偏平足

里山の石神・石仏探訪

石仏番外 五葉山(岩手)

2011年07月02日 | 登山

五葉山(ごようざん) 津波記念碑(つなみきねんひ)

【データ】五葉山 1351メートル▼25000地図 五葉山、小白浜▼最寄駅 三陸鉄道南リアス線・唐丹駅(2011年3月11日の津波で休業中)▼登山口 岩手県釜石市と大船渡市の境にある赤坂峠▼石仏 五葉山山麓、釜石市唐丹字小白浜の盛厳寺境内

32713272 【独り言】五葉山の登山口・赤坂峠から東に下ると太平洋に面した唐丹(とうに)湾の小さな港町・小白浜に出ます。ここは高校時代の恩師が住む街。五葉山の帰りに恩師に会うため小白浜へ向かいました。熊野川ぞいののんびりした道です。それが突然変わったのは、三陸鉄道南リアス線が見えてから。一帯の民家は軒並み破壊され、熊野川に架かる鉄道は橋桁もろとも流されていました。それは気持ちが悪くなるほどの恐ろしい光景でした。幸いにも恩師の家は海岸ながら高台にあったため津波の被害はなく、ライフラインが復旧するまで多少の不便はあったものの、ご家族の皆さんも難をのがれ健在でした。もっともこの小白浜は過去の津波の教訓から高台に住居を移したこともあって、集落内にいて犠牲になった人は無かったそうです。そういう状況での訪問でしたから、45年ぶりの再会も地震と津波の話からはじまりました。

 小白浜の集落が高台に移転したきっかけは過去の大津波。それを末永く忘れないように、と建てられた碑が近くの盛厳寺にあるというので、恩師に案内していただきま3273 3274 した。碑は二つ。一つは明治二十九年の「海嘯紀念碑」、一つは昭和八年の「津波記念碑」。海嘯(かいしょう)は満潮の海面が河川を遡る現象だそうで、アマゾン川のポロロッカが知られています。この時代、津波という表現はなかったようで、隣町の大船渡市に残る明治29年の地震供養塔3基もすべて「海嘯」の銘になっていました。今回の津波は明治・昭和この二つよりも大きなもので、波は盛厳寺の境内まで押し寄せました。災害は忘れたころにやってくるといいますが、永い周期で繰り返す地震の津波は、一生に一度遭遇するかどうかの災害。小白浜でも新しい人は便利な海辺に家を建てたため、今回の津波に流されてしまったようです。被災地で何の被害もない家に住むのも心苦しい様子の恩師でしたが、笑顔は昔のままの美しい人でした。

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