بسم الله الرحمان الرحيم
السلام عليكم
旅人のごとく謙虚に質素に(さまざまなハディースより⑤)
〈アブドッラー・イブン・マスウード(رضى الله عنه)によると、アッラーのみ使い(صلى الله عليه و سلم)はござの上に寝られ起きると彼の体にござの跡がついていた、そこで私たちが「アッラーのみ使い様(صلى الله عليه و سلم)、私たちはあなたのために絨毯をご用意することができればよいのですが。」と言うと、彼は答えて言われた。「そうした俗事が私にとって何だというのですか。私は現世において、木の下に陰を求めて休息し、またそこを発つ一介の旅人のような存在に過ぎないのです。」〉(ア=ッ=ティルミズィーによる伝承)
イブン・ウマル(رضى الله عنه)によると、アッラーのみ使い様(صلى الله عليه و سلم)は私の肩に手を掛けて言われた。「現世にあっては異邦人か旅人のようでいなさい」(アル=ブハーリーによる伝承)
人間はいかに生き、いかに死ぬかを簡潔に表現した言葉です。み使い(صلى الله عليه و سلم)は貧しさからござを使用したわけではなく、質素な生活を尊び、あえて選んだのです。この背景を知るにはみ使い(صلى الله عليه و سلم)の生涯を知る必要があります。
預言者ムハンマド(صلى الله عليه و سلم)は生まれたときにすでに父は亡くなっており、6才のときには母が病死しました。幼少期に孤独を体験されています。8才までは祖父に養育され、その後叔父に引き取られ隊商交易の仕事を手伝うようになります。12才のときシリアのブスラーで修道者から預言者になることが告げられます。25才で結婚し裕福な貿易商人として暮らし、40才から預言者としての活動が始まります。教団の長として常に敬意の情を持つ従者たちや多くの援助者に囲まれていましたから、寝るための絨毯はすぐに用意される身分でありました。しかし、預言者(صلى الله عليه و سلم)は生涯を振り返ります。孤児だった自分を庇護し、貧しい境遇から裕福にされたのはアッラーの恩恵であることを自覚されていました。(聖クルアーン93章〔朝章〕を参照ください)
預言者(صلى الله عليه و سلم)は、この世の生活は全てアッラーからの恩恵であり、生かされているのもアッラーの御力であることを十分に認識されていました。生死は人間の大事ですが、人間は死期を悟ることが出来ません。預言者(صلى الله عليه و سلم)はいつ死の迎えがきてもいいように準備されていたのです。「死の支度」として、旅人のごとく身の回り品は必要最低限のものをまとめておく必要があります。来世に持っていくことが出来るのは権勢でも富でもなく、自分の行いだけだからです。来世を意識する旅人は、自分も大自然の一部であるがごとく謙虚に木陰に身を寄せる姿になります。人は生まれた時もひとりであり、死ぬ時もひとりです。普段の生活でも、周りに助けてくれる人がいない異邦人のごとく謙虚に振る舞い、質素な生活をするのがよいと諭されているような気がします。人間はアッラーの許からこの世に送られ、地上での務めを終えるとアッラーの許へと再び旅発つのです。いつ帰って来いと、お呼びがかかっても、この世に思い残すことなく戻る心構えが必要です。誰もがアッラーの御許に帰ることを心に留め、自分が今、死んでアッラーの御前に立てるかと問われたとき、素直に受け入れる心の準備と善い行いを残したいものです。
聖クルアーン93章〔朝章〕
【1朝(の輝き)において、
2静寂な夜において(誓う)。
3主は、あなたを見捨てられず、憎まれた訳でもない。
4本当に来世(将来)は、あなたにとって現世(現在)よりも、もっと良いのである。
5やがて主はあなたの満足するものを御授けになる。
6かれは孤児のあなたを見付けられ、庇護なされたではないか。
7かれはさまよっていたあなたを見付けて、導きを与え、
8また貧しいあなたを見付けて、裕福になされたではないか。
9だから孤児を虐げてはならない。
10請う者を撥ね付けてはならない。
11あなたの主の恩恵を宣べ伝えるがいい。】
日訳 784p&785p
アッラーのご加護と祝福がありますように
