愛しのリビヤ

日本からの訪問者がそれほど多くないリビヤに滞在する機会を得た。そこでその経験を記録することにする。

おわりに

2003-12-21 08:53:45 | リビヤ
冒頭にも書いたが、来訪するまでは楽天的な小生でさえも少なからず不安と懸念を持っていた。すなわち、諸君と同様にイスラム国家、独裁国家、社会主義国家、いずれをとっても悪い印象しか持てなかったのである。
しかし、わずか8月の滞在でこの印象は180度変った。とはいっても日本人が実際に生活するには窮屈であり、これといった娯楽もない上に、絶対的に緑が少なく、日本人が好むような観光地もあまりない。とはいうものの、ケントン氏が4月に1度の休暇を取ったおり、彼らは母国に帰らず子息2人をリビヤに呼び寄せ、彼ら家族でリビヤ国内を旅行するという。疑問に思った小生は、彼に「リビヤには砂漠しかなく、それほど見るべきものがないのではないか。」と訊ねたところ、小馬鹿にしたような態度で、「2週間の休暇では足りないほどみるべきところがある。」との答えだった。またまた、西洋人は遊び方がうまいとつくづく感じ入った次第である。「ついでに現場を彼らに見学させてはどうか。」と提案したところ、即座に拒否された。小生はそのつもりで言ったわけではないが、公私の区別はきっちりしているものなのだなと、これまた西洋人とは思考回路が違うと感心した次第である。かように外国人の視点に立つと違った目で見られるかもしれない。
教育面の関してもトリポリにはあってもベンガジには日本人学校がないので問題がある。このような国ではあるが、外見に似合わず、人は皆親切で気さくである。それでも日本人が住むにはそれなりの覚悟が必要であることは間違いない。特に夫人同伴のときは精神面のケアが必要であろう。
僅かな期間の滞在であったが様々な出来事があった。
中東イラクでは戦争が激化しCNNのニュースではその話題一辺倒であったこと。SRASの問題で日本からの入国禁止措置がとられ、休暇中であったS氏の再入国が1月余遅れたこと。衆議院選挙で辛くも自民党が勝利したこと。小生の帰国間近になってのサダム・フセインの拘束など国外にいてこそ身近に感じられたのであろう。そのほか夕食に招かれたことや招いたこと。ある日、外国人を対象にアルコールが解禁されたとの怪しげな噂をケントン氏から聞いて、ありもしないアルコール入りビールを求めて、ドドンとボンガボンを引き連れホテルのレストランまでいったこと。今にも完了するかのようにいったにもかかわらず設計変更や工事金入金に時間が余りにもかかりインシャーラの世界にイライラしたこと。初めて見る地中海や偉大なる遺跡に感激したこと。子供病院看護婦チームとディーンさんが会長となっている自治会のスポンサーとなったベンガジ・フィリピン人会主催のスポーツ大会に招待され、正面の客席に座って余興の美人コンテストを堪能したこと。M社がリビヤ防蝕協会の新会員となり、夕方催された講演会に招かれビールならぬコーラを飲みながら退屈な公演を延々と聞かされたこと。総合商社ゆえ様々な来客を迎えたこと。はるかかなたの砂漠の現場に行ったこと。その現場への途中、道路横断中の駱駝の親子に珍しそうに見られたこと。これらは全て楽しい思い出である。

(東洋人が珍しいのかこちらを見ていた)
それほど多くの国を知っているわけではないが、オーストラリアに次いでリビヤは好きな国の一つになった。死ぬまでにもう一度訪れたい国ではある。

リビヤ最後の日

2003-12-20 18:19:44 | リビヤ
リビヤ最後の日となった。
搭乗手続きをして待合室で待つ。待合室といってもほとんど何もないところで椅子に座って待つのみである。この待合室に入る前に土産物屋があったので覗くと種類も少なく触手の動くようなものは売っていない。唯一買い求めたものは、サハラ砂漠の現場に行った際に見せられたリビアンローズが安く売っていたので、それを買い求めた。聞くところによれば、これは数年前までは持ち出し禁止となっていたとのことである。
この石は一般的にはデザートローズ(砂漠の薔薇)と呼ばれており、オアシスがあった場所で産出され、オアシスが干上がる際に、水に溶けていた硫酸カルシウムが、カルサイトや石膏や透石膏と一緒にバラ状に結晶したものであるらしい。

(トリポリ空港の売店で求めたリビアンローズ 愛と知性の石)
定刻が来て英国航空に乗り込んでロンドンに降り立った。ここで1泊して日本に帰国した。

旧市街

2003-12-20 17:46:20 | リビヤ
今日はリビヤを後にしロンドンに向けて発つ日である。予定は午後からトリポリ事務所へ行き挨拶したのち空港へ行くことになっている。
昨日と同様、午前は自由なので城壁内の旧市街地へ行ってみた。

(城壁内が旧市街地)                       (旧市街地内)
開け放たれた城門をくぐると何やら怪しげな路地があり、目的もなくあっちへ行ったりこっちへ来たりと無目的に歩き回った。少し賑やかな路地では、香辛料、衣類、土産物、その他雑多なものが売られていた。珍しいところでは、公衆電話が数台置いてある部屋があって、多くの人がそれを利用していた。
人の流れにそっていくと、市場の通路となっていて、そこには豚を除く駱駝を含む肉類、魚介類、野菜類を販売する店が軒を連ねていた。

