台湾食材 BETHESDA KASHIWA

美味しい台湾食材をはじめ何だかんだ日々のこと書き綴ります。
クリスチャンファミリー

2024年4月27日 韓国の信仰の友より

2024-04-27 14:05:00 | 祈り
2024年4月27日 韓国の信仰の友より 何時も有難う御座います。 「わたしはケバル川の河畔に住んでいた捕囚の人々の間にいたが、そのとき天が開かれㄴ。わたしは神の顕現に接した」(エゼキエル1:1)。「神の顕現」(マルオート・エローヒーム)は「神の幻」(口語)、あるいは「神々しい幻」(新改訳)にも訳されます。顕現や幻に訳されるマルオート(単数マルアー)は「鏡」(出38:8)を意味する語彙です。主はモーセと「あらわに、謎によらずに」語り合った(民12:8)時の「あらわに」が同じ語源です。辞書では、幻とは実在しないものが見えると説明します。しかし聖書のマルオートは鏡を通して実体を見るようなあきらかなものです。エゼキエルは鏡を通して神の民の実体を見たのです。新しく再建されるエルサレムの実体を見たことでしょう。「平和だ、平和だ」と実体のない言葉で民を慰め惑わす偽預言者たちではなく、主よ、天の門を開いて鏡で見るように、あなたの民が再建され、まことの預言者が語り、主の民が聞いていくマルオートを見させてください!と、祈りを捧げる民がございます。ケバル川の河畔に座ってあなたを祈り求めるこれらの人々を忘れないでください。
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妨げを負っても強くなれる

2024-04-27 10:20:00 | 祈り
 妨げを負っても強くなれる 「形を読む」形態学は 養老孟司(ようろうたけし)さんだったろうか? ラジオでこんな話しを聞いた 「災難は決して悪いことばかりでは無い」 そんな話しだった 其れは 立ち止まる切っ掛けと考える時を 与え新しいチャンスを生み出す糧となるのだと 言っていたかに思う 人は日々 時間の流れに気忙しくして 味わい深い 時代の味覚をも飲み込んでしまう 考えるべきことを考えずに ただ風の流れに 飛ばされるように流れて行く でも風が止まれば 落ちるのを回避するために進歩を味わうのだと 言う 自然の中では 些細な当たり前の変化の中でも 人は解釈を巡らせ 知るモノは多い レフ・トルストイの言葉には  深く愛することのできる者のみが また大きな苦痛をも味わうことが できるのだ  と言う言葉がある 私たちクリスチャンは 妨げを負っても強く なれる コリントの信徒への手紙二 12章10 節 それゆえ、わたしは弱さ、侮辱、窮乏、迫害、 そして行き詰まりの状態にあっても、キリストの ために満足しています。なぜなら、わたしは 弱いときにこそ強いからです。
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2024年4月24日(韓国)オリュン教会日本語礼拝
能瀬熙至伝道師「壁は崩れる」ボイス
https://www.podbbang.com/channels/1789600/episodes/24916720
 
 
【賛美】主の計画の中で
Seekers (Within Your Plan
주님의 계획속에서
https://www.youtube.com/watch?v=NjUEbhpxJYE&feature=youtu.be

【賛美】いつもいつまでも
Seekers (Always andForever
항상영원히까지
https://www.youtube.com/watch?v=MsfDBkdK3XQ&feature=youtu.be
 
 
 
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JCM_2024/4/17第141話_勇士の宣教_迷子の羊、無くした銀貨(藤田桂子師)

2024-04-27 10:06:06 | 祈り
勇士の宣教141・迷子の羊、無くした銀貨
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2024年4月26日 韓国の信仰の友より

2024-04-27 09:51:53 | 祈り
2024年4月26日 韓国の信仰の友より 何時も有難う御座います。 「あなたが呼べば主は答え、あなたが叫べば、わたしはここにいると言われる」(イザヤ58:9)。詩篇には「涙」という言葉がしばしば登場します。「夜ごと涙は床に溢れ、寝床は漂うほど」(6:6)涙が「夜も昼も私の糧になりました」(42:4)。主よ、「あなたの皮袋に私の涙を蓄えてください」(56:8)と祈る詩篇の記者の心を思うところです。「叫ぶ」と訳されたシャーワーは「涙を流しながら助けてくださいと叫ぶ」という意味を現す動詞です。どうでしょうか。私たちは助けを心から願い求めて祈らなければならない時代を生きているのではないでしょうか。しかし、主なる神はどこにも、教会にすらもおられないかのような時代であると言って過言ではありません。この世の風潮に流されすっかりと馴染んで、それがまさに本当の姿であるかの身振りしている教会、官僚主義のような形式と構造が教会の根幹であるかのように振る舞う姿に唖然とするばかりです。福音宣教はどんどん厳しくなる時代です。教会はまさに嵐に巻き込まれた孤独な帆船のように世の風潮に揺れ動くばかりです。「涙を流しながら、主よ!私たちを深く憐れんでくださり、助けてください」と叫びの祈りを捧げざるを得ないときではないでしょうか。
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2024年4月25日 韓国の信仰の友より

2024-04-25 13:00:55 | 祈り
2024年4月25日 韓国の信仰の友より 何時も有難う御座います。 教会よ、目覚めなさい! 「聖霊によって送り出された」(使徒13:4)。仕事のために、あるいはやむを得ない事情により離れていく、遣わされていく時があります。聖書は「遣わす」ことを神的な出来事として非常に大事に考えます。「聖霊によって送り出される」(エックペンポ)とは「遣わす」(ペンポ)、そして「使徒」(アポストロス)とも関係のある用語です。これは父なる神様がイエスと真理の霊を遣わすことにおいて、さらに今や聖霊なる神様が私たち働き人を遣わすことにおいて経験できることです。アンテオケ教会が「断食と祈りをして二人の上に手をおいて送り出す」(3)時に、聖霊がエックペンポされました。それで福音は異邦の地にまで広がっていったのです。問題は教会です。聖霊によって目を覚ましている教会でなければ決して考えることのできないものです。聖霊に満たされない限り、自分がもっているものを福音のために差し出すことはできません。今日も聖霊なる神様はあなたの教会を通して「送り出し」ことを願っておられます。
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