第49回京都旅歩き ラストミッション
「安倍晴明の術比べ」~古きや今や拾遺物語より~ 作 大山哲生
寛弘元年(1004年)のことでした。
この年の夏はなぜかひどい干ばつで雨が一滴も降らないのでした。百姓は大変困っていましたが、一番困っていたのは多くの荘園を抱えていた貴族や寺社でした。
権勢を誇っていた藤原道長もその一人だったのです。干ばつで米がとれなければ、摂関家と言えども収入が落ち込むことは必至なのでした。
ある日、道長は陰陽師の安倍晴明を屋敷に呼びました。
安倍晴明は中務省陰陽寮の筆頭を務めており、陰陽道を極め尽くした者として朝廷や摂関家から絶大な信頼を得ていました。
「清明、この干ばつは例年になくひどいとは思わぬか」
「私めもこの干ばつには難儀しております」
「どうじゃ、そなたの呪術で雨乞いをしてはくれぬか。みごと雨を降らせたなら褒美は思いのままじゃ」
「上殿、この干ばつはある者が都に悪さをしようとして呪詛しているものと思われまする」
「ほう、ある者とは誰じゃ」
「希代の呪術師、蘆屋道満(あしやどうまん)でございます」
「なに、道満法師と申したか」
「さよう、道満法師ならば干ばつを起こすほどの呪術をかけることは可能でありましょう」
「ならば、清明の術で奴の術を破ればいいではないか」
「ところが、今は『気』の流れが悪うござる。次に月が満ちる時でないと私でも勝てませぬ」
「そういうものか、それまで待つとするか」
明くる日、清明はあわてた様子で道長の屋敷を訪れました。
「上殿、今なら道満の術を破ることができるかもしれません」
「なんとした」
「千年の後から我に強力な気を送ってくる者がございます。名を羽仁弦弓(はにのつるゆみ)と申します」
「そやつも陰陽師か」
「いえ、羽仁弦弓は素経人と呼ばれる民のようでなんでも氷の上にて舞を成すとか」
「氷の上で舞をなすとは珍しいことよのう。巫女でも板の上でしか舞わぬというのに」
「その羽仁弦弓が千年の彼方からしきりに我に気を送ってまいります。我の気と羽仁の気を合わせれば道満法師の術を破り、雨を降らせることができましょう」
「不思議なことじゃ。それでは今から術をかけてくれ」
「わかりました」
それから、清明は自分の屋敷で陰陽道の準備をし、しきりに術をかけたのでした。しかし、蘆屋道満の呪詛は強烈で清明といえどもなかなか勝てないのでした。
しかし、千年の後から送られてくる羽仁弦弓の気は強烈で、清明はありったけの力をその気に合わせてついに道満の呪詛を打ち破ったのでした。
次の日は、今までの干ばつがまるでうそのように大雨が降り、七日七晩の間降り続けたのでした。
道長は大変喜び、
「さすがは清明じゃ。みごとなものよのう」そう言って清明に褒美をとらせたのでした。
安倍晴明は、その後播磨の守などを歴任し、八十五歳の天寿をまっとうしたのでした。
清明は、死ぬ直前まで千年後の羽仁弦弓にお礼の気を送り続けていたことはあまり知られていません。このことは「御堂関白記」に書きもらしたと人々は語り伝えたとか。