私の町 吉備津

藤井高尚って知っている??今、彼の著書[歌のしるべ]を紹介しております。

むかしむかしのおはなしです。

2012-07-01 09:16:34 | Weblog

 今日は趣向を変えて、ちょっと童話風に、この地方に昔から伝わる鳴る竈の出来た由来についてお話をしてみます。ちょこっとへんてこりんな岡山弁ですが。

 むかしむかし、吉備の国になあ、そりゃあそりゃあ ぼっけえ きょうてえ鬼が住んでおったんじゃ。目はぎらぎらと輝きょうて、顔は血のように真っ赤々で、口は顎いっぱいに耳元までおおきゅう裂けて開き、その唇でえれえあつうてな、おまけに牙がその間から四本もにょきょりと突き出しておったんじゃと。せえから、頭の髪の毛も金髪で、もじゃもじゃにちヾれ、その中から、これ又、角がなごう空に向って突きささるように生えておって、いつでもしましまの虎のパンツを穿いとるんじゃ

 いつごろじゃったんかはわからんのじゃがなあ。この鬼はなあ、百済とかいう海の向こうの方の国から、この吉備の国に飛んで来たんじゃそうな。そしてなあ、「ここがええ」と言うて、鬼城といいう山に住み着いたんじゃ。鬼だから当り前だと言えばそれだけじゃなあ。この辺り一帯の里々から、米や麦など食べ物は勿論、里人がてえせつにしておったもんまで、なんでもかんでもそこらじゅうにあるもんをなあ、片っ端から捕って鬼城にもってけえるんじゃと。里人がこの鬼にさかろうたりすりゃあなあ、この鬼なな、ぼっけえおこってなあ、そこらじゅうにおるもんをなあ、皆殺しにしてしまようたんじゃと。この鬼はそれだけじゃあ ありゃあへんど。殺したもんを、掴んで、頭からくうてしまうんじゃと。そのくうた口からは人の血がようだれみてにながれおちているんじゃと。だから、みんなは、きょうとうてさからうこたあでけんでな、この鬼が来たら里じゅうのもんはみんなにげかくれてしまうんじゃ。せえから、こんなこともするんじゃ。穴海と呼ばれていた近くの海を通る船を襲うて、そこに積んである米や宝物を取ってしまうんじゃと。その鬼は「温羅」<うら>というんじゃが、それはそれはみんなから嫌われれもんでのう。誰かはようてえじ(退治)してくれんかとおもようたんじゃ。

 「このにきい鬼をはよう てえじして くださらんかのう」
 吉備の人々は、この鬼がいつとはなしになう、ものすごうあばれまわりょうるけえ、奈良に居った帝、孝霊天皇に「退治してくだされえ」と願い出したんじゃと
 それを聞いた天皇は、早速
 「そんな悪い鬼はすぐ退治してつかわす」
 と、そのお子様である彦五十狭芹彦命<ヒコイサセリヒコノミコト>(亦名大吉備津彦命)を吉備の国に、温羅即ち鬼城の鬼退治に派遣されたじゃ。
 そして着いた所がなあ吉備津神社がある吉備の中山じゃったんだと。ここに大吉備津彦命は陣を張って、温羅退治の戦をはじめたんだと。その時、命が温羅との戦いの為のまず最初に矢を置いたと伝えられている矢置き岩が今も吉備津神社の入り口付近に在るんじゃ。

 これが桃太郎伝説が起こる発端だと言われます。
 これからこの昔話が面白くなるんじゃが、それをおいおい話すけえなーゆっくりと聞いてつかあせえ。

 私の岡山弁です。分かりですか????


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