DALAI_KUMA

いかに楽しく人生を過ごすか、これが生きるうえで、もっとも大切なことです。ただし、人に迷惑をかけないこと。

遍歴者の述懐 その46

2012-12-22 17:24:05 | 物語

たかが言葉、されど言葉

「かつての豊年製油の社長、杉山元太郎さんとは、オランダのユニリーバ社と豊年の合弁を成し遂げて以来、非常に懇意にさせてもらっていました。例の、ラーマで有名な会社です。戦後、よく二人で海外へ視察に出かけていました。杉山さんは、すでに故人となられましたが。」

晃は、懐かしそうに話した。

「スウェーデンに行った時のことです。二人で観光ツアーに参加したのですが、途中で、ハワイの日系人と知り合いになりました。彼も、このツアーに参加していたのですが、私たちが日本人とみて話しかけてきたようです。あちこち回って見学してから、途中でトイレに行きたくなりました。しかし、周囲には公衆便所なるものが見当たりませんでした。探していると、その二世の方が、『あんた達も小便たれていのかい。あっちにあるよ。』と教えてくれました。お礼を言って小用を足しましたが、ついでに彼の言葉使いを正してあげました。おそらく、移民の父親から習った日本語でしょうが、『小便をたれる』というのは、初対面のしかも目上の人に対して使う言葉ではありません。何気なく私たちが使っている言葉ですが、いつも正しい言葉を使うように気を付けないと、知らない人を傷つけたり不愉快にさせたりするものです。」

確かに、言葉というのは意識しながら使わないと、誤用や悪用を正すことができなかったりする。また、言葉は時と場所によって変わっていくものでもある。おそらく、それには何らかの必然があるのだろうが。1000年以上の歴史を持って語りつがれてきた言葉を、なるべく変更しないで次世代にも伝えていくことは、私たち民族の重要な役割でもあるのだろう。

「戦前、ロッテルダムでビジネスをしていた時のことでした。ロンドンから日本政府の役人が来て、何かブツブツ言っていました。よく聞くと、ロンドンで会った日本の一流商社の支店長が、初対面の彼に『メシを食いに行こう』と言ったそうです。これは学生言葉であって、高級官僚は不愉快に感じたそうです。大人げないと言えばそれまでですが、気分を害する人もいるので、言葉の使い方には気をつけたいものです。」

そう言って晃は笑いながら、次のことばを付け足した。

「フランスに、『Qui sexcuse saccuse』という警句があります。英語では、『He who excuses himself accuses himself』とでも言うのでしょうか。『自己弁護するものは、自分の罪を告白するものである。』つまり『言い訳無用』ということです。言い換えれば、『人間は、自分自身を偽らない限り、他のものから汚れることはない』とも言えます。私は、この警句が好きで、座右の銘としています。すべては自分からでて自分に還るものだから、自分を不幸にするのは自分なのです。自分が正しい言葉を使えば、相手もそのように振る舞ってくれます。」

つづく


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