備中神楽を応援するブログ

備中神楽の勉強をします。コメントより連絡先を!パスワードをお知らせします。連絡先はオープンされません。登録者は75名。

岩倉山神社(追記)

2008年02月29日 20時51分46秒 | 神社
井原中心部から笠岡方面へ県道を走ると、山王を越え宮の端の交差点付近に岩倉山神社が左手に見える。道路沿いでよく見える場所に存在する。主祀神は吉備津彦命で合祀されている神が、大国主命、神日本磐余彦命、猿田彦命となっている。本殿の右側に和霊神社、左側に荒神社となっている。和霊神社の鳥居横に記念碑がありこの神社の説明が記載してある。神日本磐余彦命(かみやまといわれひこのみこと)は神倭伊波礼毘古命とかかれることもあり、第1代の天皇である神武天皇をさす。


http://map.goo.ne.jp/map.php?MAP=E133.28.43.28N34.34.20.436&ZM=10

追記
岩倉山神社由緒
「吉備津彦命、賊徒討平の時、陣営とした。山容位置が吉備中山に似ているので同命(みこと)を奉斎した。」
賊徒平定のために岩倉山に陣営をとったのは、若建吉備津彦命であった。

この神社には御神体として若建吉備津彦命の兜が祀ってあったそうです。
しかし50年ほど前に浮浪者が夜に焚き火をして火事になり焼けて消失したそうです。

主祀神は吉備津彦命となっているが、この命は若建吉備津彦命をさしているそうです。
吉備の平定に回ったのは若建吉備津彦命で、特に井原の地に平定に来た命は若建吉備津彦命と言い伝えられている。

王子神社(おうじじんじゃ) 上稲木町

2008年02月26日 21時00分16秒 | 神社
王子神社(おうじじんじゃ) 上稲木町
上稲木町の県道3号線を笠岡方面に進み塩飽店を過ぎ、上稲木中公民館を過ぎて、右方向かなりわかりにくいが道路よりそれほど奥に入ることなく神社にたどり着く。(道路から歩いて1分かからない。)

 

井原市史によると、天忍穂別命が主祀神となっているが、天忍穂別命という名称の神は聞きなれず、天忍穂別神社は存在する。天忍穂別神社の主祀神は天忍穂耳命である。この神は皇太子神社の主祀神がこの神である。別名、正哉吾勝勝速日天忍穂耳命(まさかあかつかつはやひあめのおしほみみのみこと)である。
王子、皇太子の言葉が表すように、天照大神の皇子をさしている。

地図はこちら!
http://map.goo.ne.jp/map.php?MAP=E133.27.15.074N34.33.3.636&ZM=9

青龍神社(せいりゅうじんじゃ)西方町

2008年02月25日 20時17分18秒 | 神社
青龍神社(西方町)
岩倉山神社のちょうど反対側に位置する。岩倉山を西から上ると岩倉山神社、東に回って上ると青龍神社となる。神社の眼前には池があり、宮前池という。
御祀神は、表津少童神(うわつわたつみのかみ) 中津少童神(なかつわたつみのかみ) 底津少童神(そこつわたつみのかみ)の三柱となっている。この神は、伊奘諾尊(いざなきのみこと)が黄泉国から帰ってきて禊を行ったときに生まれた神である。


神亀2年(725)の勧進と伝えられ、当時、うち続く干害に住民が天神地祇を
祈願していたところ、これらの神が現れ、「吾を祀るならば幸せを招来すべし」と宣わ
れ、たちまちのうちに池を造って、その池に入って身をそそぎ、その形を変えて幼い子供神となって、そばの社に隠れられたという話が伝わっている。村民は、池の西の山に社殿を営み奉斎したという。



摂社も多く若宮神社、疫神社、御崎神社、巖橋神社、山神社、上諏訪神社、荒神社、水神社、木野山神社、火御崎神社、下諏訪神社、稲荷神社が祀られている。

地図はこちら!
http://map.goo.ne.jp/map.php?MAP=E133.28.47.592N34.34.20.627&ZM=10

井森神社(いのもりじんじゃ)北山町

2008年02月24日 21時17分59秒 | 神社
井森神社(いのもりじんじゃ)北山町
北山町のパラグライダーの滑走場のすぐ近くに井森神社は存在する。
井原町の井森神社を勧請したもので、御祀神は吉備武彦命である。青蔭山城主が城内に祀ったのが始まりとされている。