والسلام
السلام عليكم
旅人のごとく謙虚に質素に(さまざまなハディースより⑤)
〈アブドッラー・イブン・マスウード(رضى الله عنه)によると、アッラーのみ使い(صلى الله عليه و سلم)はござの上に寝られ起きると彼の体にござの跡がついていた、そこで私たちが「アッラーのみ使い様(صلى الله عليه و سلم)、私たちはあなたのために絨毯をご用意することができればよいのですが。」と言うと、彼は答えて言われた。「そうした俗事が私にとって何だというのですか。私は現世において、木の下に陰を求めて休息し、またそこを発つ一介の旅人のような存在に過ぎないのです。」〉(ア=ッ=ティルミズィーによる伝承)
イブン・ウマル(رضى الله عنه)によると、アッラーのみ使い様(صلى الله عليه و سلم)は私の肩に手を掛けて言われた。「現世にあっては異邦人か旅人のようでいなさい」(アル=ブハーリーによる伝承)
人間はいかに生き、いかに死ぬかを簡潔に表現した言葉です。み使い(صلى الله عليه و سلم)は貧しさからござを使用したわけではなく、質素な生活を尊び、あえて選んだのです。この背景を知るにはみ使い(صلى الله عليه و سلم)の生涯を知る必要があります。
預言者ムハンマド(صلى الله عليه و سلم)は生まれたときにすでに父は亡くなっており、6才のときには母が病死しました。幼少期に孤独を体験されています。8才までは祖父に養育され、その後叔父に引き取られ隊商交易の仕事を手伝うようになります。12才のときシリアのブスラーで修道者から預言者になることが告げられます。25才で結婚し裕福な貿易商人として暮らし、40才から預言者としての活動が始まります。教団の長として常に敬意の情を持つ従者たちや多くの援助者に囲まれていましたから、寝るための絨毯はすぐに用意される身分でありました。しかし、預言者(صلى الله عليه و سلم)は生涯を振り返ります。孤児だった自分を庇護し、貧しい境遇から裕福にされたのはアッラーの恩恵であることを自覚されていました。(聖クルアーン93章〔朝章〕を参照ください)
預言者(صلى الله عليه و سلم)は、この世の生活は全てアッラーからの恩恵であり、生かされているのもアッラーの御力であることを十分に認識されていました。生死は人間の大事ですが、人間は死期を悟ることが出来ません。預言者(صلى الله عليه و سلم)はいつ死の迎えがきてもいいように準備されていたのです。「死の支度」として、旅人のごとく身の回り品は必要最低限のものをまとめておく必要があります。来世に持っていくことが出来るのは権勢でも富でもなく、自分の行いだけだからです。来世を意識する旅人は、自分も大自然の一部であるがごとく謙虚に木陰に身を寄せる姿になります。人は生まれた時もひとりであり、死ぬ時もひとりです。普段の生活でも、周りに助けてくれる人がいない異邦人のごとく謙虚に振る舞い、質素な生活をするのがよいと諭されているような気がします。人間はアッラーの許からこの世に送られ、地上での務めを終えるとアッラーの許へと再び旅発つのです。いつ帰って来いと、お呼びがかかっても、この世に思い残すことなく戻る心構えが必要です。誰もがアッラーの御許に帰ることを心に留め、自分が今、死んでアッラーの御前に立てるかと問われたとき、素直に受け入れる心の準備と善い行いを残したいものです。
聖クルアーン93章〔朝章〕
【1朝(の輝き)において、
2静寂な夜において(誓う)。
3主は、あなたを見捨てられず、憎まれた訳でもない。
4本当に来世(将来)は、あなたにとって現世(現在)よりも、もっと良いのである。
5やがて主はあなたの満足するものを御授けになる。
6かれは孤児のあなたを見付けられ、庇護なされたではないか。
7かれはさまよっていたあなたを見付けて、導きを与え、
8また貧しいあなたを見付けて、裕福になされたではないか。
9だから孤児を虐げてはならない。
10請う者を撥ね付けてはならない。
11あなたの主の恩恵を宣べ伝えるがいい。】
日訳 784p&785p
アッラーのご加護と祝福がありますように
والسلام