蟷螂の独白

世に背を向けた蟷螂です。喜怒哀楽を綴って7月で18年、モットーは是々非々の団塊世代です。

熱い夏

2011-08-15 23:34:39 | 徒然
今年も終戦の日がやって来た。今年は、開戦70年ということで、映画やドラマ、特集など第二次世界大戦関連のものが多い。蟷螂家的にいえば、父の養父(祖父)が3月の東京大空襲で亡くなった。本郷で薬屋を営んでおり、連れ合い(祖母)は助産婦だった(フォトチャンネル参照)。激しい空襲で、骨も拾えなかったという。父は開戦時、明治の予科の学生だった。開戦の日は登校し、相撲部の親友と大変なことになったと話しながら、カツ丼を学食で食べたと聞いていたが、当時の食料状況ではカツ丼は余り考えられず、話を面白くするために父が脚色したのではないだろうか。父は親友と共に大学を繰り上げ卒業し(フォトチャンネル参照)、学徒出陣した。母の兄弟は、一人がやはり学徒出陣し、もう一人は大学を卒業し海軍へ入った。団塊世代の親は、ほとんどが戦争へ行っている。三鷹台に住んでいた母方の祖母からは子供の頃、久我山の高射砲陣地から撃った弾がB29を撃墜し、ものすごい音がしたと聞かされた。母は
、霞ヶ浦の海軍航空基地へ兄に面会にいったと聞かされた。子供の頃は、家の中に零戦の風防硝子が転がっていて、擦ると甘い匂いがしたことを覚えている。父は、入営直前の身体検査で胸部疾患を指摘され、即帰になったが、当時の風潮から、養母は数ヶ月間、外出させなかったと聞いている。養父は父の分、負い目を感じて防火に専念して空襲で亡くなったのではないかと思われる。学徒出陣したオジキは、南方への輸送船が撃沈され、三日三晩板切れに掴まって、とある島へ漂着した。すると、原住民が槍を持って現れたのでオジキが『ギブミーアウォーター』と言ったところ、お前は英語が話せるから使えると連行され、一緒に板切れに掴まっていた仲間は、全員槍で突き殺されたという。
8月15日、その大戦か終わった日だ。大戦はすべての国民の人生を大きく変えた。今また、震災によって大きく人生を変えられた人々がいる。あの大戦から立ち直った日本のことだ。きっとまた胸を張れる日が来るはずだ。原発事故をこの日本で、再び繰り返さないように、次世代のエネルギー源を、必ず開発して、原発が多数作られている世界に売り込む気概を、日本は持つべきだ。次の地殻変動はヨーロッパかも知れないのだ。
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