井原中心部から笠岡方面へ県道を走ると、山王を越え宮の端の交差点付近に岩倉山神社が左手に見える。道路沿いでよく見える場所に存在する。主祀神は吉備津彦命で合祀されている神が、大国主命、神日本磐余彦命、猿田彦命となっている。本殿の右側に和霊神社、左側に荒神社となっている。和霊神社の鳥居横に記念碑がありこの神社の説明が記載してある。神日本磐余彦命(かみやまといわれひこのみこと)は神倭伊波礼毘古命とかかれることもあり、第1代の天皇である神武天皇をさす。
http://map.goo.ne.jp/map.php?MAP=E133.28.43.28N34.34.20.436&ZM=10
追記
岩倉山神社由緒
「吉備津彦命、賊徒討平の時、陣営とした。山容位置が吉備中山に似ているので同命(みこと)を奉斎した。」
賊徒平定のために岩倉山に陣営をとったのは、若建吉備津彦命であった。
この神社には御神体として若建吉備津彦命の兜が祀ってあったそうです。
しかし50年ほど前に浮浪者が夜に焚き火をして火事になり焼けて消失したそうです。
主祀神は吉備津彦命となっているが、この命は若建吉備津彦命をさしているそうです。
吉備の平定に回ったのは若建吉備津彦命で、特に井原の地に平定に来た命は若建吉備津彦命と言い伝えられている。
http://map.goo.ne.jp/map.php?MAP=E133.28.43.28N34.34.20.436&ZM=10
追記
岩倉山神社由緒
「吉備津彦命、賊徒討平の時、陣営とした。山容位置が吉備中山に似ているので同命(みこと)を奉斎した。」
賊徒平定のために岩倉山に陣営をとったのは、若建吉備津彦命であった。
この神社には御神体として若建吉備津彦命の兜が祀ってあったそうです。
しかし50年ほど前に浮浪者が夜に焚き火をして火事になり焼けて消失したそうです。
主祀神は吉備津彦命となっているが、この命は若建吉備津彦命をさしているそうです。
吉備の平定に回ったのは若建吉備津彦命で、特に井原の地に平定に来た命は若建吉備津彦命と言い伝えられている。