備後小最新情報!~備後のブログです!~

春日部市立備後小学校の公式ブログです。
備後小学校の子どもたちの様子などを紹介していきます。
よろしくお願いします!

【※追記あり※】 本日は、開校記念日です。~祝!42周年!おめでとう!~

2013-06-25 08:20:42 | 学校行事


6月25日(火)

本日は、春日部市立備後小学校の開校記念日です。
おかげ様で、本校が開校して42周年を迎えました。
たくさんの保護者や地域の方々をはじめ、卒業生、歴代職員など様々な関係者の方々に支えられ、ここまで歩むことができました。
まことにありがとうございます。



これからも備後小学校は、元気あふれる魅力ある学校として、がんばっていきます。
ご支援・ご協力のほど、宜しくお願いいたします。




ここからは、一部ですが、学校内に掲示してある過去の史料や、卒業生からの寄贈品・卒業制作を中心に、備後小の歴史をご紹介していきます。





昭和47(1972)年4月1日
備後小学校は、開校しました。
児童数877名、学級数24、関係学校職員数38名のスタートでした。

当時は、田中角栄内閣が誕生し、日中国交正常化や浅間山荘事件、グアムで元日本兵 横井庄一さんが発見されるなど、教科書にも出てくるような歴史的できごとがあった年です。

また、パンダが初来日し、上野動物で公開されるとパンダブームがおこったり、札幌冬季オリンピックに沸いたりした年でもありました。

芸能では、ちあきなおみの「喝采」小柳ルミ子「瀬戸の花嫁」が大ヒット。吉田拓郎「結婚しようよ」など若者を中心にフォークソングも人気を博しました。また、郷ひろみが「男の子女の子」でデビューしたのもこの年です。

「マジンガーZ」「ど根性ガエル」「ムーミン」などのアニメやドラマ「太陽にほえろ!」などが放映を開始するなど、子ども達の世界もにぎわいを見せていました。

うわ~懐かしい!と思われる保護者の方も多いのではないでしょうか。





昭和47(1972)年9月18日
校章を制定し、開校記念日を6月25日と制定しました。





校章は、やまぶきの里から由来し、山吹きの花のように明るく、元気な子として力いっぱい学業に励むよう願いをこめてつくられました。
(やまぶきの里の由来は、こちらから)



昭和48(1973)年
第1回 大運動会の様子です。





ビシッとした行進の姿とユニークさを交えた競技。
その空気と匂いは、現在にも引き継がれています。


昭和48(1973)年2月6日
校旗を制定する。



この年の航空写真です。
まだ、体育館がありません。現在の自転車置き場・学童の辺りには建物があり、駐車場も違う場所にあります。
周りも住宅が少なく、畑が多いですね。



昭和49(1974)年3月1日
校歌が制定されました。





作詞は、宮沢章二氏。
埼玉県羽生市出身の詩人・作詞家で、埼玉県を中心に300校以上の校歌を作詞しました。
大宮市教育委員長も務め、詩『行為の意味』の一節、「思いは見えないけれど、思いやりは見える」が、ACジャパンの2010年度キャンペーンCMに使用され、話題になりました。

作曲は、溝上日出夫氏です。
福岡県北九州市出身の作曲家で、国立音楽大学教授も務めました。
数多くのテレビ・ラジオ番組にも作曲・出演をしました。



昭和50(1975)年3月



「なかよし塔」のモニュメントが上原様より寄贈されました。
現在も国旗・校旗の掲揚塔としてや子ども達の集合場所の1つとして親しまれています。



昭和50(1975)年度
在校生が歴代最多の1445名に。
現在の約5倍です…。凄いですね。



昭和51(1976)年4月1日
第2備後小(現在の正善小)が新設され、本校より433名が転出し、本校へ武里小より125名が転入してきました。



昭和53年(1978)年
通学区再編成により108名が大畑小(現在、廃校)へ、246名が大場小(現在、廃校)へ転出しました。





当時の航空写真。
体育館も竣工して5年。施設の位置はほぼ現在と変わりません。



昭和55(1980)年度
卒業記念品。
第9回 卒業生一同より。





現在は、1年生、2年生の学年園として、子供たちの自然に対する興味を育む場として存在感を発揮しています。
今回、確認したもので、備後小に現存する卒業記念品としては、一番古いものです。
それ以前のものは未確認なので、何処かでさり気なく風景の一部になっているか倉庫に眠っているかも知れません。



