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「周造と阿弥陀様」 作 大山哲生
一
鎌倉に幕府が開かれたころのことです。
京都のあるお寺に周造という名の寺おとこがおりました。周造はお寺の庭の手入れや雑用をしていました。周造は僧にどんな仕事をいいつけられてもにこにこと笑って言われたことを忠実にこなすのでした。
お堂では毎日数名の僧による読経が行われていました。周造は毎日ありがたい読経の声を聞きながら「一度でいいから仏様のお顔を見てみたいものだ」と思いました。というのも身分の低い周造は仏像を見ることができなかったのです。ただ、お堂の横のすきまから仏像の横顔を薄暗い光の中でやっと見ることができたのでした。
二
ある日、有名な仏師がこの寺を訪れました。この仏師はこの寺の僧から仏像の制作を依頼されていたのです。仏師はお堂の中の様子や光の入り方などを調べました。そのとき、お堂の横のすきまから男が中をのぞいていることに気がつきました。
「おい、男。何をしているのだ」
周造は驚いたようにお堂から離れ、その場にひざまづいて答えました。「はい、私のような身分の低いものは仏像を見ることすらできません。だからお堂の横のすきまからのぞいて心で念仏を唱えておりました」
仏師はこの言葉を聞いて心を動かされました。
仏師は少し物思いにふけりました。そして振り向くと僧にいいました。「今から帰って仏像を彫ることにするが、開眼法要までは布をかぶせたままにして、法要の読経が始まったら布をとるということにしたいが、それでどうか」
僧は「それでけっこうです。よろしくお願いします」と言いました。
三
仏師は家に戻ると一心込めて仏像を彫り始めました。彫っているところは決して人に見られないようにしました。
六ヶ月が過ぎ、仏像はお堂に納められました。それは布で覆われたままという異様な出で立ちで、仏師以外はどんな仏像なのか誰もわからないのでした。
僧がお堂に集まりうやうやしく開眼法要が始まりました。仏師は読経が始まるとおおっていた布をさあっととりました。
読経をしていた僧らは、思わず「おおっ」と声を上げました。
その阿弥陀如来はすばらしい出来でしたが、体は前を向いているのに顔がなんと横を向いているのです。
僧たちは読経も忘れ沈黙しました。ややあって一人の僧がいいました。「これでよい、これでよいのじゃ。阿弥陀様は広く衆生を見てくださるということじゃ」そういうと、他の僧も「そうじゃ、そういうことじゃ」と言いました。
そしてまた読経が始まりました。
周造は庭の仕事をしながらも、新しい仏像がどういうものか気になって仕方がありません。いつものようにお堂の横のすきまからのぞくと、なんということか、阿弥陀如来が横を向いてじっと周造を見つめて居るではありませんか。
「おお、ありがたいことじゃ」周造はその場で手を合わせ心の中で念仏を唱えました。
周造はそれから毎日、お堂のすき間から阿弥陀如来のお顔を見ては念仏を唱え信心を深めていったのでした。
四
二十数年が経ち、周造はすでに寺おとこをやめて山科の村に住んでおりました。しかし体は弱っており、周造は自分の死期が近いことを悟っていました。
そして「死ぬ前に、もう一度あの阿弥陀様のお顔を見たいものじゃ」と思いました。
ある日のこと、意を決した周造は最後の力をふりしぼって山を越え、あのお寺にたどり着きました。そして懐かしいお堂の横にくると、やはりすき間から阿弥陀如来を見ました。
阿弥陀如来は、かわらぬやさしい目でじっと周造を見つめるのでした。それは、周造の長年の信心に応えるかのようでした。
周造は阿弥陀如来のお顔を見ながら念仏を唱えはじめました。七度目の念仏を唱えようとしたとき、にわかにくずれおち、そのまま息絶えたのでした。
人々は「周造さんは幸せ者じゃ。阿弥陀様に見守られて亡くなったのだから」と語り伝えたのでした。
その仏様は「見返り阿弥陀」として今も京都の永観堂禅林寺に残っています。