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卑弥呼はどこ?  【 ロマンの考古 ⑤ 】

2015-12-20 18:36:58 | 日記
この度、弥生時代後期の謎のロマンを求めて九州北部を旅して、卑弥呼に迫りたいと思っていた。

卑弥呼は存在したのか?
「日本の考古学は理性より信念」の指摘に、「感性」で卑弥呼をロマンチックに考えたい。

日本書紀に卑弥呼と神功皇后(仲哀天皇の后)は同じと見る向きがあるが疑問である。
また日葉酢媛(垂仁天皇の后)と同じという説もある。

古事記、日本書紀はヤマト政権権威づけの意図もあり、神話的要素があると考えられる。
卑弥呼=神功皇后=日葉酢媛?
卑弥呼と神功皇后と日葉酢媛の混乱の原因は墓の推察にある。

墳丘と前方後円墳の違いは大きな意味を持つ。
卑弥呼の墓の説は、箸墓古墳、平原遺跡、吉野ヶ里、御所市墳丘等々意見が多い。
魏志倭人伝の「径100歩(150m)の丘」であればどこでもありそう。
箸墓古墳が卑弥呼の死と同じ年代で有力視されているが?
宮内庁が2013年考古学会に立ち入り調査を認めたが効果はなかった。


神功皇后は仲哀天皇と一緒に祀られている香椎神宮が浮かぶ。場所は博多の東であるが、
神功皇后伝説は博多の西に多い。

神功皇后の墓は、奈良・五社神古墳、佐紀陵山古墳と言われたが、
後に佐紀山古墳は日葉酢媛の古墳と訂正されたり、
日葉酢媛は狭木之寺間陵とも言われ、混乱が続いている。


謎が多い、神話と史跡が混じり合う時代。

神功皇后が祀られている神社は多いが、ほとんどが誰かとの合祀である。
誰かは、仲哀天皇、武内宿祢が多い。
単独で神功皇后が祀られている神社が、唐津の鏡神社、鏡山のふもとにある。
鏡神社
神功皇后が三韓征伐後、鏡を奉納したとある。
鏡山
卑弥呼伝説が九州と近畿にあるのは何故か?
卑弥呼が邪馬台国で魏の使者と面会したのは、代理の女性との説もある。
生涯独身で誰とも会わなく、身の回りは一人の男性がしていた。1000人の兵で警護していた。

卑弥呼はヤマト政権によって拉致されいた?
志賀島の金印の謎も解けるかも!?

王が民衆と会わないと、人心が離れていくのが道理。
(邪馬台国への求心力が弱まり、倭国(九州北部)はそれぞれの王族や国造で再び内乱の時代に。)
玄界灘に面した諸国(奴国、伊都国、不邪国)はヤマト政権に従していった。
奴国では鉄器やガラスの生産が行われ、ヤマト政権の強い力になり、
九州征圧が進んだと考えられる。


卑弥呼が拉致された事に怒った投馬国(熊襲)が仲哀天皇を香椎で暗殺した。
後の磐井の乱につながっていく。
感性のロマンです。

甘木市に「卑弥呼の湯」がある。
卑弥呼の湯
卑弥呼と温泉に入った気分になろう。

ロマンは続きます。

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