偏平足

里山の石神・石仏探訪

石仏154御嶽山剣ヶ峰(長野)

2008年07月23日 | 登山

御嶽山・剣ヶ峰(けんがみね) 不動三十六童子(ふどうさんじゅうろくどうじ)

154_2  【データ】剣ヶ峰 3067メートル▼25000地図 御嶽山、御嶽高原▼最寄駅 JR中央本線・木曽福島駅▼登山口 長野県王滝村田ノ原、木曽町三岳の中の湯▼石仏 剣ヶ峰の一ノ池火口壁

1541_2  【案内】剣ヶ峰の社務所の左から裏にまわると御嶽山一ノ池の入り口。降り始めるとすぐ不動明王を守護する三十六童子の文字塔が迎えてくれる。まずは矜迦羅童子、まだ新しい塔である。続いて制吨迦童子。ここには新旧二基の塔が並ぶ。この後、一の池の火口壁の上に不動恵童子・光網勝童子と新旧の文字塔が並んで三十六まで続く。古い塔のほとんどは傾き、倒れ、二つに折れたりしている。『御嶽の歴史』(生駒堪七著、昭和41年)によると、この一ノ池に不動三十六童子を勧請したのは尾張の御嶽行者・儀覚で、「下総の成田山新勝寺の三十六童子を勧請した」としている。成田山が江戸深川の永代寺境内で本尊不動明王の出開帳を始めたのは江戸時代の元禄期。その後頻繁に出開帳を続けた結果、成田山の信仰は江戸庶民に大いにひろまった。これが諸国の大名にも信仰され、その郷里に成田山が勧請されて今に至る全国規模の信仰になった。とりわけ熱心だったのは尾張藩だったようだ。こうした流れのなかで成田山の不動三十六童子も江戸から尾張、そして御嶽山に勧請されていたのであろう。

1542  【独り言】不動明王の火焔(かえん) 御嶽山一ノ池の三十六童子の最後には、不動明王が鎮座していました=写真上=。それほど古いものではなさそうですが、火焔がなんとも不自然で、肝心の不動明王が負けてしまっています。不動明王の火焔の表現は難しいようで、特1544 に石仏では処理に苦労しているようです。賽の河原から三ノ池に下る道には二体の不動明王がありました=写真中=。一体は首無しで火焔もありません。石仏では火焔を省略することは珍しくありません。もう一つは火焔つきですが、炎に勢いがありません。火焔の多くは向かって左から右に流れています。逆の流れの火焔もありますが、どこか1543_2 落ち着かない感じを受けます。私が右利きのせいでしょうか? 写真下は黒沢口女人堂上の不動三尊。不動の火焔はだいぶ省略されています。矜迦羅と制吨迦の二童子を従えたこの形は石仏でもときどき目にします。宝棒を持つ腕白小僧が制吨迦、合掌あるいは蓮華を持つおどおどした小僧が矜迦羅です。

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