ダイアリー・オブ・カントリーミュージック・ライフ

現代カントリー・ミュージックのアルバム・レビューや、カントリー歌手の参考になりそうな情報を紹介しています

Jerrod Niemann ジェロッド・ニーマン- Judge Jerrod & The Hung Jury

2010-08-30 | カントリー(男性)
 曲者が一人、痛快に、そして鮮烈にデビュー。

 ビルボードのカントリー・シングル&アルバムの両方で1位を獲得するという、見事なデビューを果たしたJerrod Niemannのデビュー・アルバムです。そのブレイクへのキッカケとなったシングル"Lover, Lover"。ロック・グループSonia Dadaによる1992年のヒット曲"You Don’t Treat Me No Good"を、軽妙なアコースティック・ギターによるリズム感とカントリーの伝統的コーラスで料理し、タイトルも変更して実に粋なナンバーに変身し成功しました。主人公Jerrod自身は、トラディショナルなカントリーを愛する、バリトンのグッド・ボイスが持ち味。このアルバムで展開される彼の音楽は、シンプルで伝統的なカントリー・スタイルをガッチリとベースに据えて、R&Bなど他ジャンルの最新要素を上手く取り込んだ、クリエイティブな勢いを感じさせてくれるものです。それが凝縮されたのが、"Lover, Lover"なのです。

                    

 アルバムは12曲と、その要所に挿入される8つのユーモラスなスキット(寸劇)で構成されています。このアルバムの作品は、トラディショナルでミニマムなサウンド編成~小さなクラブで演奏したかのようなね~で制作されていて、それが大きな魅力、聴き所になっているのですが、これはミュージシャン仲間であるジェイミー・ジョンソンJamey Johnsonがアルバム「That Lonesome Song」を、レコード・レーベルのサポートを受けずに自分のバンドでレコーディングした事に刺激をうけて、同様な手法で制作したことによります。一方スキットの方は、一見どこか意味深ですが、実際は単なるお遊び的な内容なのが笑える。音楽は結構ルーツィーでシンプルなのに、アルバム全体が勢いと楽しさに溢れているのは、このスキットのおかげでしょう。スリラー映画のようなMC(明らかにマイケル・ジャクソンへ目配せしている)のような"Intro"から一転、レイドバックしたムーディなカントリー・バラード"They Should’ve Named You Cocaine"が続くユーモアセンスに、思わずニンマリしてしまいました。


 トラディショナリストらしさをPRするのが、これぞカントリー!って言うべきテーマを歌った"One More Drinkin’ Song"(デビュー曲)やストレート・カントリーの"How Can I Be So Thirsty"、そしてラストを締めくくるシャッフル"For Everclear"など。いずれもビールやアルコールが絡んでいる楽しい曲ばかり。しかし一方、バラードの表現力も上手くて、70年台風キーボードが雰囲気の"What Do You Want"では、ひっきりなしに電話をかけてくる別れた女性に、”何が欲しいんだい?こんな生活に疲れ果てたよ”と切々と訴えかけます。私お気に入りのオールド・ファッションなバラードが、文字通り"Old School New Again"。これは、先達から受け継いだ伝統的な自身の歌声に対する誇りを歌った、和みのナンバーです。"Bakersfield"も、泣かせてくれるナイスなスロー曲。
 
                    

 クロスオーバー志向が強くなるのが、ワウワウ・ギターが印象的なR&Bナンバーの"Come Back To Me"。そしてチェロのイントロに導かれてスタートする新鮮な感覚の"I Hope You Get What You Deserve"は注目です。単にクロスオーバーの留まらず、新しい音楽の創造を感じます。Jerrodも軽やかな歌声を聴かせてくれていて、シングル・ヒットの予感大。この伝統と未来志向のミックスに、あのガース・ブルックスの姿をダブらせる、アメリカのメディアの声も見られますね。

 カンサス州Harper生まれ、Liberal育ちのJerrodは、子供の頃からレフティ・フリゼルLefty Frizzell, ジョージ・ストレイトGeorge Strait, そして キース・ホイットリーKeith Whitleyらの、名だたる本格派カントリー・シンガーを好んで聴いていました。大学はテキサス州LevellandのSouth Plainsカレッジに通い、テキサスのクラブやバーで腕や喉を磨きます。1999年に自主制作アルバムをリリース後、2000年にはついにナッシュビルに乗り込むことに。2001年にメジャーMercuryと育成契約を結ぶ事ができましたが、その契約は何も生んではくれませんでした。彼は自身のバンドで活動を続け、2004年に自主制作のセカンドアルバムを完成。2006年にはインディ・レーベルと契約にこぎ着けアルバムも制作しましたが、レーベルが終息しアルバムもお蔵入り。しかし、シングル"I Love Women (My Mama Cant Stand)"が幸運にもAristaの関心を引き、2009年にようやくメジャー契約を獲得する事に成功したのでした。

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