富士山・須山(ふじさん・すやま) 祠内仏(しないぶつ)
【データ】富士山 3776メートル▼国土地理院25000地図 印野▼最寄駅 JR御殿場線・裾野駅▼登山口 静岡県裾野市須山▼石仏 須山集落の祖霊社墓地。地図の赤丸印。青丸は道祖神、紫丸は須山浅間神社
【独り言】富士山の登山道で、裾野市の須山からの道ほど時代の波に翻弄されたコースはありません。江戸時代の宝永4年(1707)の富士山噴火で登山道が崩壊したのは天災としても、明治の神仏分離では修験道が廃止となり集落は神道に、明治22年の東海道本線(現・御殿場線)の開通では登山者が御殿場口にとられ、明治の末には登山道一帯が旧陸軍の演習場になって登山道は閉鎖されてしまいました。それでも今年6月に指定された富士山の世界文化遺産のなかに「須山浅間神社」と「須山口登山道」が含まれて、あまり知られていなかった須山にやっと光が差し込んできたという印象です。そんな須山を表敬訪問いたしました。
まず須山浅間神社で、声の美しい宮司さんに勧められたのが「寛保二壬戌天(1742)」銘がある石燈籠の火袋からのアングル。出来上がった写真はハート型になりました。宮司さんの話では、明治の神仏分離のと きに集落こぞって神道になったそうです。その結果できたのが寺院を改築して神社にした祖霊社だそうで、社殿裏の墓地には須山の歴史を物語る墓石がきれいに並んでいました。お盆がすぎて間もないのに線香を手向けた形跡がないのは神道のためなのでしょう。そのなかには宝永の火山で崩壊していた須山口登山道を安永9年(1780)に再興した名主・勝田惣次郎、渡辺隼人親子の墓碑もありました。わずかに残った仏教色は祖霊社前の観音堂。その脇に双体道祖神がありました。
静岡県の東部には双体道祖神があることは知っていましたが、ここで出会うとは思いもしませんでした。というのは、祖霊者の墓地で祠内仏を見てきたばかりだったからです。祠内石仏というのは戦国時代末期から江戸時代初期に関東から甲信越地方で造られた石祠型の墓石に納められた石仏で、そのほとんどが双体であることから、私は道祖神の原型ではないかとみている石仏です。その根拠の一つは、祠内仏と初期道祖神の類似です。江戸時代初期に終焉する祠内仏は男女の区別がない坊主頭の双体像です。道祖神は江戸時代初期に出現しますが、そのほとんどは男女の区別がない坊主頭の双体像なのです。それから双体道祖神は石祠型墓石が造立された地方と重なっていることです。興味がある方は『日本の石仏』№111の「石祠型墓石と祠内仏」で報告してありますので見てください。こんなわけで、須山では世界文化遺産より、祠内仏に興奮してしまいました。