昭和56(1981)年度
開校10周年。



当時の航空写真。
周りの住宅も増えてきました。





運動会の様子。
時代を感じさせますね。



昭和57(1982)年度
卒業制作。
第11回 卒業生一同より。





「はばたき」
体育館、プール側壁面に飾ってあります。
今も色あせず、枠からはみ出さんとばかりにはばたいています。



昭和58(1983)年度
寄贈品と卒業制作。
第12回 卒業生一同より。



バスケットゴールを寄贈していただきました。
現在も体育やクラブなどで親しまれています。







体育館、校庭側壁面にある卒業制作です。
たくさんの顔は、もはや子ども達の目に映る風景の一部となり、見守っていてくれています。



昭和59(1984)年度
卒業生からの寄贈品。
第13回 卒業生一同より。



今もみんなとこんにちは。
癒しのスポット「びんご ふれあい すいぞくかん」の大型水槽を寄贈してくださいました。
29年モノですが、今も元気に現役です。
先日、この水槽からメダカの赤ちゃんが産まれました。



昭和60(1985)年度
卒業生からの寄贈品・卒業制作。
第14回 卒業生一同より。





南門横にある桜の木。
毎日、子ども達を出迎え、送り出してくれます。
卒業生が旅立つ頃には桜の花を満開に咲かせて、思い出に華を添えてくれます。





卒業制作です。
昇降口壁面に飾ってあります。
味のある木彫りの校歌が、昇降口にアクセントをくれます。



昭和61(1986)年度
15周年を記念して作製された航空写真の人文字の下敷き。



職員室倉庫を整理していると出てきた27年前のものです。
この時はまだ生まれていなかったという若手職員も。
(自分は、この年はまだ2才でした・・・。)
子供の中には、親が持っているのも見たという子もいました。

卒業生の卒業制作。
第15回 卒業生一同より。





みんなとの旅行を描いた卒業制作です。
西階段2階壁面に飾ってあります。
現在は、林間学校は、長野県志賀高原方面。修学旅行は、神奈川県鎌倉・箱根方面ですが、過去には、福島県会津方面に行っていたようです。
描かれている城は、若松城(鶴ヶ城)でしょうか?

同じく第15回 卒業生一同より。



北門横、現在では、学童クラブの裏側にひっそりとある木々ですが、時には、防風林として備後小を守り、時には木陰として安らぎをもたらしてくれます。



昭和62(1987)年度
卒業生の卒業制作。
第16回 卒業生一同より。





お馴染み「やったり踊り」の壁画です。
昇降口横の壁面に飾ってあります。
現在もインパクト大の壁画です。



昭和63(1988)年度
卒業生の卒業制作。
第16回 卒業生一同より。





「未来の春日部市」
東階段2階の壁面に飾ってあります。
現在36・37歳の卒業生が描いた未来の春日部市です。
今の子供たちの未来への創造を掻き立ててくれます。


平成元(1989)年度
卒業生の卒業製作。
第17回 卒業生一同より。







「飛躍」
西階段3階の壁面に飾ってあります。
現在35・36歳の卒業生が描いた馬たちが草原を走る雄大で爽快な様をこれから飛躍する自分たちになぞらえて描いた作品です。
所々の空間に何かしらの隠れメッセージがあるのかと思わせ、個人的には勝手に思う記念品。



