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第57回京都旅歩きラストミッション 「真如堂前バス停」

2016-02-11 15:56:05 | Weblog

 「真如堂前バス停」作 大山哲生

清川光夫、二十八歳。最近京都旅歩きと称して一人で京都の町を回っている。

 十一月の第一日曜。紅葉がそろそろ美しくなる頃である。

清川はカメラをもって出かけた。重いリュックを背負って玄関で靴を履いていると、妻の良美が「あんた、はよ帰ってや」と声をかけてきた。清川は生返事をしながら、家を出た。

妻とは職場結婚であった。少し気がきかないところはあるが、清川はそれなりにうまくやってきていた。

 真如堂を見学してしばらく歩くと、真如堂前バス停に一人の女性が立っていた。その姿や所作になんとなく気になるものがありじっと見つめていると、向こうもこちらに気づいたようだった。

 彼女は、清川を見て会釈をした。清川は初対面だと思ったが、頭の中にある名前が浮かんだ。「中井千里」。しかし、それが彼女の名前であるかどうか確信がない。

 清川は、彼女に近づき「ひょっとしたら水橋高校の中井千里さんですか」と聞いた。彼女は驚いたように「はい」と答えた。

「中井さんは、水橋高校で同じ学年でしたね」

「そうだったかな、確か三年三組で担任が小辻先生だったよ」

「じゃあ、ぼくは二組だからとなりのクラスだ」

「よく覚えてないなあ」

「二組の担任は日本史の岡田先生でした」

「そう言えば、私も日本史は岡田先生に習ったよ」

 清川は、高校のとき密かに中井千里にあこがれていた。妖精のようで飛ぶように歩く。髪はボーイッシュにしていて、笑うと口元から笑顔がこぼれる。高校三年の時、清川は中井千里と廊下ですれ違うたび心が踊ったのだった。しかし、それ以上進展もなく卒業した。

 だから、今こうして中井千里と話ができる時間が、清川にとってはなにものにも替えがたいのであった。

少し気がせいたが、幸いなことにバスは一向に来る気配がない。

「今、どうしてるの」と清川は聞いた。

「私ね、同級生の松田と結婚して、今は松田千里なの」

清川は、一瞬心が折れたが悟られないように笑顔を作って言った。「へえ、そうだったんだ。松田ならよく遊んだ仲ですよ」

「そうですか。松田も言ってました。清川とはよく遊んだと」

「松田も覚えててくれたんだ」

「そうだ、一度うちに来ない? きっと松田も喜ぶと思います」

「じゃあ、一度おうかがいします」

 ちょうど、そのときバスが来た。中井千里はバスに乗り込むとガラス扉越しに手を振った。

 清川は家に帰って、今日の中井千里を思い出していた。

あこがれ続けていた中井千里への恋心が再び燃えるのを押さえることができなかった。

 あの妖精のようなスタイルとボーイッシュな髪はあのときのままだった。

 清川は、屋根裏収納庫にあがって、高校の卒業文集を探し出した。お茶を飲みながら卒業文集を読み直してみた。清川は、将来はギター一本もって東京に出るなどという浮ついたことを書いていた自分に腹がたった。

 中井千里は、将来は看護婦になりたいというようなことを書いていた。

 文集を読みながら、清川は中井千里と結婚したかったなとつくづくと思った。なんとか時間を戻せはできないか。

 文集を読みながら、清川はあることを思いついた。

 清川は、卒業文集のそっくりそのままの複製をつくることを思いついた。紙の汚れまで再現した。ただし、清川の作文は、歌手になりたいというものではなく、中井千里という人にあこがれていて将来は中井さんと人生をともに歩いていきたい、という内容のものとした。

 ある日曜日、清川は松田の家に遊びに行った。

中井千里が、コーヒーを淹れてくれた。テーブルにコーヒーカップを置くときに中井千里のうなじが目の前にあらわれた。そこから中井千里のにおいがした。清川は息を吸い込んで千里の生気を吸い込もうとした。それだけで心がときめいたが平静をよそおって世間話に花を咲かせた。

 そのときに卒業文集の話になり、松田が文集を出してきた。清川は読む振りをしながら自分が作った複製とすり替えた。すり替えた文集は自分のリュックにこっそりとしまった。

 清川は、帰りの電車で、「中井千里はあの文集が高校卒業から存在すると思っている。高校三年の時に、すでに自分が中井千里に告白していたのだと思い込むに違いない」と考えた。

 しかし、同時にそううまくいくはずもないと思ったが、とにかく清川の思いは高校卒業時の文集という形を借りて伝えたのだから満足であった。

 電車に乗る頃にはかなり暗くなっていた。

 電車は住宅の間を抜けて走っていたが、やがて郊外にでて、漆黒の闇と思われる空間を快いリズムとともに疾走した。この電車はよく利用するが今日は特に漆黒の闇を走る時間が長いように思われた。

ようやく家の近くの駅についた。

 駅近くのバス停でバスを待っているとバスは少し遅れてやってきた。家についたのは、夜の九時もかなり過ぎたころだった。

「ただいま。今帰ったよ」

「おかえりなさい。松田君はどうだった。元気にしてた ?」

「確か冷蔵庫にビールがあったね」

「はいはい、一本だけですよ」

 本当に千里はやさしい。高校の時にあこがれた中井千里に、卒業文集で告白してつきあいが始まった。そして、七年前に結婚した。小学一年生の娘がいる。

 ボーイッシュな髪と妖精のような身のこなしはあの頃のままだ。ときどき見せてくれるこぼれるような笑顔が、今の清川の元気の素になっている。

 缶ビールを飲みながら、千里に松田の話を聞かせたのであった。

 次の日曜日、清川は京都のお寺まわりのためにでかけた。

 千里は「早く、帰ってきてね」と笑顔で見送ってくれた。

 千里は清川の部屋を片付けていたときに、机の上にあった卒業文集を見つけた。

 千里は少し懐かしい思いにかられながら開いてみた。自然と清川の書いた作文に目がいった。

 そこにはこう書かれていた。『ぼくは、ギター一本もって東京に出て歌手になりたいと思います』

 千里は頭がくらくらした。

 清川は、お寺の見学をすませて帰路についた。電車は住宅街をぬけて郊外に出て漆黒の闇を疾走した。今日は、この漆黒の闇を走る時間がかなり長いように思われた。

「おかしいぞ。この電車にはいつも乗っているがこんなに時間はかからないはずだ」

 清川は、だんだん不安になってきた。そのうち疲れも出てうとうとし始めた。

 体が前方にひっぱられる感じで目が覚めた。どうやら運転士がブレーキをかけたらしい。

 駅におりたつと、そこは見たこともない駅だった。改札をでて清川はそこが東京駅であることに気がついた。

 そう、清川は自分の望み通り、ギター一本を持って東京駅に立っていたのであった。

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