(怪しげな路地)                         (少し賑やかな路地)

(公設市場?)                           (市場の道路側)

レプティス・マグナ遺跡

2003-12-19 17:40:42 | リビヤ
正直言って小生はリビヤ最大のこの遺跡を見ることは諦めていた。しかし、帰国にあたりM社のS氏の配慮により調査をする機会を得たので、リビヤ観光をする諸氏のために少し紹介したいと思う。
この日も金曜日であり、午後2時半過ぎからM社トリポリ事務所のアデルさんの運転でS氏が案内してくれた。S氏にとってこれで2度目の訪問とのことであった。
12月19日なのに気温は19℃、信じられないような暖かさである。そこはトリポリから東へ約1時間半ばかりのドライブであるが、景色はベンガジと根本的には変らない。ただ印象に残ったのは、ベンガジに比べて緑が多いことである。木々も多いし地に這う草も圧倒的に多いように思う。確かにトリポリは建物も近代的で物量も豊富な大都会ではあるが、長く居たせいか田舎者の小生にとってはベンガジの方が馴染める感じがする。
直進すればベンガジを越えてエジプトまで行ける広い道路をやがて左折Uターンしてすぐに右折するとそこが目的地であった。アポロニアの遺跡に比べて幹線道路脇でなんだかあっけないような気の抜けたような今から遺跡調査だと意気込めるようなものは何も感じ取れないところにそれはあった。
それほど広くない未舗装の駐車場に入ると正面にガイド用の小屋があり、2人が手持ち無沙汰に人待ちをしていた。そこから少し離れた左側に土産物売り場があり、遺跡のロゴが入ったTシャツや民芸品などを売っていたが、客は皆無であった。
カメラを持って車から降りるとそこへは行かずに入口近くにある入場券売り場へ行く。入場料3LDとカメラ使用料5LDを支払って中に入る。生垣に挟まれた狭い通路を2分程歩くと、そこに神殿風の門が鎮座していて視界が広がった。思わず「すごい!」と感嘆の声を上げてしまうほど大規模な遺跡であった。

(チケット売場)
階段を下りる前に早速シャッターを切る。数少ない案内板をみると紀元後間もない頃の遺跡であり、世界遺産にも登録されていることがわかる。S氏の説明では何でもローマ帝国時代この地出身の5賢帝の1人がこれを造らせたそうである。

(世界遺産に登録されているという碑文)                (入ってすぐの正面にある門)

日本と違って順路というものがなく案内板もないため、S氏の案内でただぶらぶらと2人で歩きまわる。ここで彼ら彼女達は用を済ませたのか、ここで服を脱いで風呂に入ったのかと感心しながら、小生は時々脇道へ逸れ写真を撮り、ただすごいすごいを連発するのみである。ここはスーサとは異なり海岸近くで海水浴に最適なビーチもある。劇場にしてもアポロニア遺跡より随分大きい。ただ残念なのは金曜日の休日であるにも関わらず観光客が非常に少数であることである。

(トイレの跡)


(大劇場跡)
石畳の通路脇には大理石の柱や梁が倒れたままとなっており、修復する意思さえ垣間見られない。小生はここへ来た記念として薄緑大理石円柱のかけらと水仙の種を拾得してこっそりポケットに入れて持ち帰った。これは今も自宅に置いてある。

(このような梁や柱が倒れたままになっている)             (これで遺跡箇所が海岸線にあることがわかる)
2時半過ぎにホテルを出たが、すでに日は落ちて薄暗くなっている。ただ当てもなく歩いただけで1時間半居たことになる。結局ここでも何も買わず、ホテルへ直行する。
途中でアデルさんが車を停めると道端で売っている蜂蜜を買い求めた。ここでもほとんど花らしいものをみかけないので不思議に思っていたが、突然思い当った。それはオリーブである。この木はいたるところにあったのだが、花の色が緑なので同化して思い至らなかったのである。

(蜂蜜売り)
6時になり、アデルさんは道路脇に車を停めるとモスクへ礼拝にいった。15分は戻ってこないと思って諦めて待っていたが、5分で帰ってきた。もういいのかと聞くと、参加するだけでいいのだとの返事が返ってきた。このようなモスレムもいるのかと感心しながらリビヤ最後の日が暮れた。3月にマルタの資本で建てられた真新しいコリンシアホテルで二泊してリビヤもさよならである。

ホテル周辺

2003-12-19 17:04:22 | リビヤ
午後からはレプティスマグナ遺跡に行くことになっているが、それまでは全くのフリーであった。
部屋はかなり高い場所だったので、そこから見える範囲の写真を撮った。

起床してホテルにいてもすることがないので、ホテルの周りを散策することにした。
写真でもわかるようにすぐそばが海岸である。まずそこへ行ってみた。

(トリポリの海岸)
そのあと、旧市街がある城壁へ行った。城壁の中が旧市街である。城壁や広場の周りではスーダン人と思われる黒人ばかりが何をするでもなくたむろしていた。

(旧市街の外)