこに隠されている意味はそんな一回限りのことではなかった。ここでこの結果を受け入れてしまえば、私は一生、日本の観測隊として南極へは行けないのだ。

 外国の基地へ行って研究すればいいよ、などという人もいたが、なんの気休めにもならないどころか、厳然とある矛盾に大きな疑問とやるせなさを感じた。 なぜ外国の南極基地には行けるのに、日本の基地には行けないという事態が起きるのか、と。 

 台風が過ぎ去ると、澄んだ空と空気、夏の終わりの日差しが眩しかった。 ツクツクボウシが鳴いている。 やりきれない、悔しい、先が見えない、そんな気持ちが続いていた。 けれど、今は歯を食いしばるしかない。とにかくできることはすべてしよう、そうするしかない。 あきらめてはいけない。

 それからというもの、希望の糸口を探して私は動き、もがきまわった。 しかし、結果はいっこうに覆る気配はなかった。もはやほぼ正式に近い決定事項のようだった。 私は自分に見えないところに存在する何かに不信感を抱き、大げさかもしれないが絶望を感じていた。 

 ところがその後、事態は急展開を見せる。 2週間が過ぎたころだった。 私はまた呼び出され、すぐに再検査を受けるように言われた。 突然、南極行きの光が差し始めたのである。 

 詳しいことは何も聞かされないまま、私は緊張しながら病院へ行き、検査を受けた。「何の問題もないですよ」と医者から告げられ、その日の検査はあっさり終わった。 どうも腑に落ちない。どう考えても形ばかりの再検査であることはあきらかだった。

 せっかく南極行きの希望が見え始めたというのに、それからしばらく、なぜか虚ろな気持ちだった。 些細なことでも大きく心が動き、浮き沈みを繰り返す、そんなことが続いた。 私は疑心暗鬼になって、さまざまなことへの不信感がずっと消えなかった。 そして、自分のそんな状態がとにかく嫌だった。 

 

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現代の探検家《田邊優貴子》 =72=

2017-03-06 15:43:27 | 浪漫紀行・漫遊之譜

○◎ Great and Grand Japanese_Explorer  ◎○

○ 北極・南極、アァー 素敵な地球のはて =田邊優貴子=  ○

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◇◆ 旅をする本の物語 = 1/3 = ◇◆

 「あの本、北極点の旅へ連れて行くことになったよ」 友人からのEメールが届いた。  6年前のある日、自宅に海外からの小包が届いた。 送り主は大学時代からの友人T。 彼は当時、タイの大学で博士課程に通っていた。 箱を開けると、手紙と、カバーもなく少しボロボロになった一冊の文庫本。

  手紙には、 “バンコクの古本屋で見つけました。 この本をアラスカの旅に連れて行ってあげてね”  と書かれてあった。  本のタイトルは『旅をする木』。 極北の自然を撮り続けて、1997年にカムチャッカでクマに襲われて亡くなった写真家・星野道夫さんの著書である。 

 私は彼の写真が好きで、なかでも、逆光の中でカリブーの群れが川を渡る写真がとりわけ好きだった。 初めて見たのは、中学生の頃だったろうか。 勢いよく川を渡っていくカリブーのシルエットが逆光で浮かび上がり、彼らの息づかい、足音や水の音が聞こえてきそうだった。 

 大学時代、当時住んでいた京都で、なんと写真展が開催されていると知った。 大学に入るまで、私は彼の写真を写真集でしか見たことがなかった。 私はなぜもっと早く写真展の情報を入手できなかったのかと少し悔やみ、はやる気持ちで、すぐに会場へ足を運んだ。 なにせ、高校まで青森に暮らしていた私にとって、そんな写真展がすぐ近所で開かれることなど到底考えられなかったのだ。 

 訪れてみて驚いた。  私の一番好きな写真が展示されているではないか。 それは写真集で見るものとはまるで違う。  大きく引き延ばされた写真にとにかく釘付けになったのを今でもよく覚えている。 写真集で見ていた小さな写真とは比べものにならない迫力に、私はその場から動けなくなった。

