プロポーション
骨組み
日本初の高層ビル“霞が関ビルディング”や、
新宿副都心の超高層ビル街の設計などに携わった
台湾出身の建築家・郭茂林のドキュメンタリー。
昭和30年代までは建築基準法で定められていた高さ制限によって
31m以上の建物は建てられなかった。
その為に敷地いっぱいいっぱいの建物で敷地内に空き地はほとんどない状態だった。
郭茂林は「高度成長期の時代、空を使わないテはない」と建築基準法を改正する為に動いていった。
そして、法律は改正され、高さ制限だけではなく、
容積率も改正されたので空き地も設けられるようになった。
H鋼を導入し、工場で組み立ててから現場に持ち込む作業の効率化。
都市計画では歩道と車道の分離など、基盤を築く。
日本での高層ビル建設や都市計画で得た技術を台湾での高層ビル建設や都市計画にも還元した。
日本統治下の台湾では工業学校の入試では
50人採るうちの40人は日本人で、10人は台湾人という狭き門だった。
日本に渡り、日本国籍を得ても「名前は親からもらったから」と日本名にはしなかった。
それは台湾人としてのアインデンティティを保ちたかったからだろうか?
日本を選んだ郭茂林と中国を選んだ李登輝(元中華民國総統)。
選んだ道は異なっても台湾の為に貢献した二人の対談は気骨に満ちていて実にカッコ良かった。
日本での建物は四角い箱型で直角だが、
台湾での建物はサイドやエントランスの庇?には曲線を取り入れている。
台湾人の郭茂林にとっては祖国のほうがソフトになれるのだろうか?
日本ではまとめ役に徹し、台湾では自ら設計を手がけていた。
(もしかしたら、日本では台湾人という事で何らかのしがらみもあったのかしら?)
台湾の大学で若い学生達に「骨組み(柱・梁の構造)が大切」だとアドバイスする姿が印象的。
構造が最も重要なのは少しでも建築を学んでいれば承知している事ではあるんだけど、
若い頃は建築士として自分が一歩リードしたい、認められたいという気持ちが先走るから
居住者や建物を利用する人の機能性や利便性よりも
見た目のデザイン(芸術性)に走ってしまいがちなんだよね。
だから、郭茂林のアドバイスは若い建築学生達にとってはプラスになっていくと思う。
郭茂林は息子さんと台湾へ里帰りの旅をするけど、息子さんや今の家族の事は語らず、
生まれ育った台湾、建築家として歩んだ日本での人生の軌跡を
関係者のインタビューを交えて描いている。
台湾の高齢の方は日本統治下の頃に日本語教育を受けているので
今でも日本語を話せるのはわかるんだけど、
多分、日本語教育を受けた世代ではない中年ぐらいの方でも日本語を話しているのには驚いた。
台湾は親日的な国なのでしょうね。
台湾で自身が設計した建物を眺め、「良いプロポーションだろ。」と話す郭茂林は
少しナル?な感じもしたんだけど^^
郭茂林にとって空を開拓するように大きく存在する建物は
まるで恋人のように愛おしい存在なのでしょうね。
常人なら現行の法律内で折り合おうとするけど、それをせず、
建築基準法を変えてまで挑むのは当時にしたら異端ではあっただろう。
だけど、周囲の人達と動けたから成し遂げられたのでしょうね。
自身の建築事務所は“KMG”=“Kaku Morin Group”。
つまり、自分の周りにいる仲間と共に築きあげていく思いが込められている。
日本では設計はしていなかったからか、建築家としての知名度は高くないので、
この作品を観て郭茂林の事を知り得る事が出来て良かったです。