薬師岳(やくしだけ) 薬師堂(やくしどう)
【データ】薬師岳 974メートル▼最寄駅 JR吾妻線・中之条駅▼登山口 群馬県中之条町山田の吾嬬集落▼石仏 薬師岳の山頂、地図の赤丸印。青丸は登山口▼地図は国土地理院ホームページより
【案内】薬師岳へは西にある吾嬬山との鞍部にある峠から登る。この峠には南の岩下と北の吾嬬の集落から林道が通じている。しかし車はいずれも集落先のゲートまで。吾嬬から峠までは、大竹川の上流沿いに約40分の林道歩きとなる。峠からは尾根をたどるが、踏み跡はしっかりしている。
薬師岳の山頂には南をむいて石祠が鎮座している。寄棟造りながら、上部を突き上げた入母屋造りに近い屋根と、室部正面の幾何学模様の窓は、近世初頭にこの山がある群馬地方で仏堂や墓石として盛んに造られたものによく似ている。台座を含めると90センチにもなる大きさで、くり抜かれた室部はご本尊を祀るための空間である。しかし、この時代の石造物の銘は風化して読めないことが多い。薬師岳の石祠には銘もない。以上のことを踏まえて、この薬師岳の石祠は薬師仏を祀った薬師堂としておく。手前に立つ石燈籠には「享保十六年(1731)辛亥天 奉納所願成就 施主原町宮崎孫左衛門」とある。原町は薬師岳の南東山麓の東吾妻町になる前の村名。薬師岳の信仰は南東側山麓の人たちによって続けられてきたようだ。
【独り言】祠内仏 薬師岳にあるような石祠が、関東から中部地方にかけての多くの墓地にみられ、そのほとんどが江戸時代初期のものであること。その内部に祀られている石像を祠内仏としていること。などはこのブログの倉岳山(山梨)や富士山(静岡)で案内したことがあります。これが薬師堂や観音堂にもなっていたことについては、拙著『東国の石神・石仏系譜』(注)の「祠内仏は道祖神の原型か」で、群馬県黒保根村(現桐生市)の江戸時代初期に造られた石造物から報告しましたので、興味のあるかたはご覧ください。薬師岳の帰りに、大竹川の下流の墓地で石祠型墓石に出会い、内部をのぞいたら祠内仏が残されていました。かつてはどの石祠型墓石にも祠内仏があったと思われますが、祠内仏のほとんどは失われています。ときには取り出されて境内の他の石仏とともに並んでいることもあります。
【注】田中英雄著『東国里山の石神・石仏系譜』平成26年、青娥書房