  暗い背景にカリブーの角や体が光で縁どられ、彼らが全身で作りだしたキラキラと輝く水のしぶきは、まるで一面にちりばめられた無数の星のようだった。  自分は今、宇宙にいるのではないかというような錯覚に陥った。 しかもそれは無機質な宇宙ではない、とてつもなく強い生命力がその空間全体にほとばしっていたのだ。

 心がザワザワして、気づくと涙がにじんでいた。  理由や意味なんていうものは、もはやなくなっていた。

 それにしても、どうして友人Tは古本なんて送ってきたのか、それに、旅に連れて行ってくれとはどういうことだろう。  バンコクの古本屋にこれが置いてあったこと自体はたしかに驚きだろうが、私の頭の中は疑問だらけだった。  いっこうに謎が解けないまま、 私はその本を手にとり、何気なく表紙をめくろうとした。  その瞬間、違和感があった。 

 表紙に書かれてあるタイトルが何かおかしい。  タイトル文字にボールペンで一本だけ短い線が加えられており、『旅をする木』ではなく『旅をする本』になっていたのだ。 ふっと、笑いがこみ上げてきた。 誰かのいたずら書きだろうか。 裏表紙側からなんとなくページをめくってみると、そこには4人の見知らぬ名前、その横にはそれぞれ異なる国と日付が書かれてあった。

 一番下には、 “⑤友人Tの名前(タイ:バンコク)06.2月 /バンコクの古本屋→インド→カンボジア→ベトナム→日本”

 同じページの右端には縦書きで、 “牛田圭亮(愛知県出身)スペインCadizにて” とだけ記されてあるが、日付はなかった。 この人物がどうやらこの本の最初の持ち主のようだった。  そのままパラパラと逆向きにページをめくると、表紙の裏の左端にメッセージが書き込まれているのが目に入ってきた。  

  “この本に旅をさせてやって下さい” 

 最初にこれを買った牛田圭亮という人物は、日本からスペインへの旅に、この「旅をする本」を連れて行ったのだろう。 その後、様々な国と人の手を通じて、タイの古本屋に売られたのか、もしくは4人目の人物が勝手に古本屋の片隅に置いたのか。 それをたまたま古本屋で見つけた友人Tが近隣諸国への旅に連れて行き、当時、京都にいた私に送ってきたのだった。 

なんて粋なことをする人がいるのだろうか。 自分がまったく見知らぬ、そしてこれからも決して出会うことがないであろう人たちのもとをわたり歩き、たくさんの偶然が重なって、今まさに、私のもとにこの本がたどり着いた。  私はその本を両手でしっかりと握り、額にくっつけてみた。 少しボロボロの裂け目、折れ跡、汚れから、この本がこれまで旅し、見てきたいくつもの物語、遠い異国の気配を感じた。 そして何よりも、偶然というものへの限りない不思議さを感じていた。

 本を受け取ったころ、私はちょうど引っ越しの準備をしていた。数週間後には京都の家を引き払い、東京へ引っ越さなければならなかったのだ。  9年間暮らした京都を離れて東京へ向かうのは、18年間過ごした青森を離れて京都へ行くときよりも、自分の人生の中で大きな転機だった。  これから何かが動きだす、そんな気がしていた。

 私は部屋の中で山積みになっていた引っ越しの段ボールの中にこの本を入れずに、いつも持ち歩くかばんの中にそっとしまいこんだ。

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現代の探検家《田邊優貴子》 =71=

2017-03-04 19:30:57 | 浪漫紀行・漫遊之譜

○◎ Great and Grand Japanese_Explorer  ◎○

○ 北極・南極、アァー 素敵な地球のはて =田邊優貴子=  ○

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◇◆ ラングホブデをあとにして = 3/3 = ◇◆

   やっと砂が飛んでこなくなり、エンジン音だけがけたたましく鳴り響いていた。 立ち上がって、体から砂をはらっていると、機内からしらせ乗組員が数名降りてきた。 みな、驚くほど嬉しそうな表情を浮かべ、はしゃいでいる。 そうなるのもしかたがない。 なぜなら彼らはずっと船の中で仕事をしているので、せっかく南極に来ているのに、大陸上に降り立つ機会がほとんどと言っていいほどないのだから。