平成2(1990)年度



アルカサールの壁面に飾ってある油絵です。
「白い壁」(モンマルトル)
5代目校長 森久夫氏が寄贈してくださいました。
現在もお誕生日給食などで利用する際は、その存在感を醸し出してくれます。



平成3(1991)年度
開校20周年。



当時の航空写真。





第20回 大運動会の様子。
金管・鼓笛パレードの先頭の子の衣装が現在と違いますね。
青のベレー帽・スカーフ、組体操のサボテンは今と変わりません。

卒業生の寄贈品。
第19回 卒業生一同。



今も昇降口正面にあるケース棚です。
現在は、美術展などで賞を受賞した作品を展示してあります。

卒業生の卒業製作。
第19回 卒業生一同。





現在は、図工室に展示され、その存在感を発揮しています。
両面に様々な鳥や花が描かれ、華やかな未来を予感させています。


平成6(1994)年度
卒業生の寄贈品。
第22回 卒業生一同。



体育館の舞台袖のカーテンです。
現在も変わらず、式や朝会等、行事でステージを利用する際は、雰囲気を醸し出してくれます。



平成8(1996)年度
卒業生の寄贈品。
第24回 卒業生一同。





昇降口や各階にある掛け時計です。
ノーチャイムの備後小にとっては、時間を守るためによく時計を見ます。
みんなの視線をたくさん浴びて、16年が経ちました。



平成9(1997)年度
卒業生の寄贈品。
第25回 卒業生一同。



昇降口(多目的室)外の上に飾ってある校章です。
登下校してくる子ども達を今も見守っています。




平成13(2001)年度
開校30周年。



ついに2000年代に入りました。
当時の航空写真。
もう周辺も住宅街が並び、現在とほぼ変わらない様子。
この時、生まれた子ども達が昨年度の卒業生にあたるんですね。





第30回 大運動会の様子です。
写真にも写っているこの世代の方たちは、本校の若手職員とほぼ同年代…。
社会人として様々な場所で活躍していることでしょう。
第1回から30年経った運動会も相変わらずビシッと決める姿とユニークさを交えた雰囲気を写真から醸し出してくれます。



平成15(2003)年3月31日
武里南小学校の新設により、大枝地区児童44名が転出しました。

年代不明の卒業制作。
3組と書いてありましたがそれ以上は分かりませんでした。
職員玄関や昇降口横の廊下にあります。
現在も花や記念品などを置く台として活躍中です。











こちらも年代不明のもの。
(少なくとも5年以上前のもの。)
木彫りによる手製プレートです。
現在では、卒業制作かも分かりませんが、各部屋の前方出入り口に掲げられ、見やすい表示でその部屋へと誘ってくれます。



平成22(2010)年度
卒業制作。
第38回 卒業生一同より。





卒業制作です。
この年度の卒業生も、現在、中学3年生。
最高学年として、最後の部活の大会やこれからの受験にむけてなど、がんばっていることでしょう。
この卒業制作品もお客様を迎える際に歓迎案内に使用されたり、多目的室の会議内容をお知らせしたりするなど活躍しています。



平成23(2011)年度
開校40周年。



まだ記憶に新しい2年前です。
この時の式典の様子などは、備後小のホームページから「40周年」をクリックしていただくと、専用のページにいくことができます。
※広告にご注意ください。
40周年特設ページ

平成24(2012)年3月8日
体育館耐震補強工事完了。



耐震補強工事後、現在の体育館です。

平成24(2012)年8月31日
普通教室棟耐震補強工事完了。



耐震補強工事後、現在の校舎です。

卒業記念品。
第40回卒業生一同より。







図書室前や昇降口前などに、新聞、雑誌、チラシやチケット等のラックとして活躍中です。



平成25(2013)年度
5月1日現在で、児童数317名、学級数14、関係学校職員数33名です。
今年度は、北校舎解体工事・放送棟新設がおこなわれます。


随分、長くなってしまいましたが、これからもよろしくお願いいたします。
ご愛読ありがとうございました。

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