四国の県立高校で、次年度から、生徒が担任教師を選択できる「希望担任制」を導入するそうだ。教師の担当教科のほかに、抱負や信条などを生徒に表示し、それを見て、生徒が希望担任の順位を選ぶというものだそうだ。ある教育学者(この人の数々のコメントを聞くたびに、しら~っとしてしまう)は、「自分で選択することで学習意欲が高まる」「キライな先生に当たらないことは、教師や学校への信頼感につながる」と述べる。一方、「人気投票になってしまい、教師によけいな負担がかかる」と述べる医師もいる。
「生徒側の目線に立てば、生徒が先生を選べるのは当然だ」と某教授はおっしゃるが、先生は生徒を選べない現実がある。先生にとって指導のしやすい生徒をチョイスしてクラスづくりができるのならば、クラス経営もスムーズだろう。そうではないところに、個々の指導の難しさがあり、そのために資質を高める努力をしていくのだと思う。
中学でもそうだが、高校は教科専任教師が授業をする。進路指導は担任教師も行うが、進路指導担当の教師のほうが進路の知識や受験のノウハウは熟知している。また、部活動をしている生徒ならば、担任教師よりも部活動の顧問や監督の教師のほうが、より密着した関係となり、信頼度も厚い。それぞれの分野で専門化していき、それぞれの場で教師との信頼関係が生まれるということだ。小学生ならば、担任教師はオールマイティの存在であり、密着度も高いが、中学生や高校生となると、そうではなくなる。
「学習意欲」など、本来の「学習」の意味から考えても、基本は「自分」だ。自分から学習する意欲や態度をもって、教師にぶつかっていけばよい。担任だけから学ぶのではなく、さまざまな教師から幅広く学べるはずだ。希望した担任ではない場合も当然あるだろう。生徒と教師とがクラスづくりをするのにマイナスとなるのだろうか。なにか問題が起こったときは「やっぱり、この先生じゃだめなんだ」と切り捨ててしまうのだろうか。人間関係においては、どのような相手であっても、理解しあえるようにお互いの努力が必要であるのだから、「この人はパス」式で決めてしまうのは、これから社会人となる若者にはマイナスだと思う。
教師の指導力不足が時に指摘されることもあり、教師の指導力を高めていくことは大切である。それは、生徒を指導する教師自身が自覚をもって高め実践していくことが基本だろう。今回の取り組みは、それを生徒側に指摘させようとしているような気がしてならない。また、生徒の希望担任の選択基準はどういうところにあるのかはわからないが、その基準で選択される教師のストレスが指導意欲の低下につながらないように配慮してほしい。生徒に気に入られること=よい教師。生徒と教師の関係は、この単純な構図では計れないものがあるのだ。
「生徒側の目線に立てば、生徒が先生を選べるのは当然だ」と某教授はおっしゃるが、先生は生徒を選べない現実がある。先生にとって指導のしやすい生徒をチョイスしてクラスづくりができるのならば、クラス経営もスムーズだろう。そうではないところに、個々の指導の難しさがあり、そのために資質を高める努力をしていくのだと思う。
中学でもそうだが、高校は教科専任教師が授業をする。進路指導は担任教師も行うが、進路指導担当の教師のほうが進路の知識や受験のノウハウは熟知している。また、部活動をしている生徒ならば、担任教師よりも部活動の顧問や監督の教師のほうが、より密着した関係となり、信頼度も厚い。それぞれの分野で専門化していき、それぞれの場で教師との信頼関係が生まれるということだ。小学生ならば、担任教師はオールマイティの存在であり、密着度も高いが、中学生や高校生となると、そうではなくなる。
「学習意欲」など、本来の「学習」の意味から考えても、基本は「自分」だ。自分から学習する意欲や態度をもって、教師にぶつかっていけばよい。担任だけから学ぶのではなく、さまざまな教師から幅広く学べるはずだ。希望した担任ではない場合も当然あるだろう。生徒と教師とがクラスづくりをするのにマイナスとなるのだろうか。なにか問題が起こったときは「やっぱり、この先生じゃだめなんだ」と切り捨ててしまうのだろうか。人間関係においては、どのような相手であっても、理解しあえるようにお互いの努力が必要であるのだから、「この人はパス」式で決めてしまうのは、これから社会人となる若者にはマイナスだと思う。
教師の指導力不足が時に指摘されることもあり、教師の指導力を高めていくことは大切である。それは、生徒を指導する教師自身が自覚をもって高め実践していくことが基本だろう。今回の取り組みは、それを生徒側に指摘させようとしているような気がしてならない。また、生徒の希望担任の選択基準はどういうところにあるのかはわからないが、その基準で選択される教師のストレスが指導意欲の低下につながらないように配慮してほしい。生徒に気に入られること=よい教師。生徒と教師の関係は、この単純な構図では計れないものがあるのだ。