  500kgの荷物の積み込みはすぐに終わったが、飛び立つのはまだ10分後ということだった。 記念撮影をする人、地面に手を触れてみる人、歩き回る人、岩の上にすわって景色を眺める人、雪鳥沢小屋の中を覗く人、みな思い思いの南極大陸を心の中に焼きつけていた。
 初めて降り立った南極大陸、しかもそこには信じられないような風景が広がっている。 少しでも長くとどまっていたいという気持ちはとてもよくわかる。

  予定の10分間はすぐに過ぎ、みな名残惜しそうに機内に乗り込んでいく。 ついに、ヘリコプターが離陸した。 窓に顔を押しつけ、外をのぞき込む。 雪鳥沢小屋がみるみる小さくなっていく。どんどん高度が上がり北上を始めると、すぐにラングホブデの全景が見渡せた。 小屋はもはや、小さすぎて認識できない。

  ヤツデ沢、氷河池、平頭氷河、雪鳥沢、雪鳥池、東雪鳥池……、3週間歩き回った場所を猛スピードで通り過ぎてゆく。 ついに長頭山を越え、赤茶けた岩肌が広がるラングホブデから離れてしまった。

  眼下にはもう、白と青だけでできあがった世界がどこまでも広がる風景しかない。 海氷上にところどころできた水たまりが、絵の具を落としたような水色をしている。 今私たちが見ているのは、数万年、いや百万年前と何も変わらない世界なのだろう。
 大きなテーブル氷山の脇に、いくつもの小さな黒い点が見える。私はいつまでも、窓の外に広がるすさまじい景色から目が離せなかった。 人間の手が届かない氷原を、そして、小さな黒い点でしかないウェッデルアザラシがのんびり寝そべる世界を、私はただただ呆然と見下ろしていた。

  10分ほど飛ぶと、果てしなく広がる氷原の中に、オレンジ色の点がポツンと見えてきた。 しらせだ。 どんどん大きくなる。 ヘリコプターはゆっくりと飛行甲板に着陸して、ブレードの回転が止まるまで機内で待った。 次第に音が小さくなり、ブレードが止まった。 機内が静かになり、ドアが開くと、真っ白な海氷の照り返しが眩しかった。 サングラスをつけて、慎重にはしごを3段下りたところで、私たちは久しぶりのしらせに降り立った。

  船に残る仲間たちと再会し、握手を交わした。 なんだか不思議な気分だった。

  野外から久しぶりに戻ってきた私は、いろんなことに驚き、違和感だらけだった。 楽しみにしていた風呂よりも、まずはトイレに驚いた。 トイレというものがあって、ドアには鍵がかかり、用を足したあとは水で流す。 それよりも驚いたのは、水道があって、ひねるとそこから水が出てきて、それで手を洗えるということだった。 久しぶりに手がきれいになった。
  時間になると、温かいご飯も出てくる。野外では自分たちだけでご飯を作る。 だから、何もせず、黙っているだけでご飯が食べられることに、またもや驚いた。

  ついに念願の風呂。 久しぶりに鏡でちゃんと自分の顔を見る。 フェイスマスクと日焼け止めのおかげだろう、意外と日焼けしていない。 温かいシャワーがとても心地よく、すぐに最高の気分になった。 しかし、頭と体を1回洗っただけでは泡立つ気配さえない。 3回目にしてやっと泡立ったのだった。 温かい湯船に浸かると、体の芯からあたたまり、私は幸福感に満ちあふれた。


 入浴後、意気揚々と、着の身着のままだった服、帽子、手袋などを洗濯すると、砂や泥で水が真っ黒になった。 これらのことには、驚いた、というよりも、感動した、という表現のほうがより近いかもしれない。 私たちの日々の生活の中で、これらは何の変哲もない、ごくごく当たり前のことだ。 けれど、この日、私はそんな些細なことが本当に新鮮で心から感動したのだった。