地図はこちら!
http://map.goo.ne.jp/map.php?
MAP=E133.27.55.888N34.36.26.788&ZM=9



郷社(追加)

2008年02月22日 06時47分31秒 | 神社
郷社の摂社の中に事代主命が祀られている。

井原市内で現在尋ねて行った神社の中では主祀神としてはなかったように思います。
摂社、末社では恵比須が祭られているものはありました。
事代主命としては旧井原市では郷社内のこの摂社が一番はっきり書かれています。

拝殿に向かって右側に事代主命の摂社があります。



郷社(ごうしゃ)完結

2008年02月21日 07時20分23秒 | 神社
郷社完結
出雲大社から最初に勧請された地は芳井町川相で大社(オオコソ)という地名が付けられている。川相小学校よりさらに西に入ったところである。
やがて天神山に祀られることになるが、この天神山の地に足次山(あすわやま)と言う山がある。岡山県の山100選にも選ばれている。
http://www.kct.ne.jp/~yamamoto/00F_okayama100.htm

明治22年吉井村、天神山村、川相村が合併し足次村になっている。
その後、芳水村と足次山が合併し芳井村となり、足次の名前は消えてしまう。

芳井町天神山にある大山神社の摂社に足次神社が存在する。
御祭神は天須葉神、宇賀之御魂命となっている。

足波と書くべきところ足次と間違えた可能性も記録によると存在する。らしい・・・


応永年間に天神山より足次大明神として井原町倉掛の地に合祀され、現在に至っている。(後月郡誌)

この神社の御祀神である阿須波神(あすはのかみ)は素戔嗚命(すさのおのみこと)の子供の大年神(おおとしがみ)の子供であり、大山咋神(おおやまくいのかみ)と兄弟である。

以上のことにより郷社は

足次山(あすはやま)神社であるといえる。
読み方は「あすは」と書いてASUWAと読むようです。

正解者1名


郷社その3

2008年02月20日 20時09分45秒 | 神社
西江原に足次神社(あしつぎじんじゃ・あしつきじんじゃ・あすはじんじゃ)という神社があります。今市にあります。この神社は足次山神社から勧請されたとも言われています。
また、今となってはなくなりましたが、後月郡のしつきですが、この足次(あしつぎ)から「しつぎ」・・「しつき」となったといわれています。
では足次山(あしつぎやま)が正解?

写真は足次山神社本殿です。


郷社その2

2008年02月19日 18時32分03秒 | 神社
御祀神は阿須波大明神(あすはだいみょうじん)又は阿須波神(あすはのかみ)大年神の御子である。
阿須波のアは、接頭語で諏訪の神と同じではない。スハ族の祖神と天知迦流美豆比賣の間に生まれた子で、地を守る神、足場の神である。
これから考えるに、あすはじんじゃと読むのが妥当なのでしょうか?
昔、芳井町から井原町にかけては足次郷(あすはごう・あすわごう)と呼ばれていたそうです。
ちなみに芳井町にある温水プールはアスワといいますがこれもここから来ているそうです。
これだけ並べると「あすはやまじんじゃ」が正解でしょうか?

郷社のホームページ
http://www.ibara.ne.jp/~kurakake/gousya.htm

郷社(ごうしゃ)

2008年02月18日 20時11分25秒 | 神社
郷社(ごうしゃ)井原町


明治時代に社格制度ができその時に決められた格付けが
官幣大社>国幣大社>官幣中社>国幣中社>官幣小社>国幣小社>別格官幣社
諸社(民社)については、府社=県社=藩社>郷社>村社>無格社の順である。

つまり郷社とは社格制度の民社の一社格の名称である。

本当の名前は 足次山神社 です。

さてなんと読むのでしょうか?
1.あしつぎやまじんじゃ
2.あすはやまじんじゃ
3.あすわやまじんじゃ