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出師の表

2017年10月13日 | 人生訓

出師の表

「先帝は漢王朝再興事業を始められましたが、完成しないうちに、崩御されてしまいました。

今、天下は三分され、我が益州は疲弊しています。
これはまさに益州の危機であり、存亡のかかった重要なときであります。
それにも関わらず、護衛の臣が、宮中で職務を怠らず、
忠義に篤い武人が、戦場で身を顧みないで戦うのは、
おそらく、先帝の厚い待遇を思い返し、これを陛下に対して報いようと思うからでありましょう。
陛下は進言を広く受け入れるようにして先帝の遺徳を明らかにし、
志ある者の志をさらに広げるようにするのが良いでしょう。
また、みだりに徳を薄くするような行動をしたり、都合のいい例を引いたりして、

正しい道を外れ、忠義の心から来る諌言の道を塞ぐのは良くありません。
さらに、宮廷と丞相府は一体となり、役人を評価して昇進または降格させるときに、
意見が食い違わないようにするのが良いでしょう。
もし不正を行なう者や、忠義で善良な行動をとる者があれば、
そのことを役人に委ねて、その刑罰と褒賞を議論させ、
それによって陛下の公正で明白な法律を明らかにするのが良いでしょう。
皇后や卿大夫にひいきして、等しく法を適用しないのは良くありません。

侍中・侍郎の郭攸之・費褘・董允らは、みな良実で、考えは忠純です。
このため、先帝はこれらの者を選抜して陛下に残したのであります。
宮中のことは、大小に関わらず、全て彼らに相談し、その後実行するようにすれば、
必ず欠点や手落ちを補って陛下を助け、広く世に利益をもたらすことができるものと、

愚考する次第であります。
将軍向寵は、性行善良で分け隔てがなく、軍事に精通しています。
かつて彼を試用してみたとき、先帝は彼を有能であると賞賛されました。
このため、衆議は一決して彼を都督に任じたのです。
陣営の中のことは、全て彼に相談すれば、必ず軍を統率されて争わない状態にし、
優れた者が上に立つ構造を築くことができるものと、愚考する次第であります。

賢臣に親しんで小人を遠ざける、これは前漢が繁栄した理由です。
小人に親しんで賢臣を遠ざける、これは後漢が衰退した理由です。
先帝は、まだ生きておられた頃、私とこの事について議論するごとに、
いまだかつて後漢の桓帝・霊帝に歎息痛恨しなかったことはありません。
侍中・尚書・長史・参軍は、みな善良で意思が堅く、貞節のために死ねる人物です。
どうか陛下は彼らに親しみ、信任してください。
そうすれば、漢室の再興は、日を数えて待てるほどで叶うでしょう。



私はもともとは仕官しておらず、自ら南陽で耕作を行って、

ただ乱世に天寿を全うできればよいと思い、
諸侯に名声が轟いて高官に出世することを求めていませんでした。
先帝は私が身分賎しき貧乏人であることを問題とせず、
かたじけなくも自らへりくだって来てくださり、私を草廬の中に三度も訪れて、

私に当世のことをお尋ねになりました。
私はこのことで感激し、そのまま先帝に仕えて奔走することを承諾したのです。
のち、国家転覆の危機に直面し、敗軍の際に任務を受け、危難の間に命を捧げました。
あれから二十一年が過ぎようとしています。

先帝は私が行動を控え目にしていることを知っておられました。
そのため、崩御されようとしたとき、私に大事を託されたのです。
しかし、私は命を受けて以来、朝から晩まで憂えてため息を落とし、
付託に対して何の成果を挙げることもできず、

先帝の聡明さに傷を付けてしまわないかと恐れていました。
そのため、五月、濾水を渡って不毛の地に入りました。
今、南方は既に定まり、兵力も既に十分備わっています。
ここは大軍を率いて北へ進み、中原を平定すべきです。
私の非才を使い尽くして悪人を打ち払い、漢室を復興して旧都洛陽に戻れたらよいと思います。
このことこそ、私が先帝のご恩に報いて、陛下に真心を尽くす務めです。
政策を考え、真心を尽くした進言を行なうのは、郭攸之・費褘・董允らの務めです。
どうか陛下は私に賊を討ち漢室を復興する任務をお任せください。
成果が上がらなければ、私の罪を処罰して先帝の霊にお告げください。
もし徳を高めるような進言がなかったら、郭攸之・費褘・董允らの怠慢を追及し、
その過失を公表してください。
陛下もまた自らお考えになって、正しい道について臣下と相談し、
的確で合理的と思われる進言をお入れになって、深く先帝の遺言を思い返しますのがよいでしょう。
私はご恩を受け、感激に耐えません。
今こそ遠征を行なうべきです。
この表に向かっていると涙がこぼれてしまい、

何を申し上げるつもりだったのか忘れてしまいました。」

そのまま進軍して沔陽に駐屯した。


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