  さて、ついに明日はスカルブスネスだ。

  深夜、甲板に出ると、太陽が低く傾いていた。 白い氷原が、オレンジがかったあたたかい色に染まっていた。 もうすぐ白夜が終わり、太陽が沈む季節が来る。

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現代の探検家《田邊優貴子》 =70=

2017-03-02 10:11:34 | 冒険記譜・挑戦者達

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◇◆ ラングホブデをあとにして = 2/3 = ◇◆

  さて、今日は久しぶりの風呂だ。そう思うとなんだか口元が緩んでしまう。 楽しみでしかたないのだ。 風呂など、昨日まではどうでもよかったのだが、いざ、もうすぐ入れるとわかると、かなり待ち遠しい。 きっと、他の二人もそう思っているに違いない。 しかし、それよりももっと楽しみなことが私にはあった。 それは、明後日から1か月間滞在する、スカルブスネス露岩域へ行けることだ。

  スカルブスネスは、ラングホブデよりもさらに南、昭和基地から約60kmの位置にあって、この昭和基地周辺にいくつかある露岩域のなかで最も広い。 スケールの大きさ、観測小屋から見える景色、いくつも点在する湖。 どれをとっても素晴らしく、ワクワクする。 私が一番好きなエリアである。

 迎えが来るまでのあいだ、朝食をとり、ゆったりとした空気が流れる中でそれぞれの時間を過ごしながら待った。 いつの間にか、雲はほとんど消え、白夜の晴れ上がった青い空が広がっていた。 向こうには長頭山がくっきりと見える。 その横には、波のような羊のような、帯状の雲が白く光り輝いている。 恐ろしいほどに穏やかな空気だ。 気温はなんと8℃、風もなく、本当に気持ちいい。

 ずっとこんな天候が続けばいいのに。 なんだか急に寂しくなってきた。 さっきまでは荷物の準備でそんなことを考える間もなかったが、ラングホブデと今日でお別れなのだ。 たったの3週間。 短かったが、クリスマスも年末も正月もここで過ごした。 初日の出がない元旦を小屋の外に出て迎え、隊の旗を持ってみんなで笑いながら記念撮影をした。

 まさかこんな正月が来ることなど、こどもの頃は想像もできなかった。

 雪鳥沢、ヤツデ沢、平頭氷河、その途中途中で暮らしている生き物たち。 この小屋をベースにして、毎日のようにいろいろな場所へ足を運び、歩き回った。それでも、時間がなくて、行けなかった場所もある。 できることなら、ヤツデ沢のもっと南側、ハムナ氷瀑(ひょうばく)という氷河の近くまで足を運んでみたかった。 しかし、それはまた今度。 いつかまた、この雪鳥沢小屋に来たら絶対に行こう。

  長頭山がよく見える岩の上に腰掛けていると、ふと、一羽のナンキョクオオトウゾクカモメがすぐ横に飛んできた。 特にいたずらする様子もなく、こちらをじっと見ている。 少しゆったりとした雰囲気とその顔。 間違いない、いつもの水汲み場で水浴びをしているあのトウカモだった。

  「じゃあ、またね」

  小さな声で彼に別れを告げた。 すると、水かきの付いた足でトコトコと歩き、翼を羽ばたかせて去っていった。 あのトウカモはなぜ、私の目の前に飛んできたのか。 トウカモが何を伝えようとしていたのか、私には知る由もない。 彼はただ、黙ってポカポカ陽気を浴びたかっただけなのかもしれないし、なんとなく地面を踏みしめたかっただけなのかもしれない。

 けれど、一瞬だが、あの時、私とトウカモが共有した時間があった。 ただそれだけのことなのに、その時間は私の中である輝きをもっていた。 またここに戻ってくるまでの1か月間、いや、もしその時遭えなければきっと数年間、彼はこの先毎年ここに来て夏を迎え、秋になるとどこかへ旅立っていく。 私が日々の暮らしに追われているのと同じ時、彼もそんないつも通りの時間を生きているのだろう。
 決して交差することのないはずの二つの時間が、あの時、確実に交差していた。

  ゴゴゴゴゴゴゴ…………

  来た!  午前10時15分、予定より約2時間遅れで、迎えのヘリコプターの爆音が聞こえてきた。 発煙筒を焚き、オレンジ色の煙でこちらに誘導する。 久しぶりに見るCH101。 そばに並べておいた500kgの荷物の上で体を伏せ、フードをかぶり防御態勢をとった。 轟音と爆風とともにバチバチと砂粒が全身を打ちつける。 何度経験しても嫌な時間だ。

 

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