matasaburo3の散歩日記

日本各地を旅しながら、日本の四季を撮ります。
又、世界各地の街を巡りながらの印象記やあれこれ。

 駒場公園と旧前田家本邸

2019-05-08 11:32:28 | 東京散歩




 駒場

 4月下旬、駒場公園を訪ねました。
小田急線「東北沢」駅から10分程歩き
ました。

旧前田家本邸の屋敷地は昭和42年(1
967年)、駒場公園として開園されま
した。

敷地の全体配置は前田家が居住していた
頃の姿を現在も良く残しています。


  (洋館玄関)

旧加賀藩主前田家16代当主の侯爵前田
利為の居宅として、昭和3年から5年に
かけて建設されました。

その広壮さは、個人邸宅としては東洋随
一と称されました。

滞欧経験が豊富で駐英大使館附武官も務
めた利為は、洋館は迎賓館としても利用
できるよう、和館は外国からの賓客に日
本文化を伝える空間として設計されまし
た。


  (玄関広間)

階段のある広間は洋館の「顔」で、彫刻
の施された豪華な階段が目を引きます。


  (書斎)

前田家は、明暦3年(1657年)から
本郷に上屋敷を営み、明治維新後約10
万坪あった上屋敷の大半は文部省用地
(現東京大学本郷キャンパス)となり、
約1万坪が前田家の屋敷地として残り
ました。

大正13年、関東大震災後の復興計画を
機に、隣接する東京帝国大学が敷地拡張
のために、駒場農学校との土地交換を打
診してきたことから、本邸の駒場移転が
スタートしました。


  (和館玄関)

和館は木造2階建の近代和風建築で、庭
園側から見ると銀閣寺とプロポーション
が似ているそうです。


  (1階大広間)

書院造で、大名家らしくスケールの大き
い構えです。


  (池泉庭園)

池泉庭園は流れを中心とした設えで、
灯篭や景石の一部は本郷邸から移設
したものと伝わります。

昭和17年、前田利為が太平洋戦争で
戦死した後、邸宅は中島飛行機製作所
に渡ります。

戦後はアメリカ極東軍空軍司令官の官
邸として連合国軍に接収されました。

昭和初期の上流華族の生活をうかがい
知ることができる貴重な文化財です。


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