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「稲荷山の狐」 作 大山哲生
一
私が小学三年の時の話である。
夏休みになって間のないころ、五年生のよっちゃんが稲荷山に虫取りに行こうと言い出した。私も、クワガタムシがほしかったのでいっしょに行くことにした。よっちゃんといっしょに行くのは四年の卓ちゃんと三年のけんちゃんと私であった。
四人は意気揚々と稲荷山を目指した。山に入ると道なき道を進んだ。狭い道なのでよっちゃんを先頭に私が一番後ろを歩いた。
しばらく歩くと四差路のような分かれ道に出た。そこには、小さな石の狐がおいてあった。みんなとそこを左に曲がった。私も曲がろうとしたが、足がすべって転んだ。そのときに思わず狐の像をつかもうとしたら、像がころんと倒れた。私は大変なことをしたとあせって、転がった像を持ち上げると元のようにおいて、みんなを追いかけた。
「これがクヌギや」とうれしそうによっちゃんが言った。「虫はどこにいるんや」と私は聞いた。「昼間は落ち葉の中にかくれてるんやで」と卓ちゃんが言う。
私とけんちゃんは言われるままに落ち葉をかき分けた。すると本当に、カブトムシがいた。私は興奮して「うわあ、カブトがとれた」と叫んだ。皆は私の声に気がつかないのか、夢中になって落ち葉をほじくり返していた。
二
しばらくすると「そろそろ帰ろか」とよっちゃんが言った。皆の虫かごは黒い虫たちがごそごそと動き回っていた。私は、カブトムシが一匹とクワガタムシが一匹とれた。とった虫の数は私が一番少なかったけれど大変うれしかった。
来た道をぞろぞろと帰った。私は、けんちゃんの後ろ姿だけを見て歩いていた。突然、よっちゃんが「あれ」と立ち止まった。「道を間違ったみたいや。ちょっと戻ろか」といって戻り始めた。しばらく歩くと「あれ、こんな道通らんかった」とまた戻り出した。
稲荷山をおりるのであれば、下りが続くはずだが、登ったり下ったりして私も変だなと思い出した。
よっちゃんは四差路で立ち止まった。「確か、こっちから来たと思うけどな」とつぶやきながら、また歩き始めた。よっちゃんは六、七回立ち止まっては後戻りした。私はおなかもすいたしのども乾いていた。ちょっと泣きそうになったが、よっちゃんががんばってるのに泣くわけにもいかない。そうこうしてるうちに下りの道に入り、やがて見慣れた町並が見えてきた。
三
町内に戻ると、皆が心配そうに待っていた。
「よっちゃん、なにしてたん。えらく遅いからみんなで心配してたんやで」そういったのは、けんちゃんの姉だった。六年である。
「道に迷うてしもてな。狐に化かされたんや」とよっちゃんが言うと、卓ちゃんも「そうや稲荷山には狐がいるって聞いたことがある。おれらは狐に化かされたんや」と言った。
それから、子どもの間では、稲荷山の狐は人を化かすという話で持ちきりになった。
私も、あの心細さを思い出すと、稲荷山の狐は人を化かすのだと思った。なにせ、あのよっちゃんですら、迷うのだから、狐はとんでもないやつだと思ったのだった。
私は、稲荷山でとってきたカブトムシとクワガタムシを虫かごで飼っていたが、夏休みが終わる頃には二匹とも死んでしまった。
四
最近、この話を友人にしたら「大山、狐が人を化かすなんて童話の世界やで。そんなんあり得ないわ」と言う。
私はそれまでなんとなく狐が人を化かしたと思い込んでいたが、そう言われて見ると確かにあり得ないと思った。
それにしても、しょっちゅう虫取りにいっていたよっちゃんが何度も何度も道を間違えたのはなぜだろうと考えた。
あのときの、状況を思い出すと、よっちゃんは四差路を何度も通っていたことに気がついた。そこまで考えたときに、私の頭に稲妻が走った。
狐の石像だ。私が転んで像を倒したあと、急いで戻したのだが、よく考えるとあわてて逆の位置に置いた。よっちゃんは狐の像を目印に曲がる方向を決めていたのだ。帰りには像の位置が逆になっているとは思わないからそこで道にまよったのだろう。
狐が化かしたことの正体は私が像を置き間違ったことだった。
今思うと、なんだかよっちゃんに悪いことをしたような気がする。あのとき、下級生を引き連れて泣くに泣けなかったよっちゃんの気持ちを思うととても心苦しい。