さて、イエスにさわっていただこうとして、人々が子どもたちを、みもとに連れて来た。ところが、弟子たちは彼らをしかった。
イエスはそれをご覧になり、憤って、彼らに言われた。「子どもたちを、わたしのところに来させなさい。止めてはいけません。神の国は、このような者たちのものです。(マルコ10:13~14)
9章でイエスさまは教えておられる。
「だれでも、このような幼子たちのひとりを、わたしの名のゆえに受け入れるならば、わたしを受け入れるのです。また、だれでも、わたしを受け入れるならば、わたしを受け入れるのではなく、わたしを遣わされた方を受け入れるのです。」(マルコ9:37)
イエスさまの教えを弟子たちは覚えていなかった。いや、その時は分かっていても、忙しさの中でつい本音が態度になってしまったのだろう。子どもは邪魔な存在だという・・。
でも、神の国は上座に案内される偉い人々のものではなく、この世では何の力もなく、むしろ邪魔にされる者たちのものだとイエスさまは言われる。
ところが、律法学者、パリサイ人たちは、理屈を言い始めた。「神をけがすことを言うこの人は、いったい何者だ。神のほかに、だれが罪を赦すことができよう。」
その理屈を見抜いておられたイエスは、彼らに言われた。「なぜ、心の中でそんな理屈を言っているのか。(ルカ5:21~22)
イエスさまは、人の賢さにあぐらをかいて裁いている人々を叱っておられる。
幼子のように素直にみことばを受け入れなければ、たとえその人のためにイエスさまが死んで下さっても、神の国はその人のものとはならない。
喜んで主に居る弟子たちを、イエスさまは「子たちよ。」(マルコ10:24)と呼ばれた。
弱い私たちがもし邪魔にされるようなことがあったとき、イエスさまは憤ってくださるだろう・・。でも、どうか私たちが、イエスさまを憤らせるようなことをしませんようにと祈る。
主に来るなら、強い御腕に抱き、御手を置いて祝福して下さる。このことによって、この世でもしっかりと立ち、いかなる時も平安のうちに生きることが出来る。ハレルヤ!
主は、ご自分の羽で、あなたをおおわれる。あなたは、その翼の下に身を避ける。主の真実は、大盾であり、とりでである。(詩編91:4)
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