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二階堂校長の事件簿
「失踪した少女」 作 大山哲生
私は二階堂晴久。花散里中学校の校長である。
一
9月2日に2年2組の山岡佐知が行方不明になった。
9月2日の午後10時ころに友達のところに行くといい残したまま、行方がわからなくなったのである。母親は翌日になって捜索願いを出した。しかし、その後も山岡佐知の行方は一向に判明せず、警察は事件と事故の両面から捜査を始めたのであった。携帯電話は電源が切られているようであった。
しばらくすると、テレビでも顔写真入りで放送され、本校の生徒も保護者も詳細まで知るところとなったのであった。
ワイドショーでも、山岡佐知の住む町の略地図を示しながら、あれこれ推察をしていた。
山岡と仲のいい友人にも何度も聞き取りを行ったが手がかりはなかった。
二
山岡佐知には友達が何人かいたが、学校で把握できている生徒や卒業生にも聞いた。しかし誰も知らないというばかりであった。
その中でも、最も何かを知っていそうなのが同じクラスの後藤田茂であった。後藤田の父親は単身赴任で山口県に行っているので、現在は母親と弟の三人暮らしである。父親は、以前はよく帰ってきていたが、最近は帰ってこないらしく、後藤田茂はそのことを寂しがっていた。
後藤田茂は山岡佐知と仲がよい。家に連れてきたことも何度かある。
当初は後藤田繁が家にかくまっているのではないかと考えられた。しかし、母親が家の隅から隅まで調べてみても山岡佐知が隠れているような痕跡は皆無であった。
三
山岡佐知の母親はだんだんあきらめたような顔つきになってきた。
失踪して2ヶ月が過ぎた。母親は電話で、
「たぶん、もう生きてはいないと思います。でも、何があったのかということだけは知りたいです」
という話であった。
今日は11月2日。行方がわからなくなってから、2ヶ月が経過していた。忽然と姿を消した山岡佐知。一体何があったのか、私は校長室で途方に暮れていた。
突然、電話が鳴った。
「はい、はなちるさと」
「みつかりました」山岡佐知の母親の興奮した声であった。「佐知がみつかったんです。裏山のげんげ堂の中でぐったりしているところを発見されたらしいです」
同様の内容の電話が警察からも、教育委員会からもあった。
マスコミも動いたようであるが、学校内部の取材は教育委員会がガードしたようだ。
話を総合すると、裏山を歩いていた農家の人が、普段は人の気配など全くないげんげ堂で物音がするので近寄ってみると女子中学生がいたので、警察に通報したらしい。
四
山岡佐知は家を出た時とは違う服装であった。2ヶ月も生きていたのは何かを食べていたからであるが、どこにいたかは頑として口を割らなかった。
とりあえず病院に入院した。母親が何日もかかって聞き出したところによると、男といたということがわかった。
母親は、山岡佐知の持っていた携帯電話の中を見てみた。メールや通話履歴は抜き取られたSDカードに入っていたらしく、本体には何も残っていなかった。
山岡佐知が失踪していた2ヶ月間、彼女の周りの人たちにはなんの変化もなかったが、一人だけ変化のあった人物がいた。
2週間に一度は必ず山口県から自宅に帰っていたのに、この2ヶ月間は一度も自宅に帰らなかった後藤田茂の父親であった。
後日、警察が調べたところ、山口県のある町の防犯カメラに山岡佐知が映っていたということであった。
誰と暮していたのだろうか?・・
もしも後藤田茂の父親と一緒なら 裏山に捨てるような
事はしないだろう・・ だが佐知が口を割らないとしたら
どんな理由があるのだろうか?・・
後藤田茂の父親の年齢は幾つだろうか?40歳代だろう
‥そして同じ年頃の息子がいる‥魔がさしたのだろうか?
これからの展開に期待している。
おっしゃる通りです。あまり細かく書くと、力不足で矛盾点がいろいろ出てくるので、わざとあいまいにして謎っぽくしてみました。この作品は、割と初期に書いたもので自分でも力不足だなと思います。
さらにいいものが書けるようがんばりたいと思います。ありがとうございます。