je bruis

メモ ランダム memos random
by azur11
since 2005.11.07 Mon

2008.06.24Tue_14.21.13 つゆの晴れ間

2008-06-25 05:49:20 | 20m walk photos 08
2008.06.24Tue_14.21.13 625x464 
大きな画像larger 1071x795


2008.06.24Tue_14.21.13
つゆの晴れ間
ガクアジサイ
開花


2008.06.24Tue_14.27.15 500x664







2008.06.24Tue_14.32.17 500x666

2008.06.24Tue_14.32.17
トンボ。
数日前〔ノートのメモだと06.18Wed〕、1匹植え込みのあたりを低く飛んでいるのを見たのが、
今年最初の遭遇。




2008.06.24Tue_14.41.44 625x463
大きな画像larger 1000x750


2008.06.24Tue_14.41.44
太陽。
ベランダから、
まぶしすぎてモニターもファインダーも使えないので、
当てずっぽうに。

太陽の直写は、やはり、老機に(老眼にも)無理を強いる(画面の虹のような縞)。
危険。
以後、厳禁を心がけなければ。


2008.06.24Tue_14.42.58 625x218
大きな画像larger 1000x349


2008.06.24Tue_14.42.58
写りこんだひさしをトリム。




記、投稿 2008-06-25Wed 05:49:20。
画像整理の都合を優先して、
後日、投稿日時を撮影日時 2008.06.24Tue_14.21.13 他で設定し直します。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2008.06.16Mon_11.33.18 つゆの晴れ間

2008-06-19 23:51:36 | 20m walk photos 08
2008.06.16Mon_11.33.18 
大きな画像larger


2008.06.16Mon_11.33.18 
つゆの晴れ間。
ガクアジサイ。





記、投稿 2008-06-19Thur 23:51:36。
画像整理の都合を優先して、
後日、投稿日時を撮影日時 2008.06.16Mon_11.33.18 で再設定します。


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2008.06.16Mon_11.32.38 つゆの晴れ間

2008-06-19 23:50:58 | 20m walk photos 08
2008.06.16Mon_11.32.38 
大きな画像larger


2008.06.16Mon_11.32.38 
つゆの晴れ間。
ガクアジサイ。




記、投稿 2008-06-19Thur 23:50:58。
画像整理の都合を優先して、
後日、投稿日時を撮影日時 2008.06.16Mon_11.32.38 で設定し直します。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2008.06.16Mon_11.22.48 つゆの晴れ間

2008-06-19 23:50:10 | 20m walk photos 08
2008.06.16Mon_11.22.48 
大きな画像larger



2008.06.16Mon_11.13.20
大きな画像 larger



2008.06.16Mon 11時過ぎ

ボウルの水を捨てようと勝手口から身をのりだすと、
左目の端に、花に陽があたっているのが見えた。

つゆの晴れ間。
ガクアジサイ。

そうとう前(ひょっとすると10年はくだらない)、
たしか新聞の販売店からもらった種(リサイクル用の紙袋に入っている)を、
同居の家族が適当にまいておいたのが、いつの間にかひとりで育って、
以来、どんなにぞんざいに扱っても、毎年花をつける。

アジサイ全般にあまり面白みを感じないところに
(色も形も、はじめから水彩絵の具で描いたかのように淡いのが、どちらかというと、苦手。
水っぽく、どこか人工的でもある)、
これはとくに大味に見え、
生来のずぼらも手伝って、ろくに注意も向けずにきたけれども、
今日は、光のもと、花としての面目躍如、と感じた。
長年のネグレクトの罪ほろぼしに、初写。

(花びらに見えるのは、実は萼(がく)で、装飾花と呼ばれる。
花の本体は、中央の粒。この絵では未開花(蕾)?
ガクアジサイのガクは、額。装飾花が周辺を額縁のように縁取る様から。
この種、つまりこの形態のほうが、アジサイのプロトタイプ。
等々とのこと。

Cordial thanks to the sites below.
http://ja.wikipedia.org/wiki/アジサイ
http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/BotanicalGarden/HTMLs/Gakuajisai.html)




記、投稿 2008-06-19Thur 23:50:10。
画像整理の都合を優先して、
後日、投稿日時を撮影日時 2008.06.16Mon_11.22.48 で設定し直します。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2008.05.22Thu_06.35.55 梅の実 umes [plums]

2008-05-26 20:16:08 | 20m walk photos 08
22008.05.22Thu_06.35.55
大きな画像larger

より大きな画像largest

梅切らぬ馬鹿がほったらかしていても、実をつける。
ボロ家の日当たりの悪い庭の片隅でも、
いつの間にか進んでいるこういう事実。
ひっそりとした充実。

触るのがなんとなくはばかられる。

うかがい知れず複雑で、やわらかな仕組み、
そういったもののてらいのない展開。
そんな感じ。


にぎりみて こころにこたふ いなほかな
虚子

を思い出した。
(句姿も作者名もかならずしも定かではない。
自分の記憶の範囲内でのこと。
近代俳句で覚えていると言えるのは、これと、あと2,3句だけ)


たまたま連想で浮かんだだけで、自分の感覚を代弁してもらおうというのではない。
自分の感覚を、すでにある情報〔知識〕に還元しようとは思わない。
知識とは、つまりは他人の発言、他人の観念。
参考以上にはならない、と感じる。
むやみに頼ってなんになるだろう?

貧しくても(ここでは経済生活ではなくて、表現が)、
それぞれが、自分の感触に即した、自分なりの記録・表現を
(方法・手段はなんでもいい)。
と、そう思いたい。
それが各人の事実。歴史。
大仰を承知で言えば世界への刻印 marking。

事実:fact:ラテン語 facio〔なす〕の過去分詞factum が語源、とのこと。

Cf.
http://www.merriam-webster.com/dictionary/fact
Etymology:

勝手な解釈では、
つまり、factとは、ひとや自然や神によってなされたもの・つくり出されたもの、
ひとや自然や神がなしたもの・つくり出したもの。

わたしの言葉は、どうであれ、わたしの事実。


齋藤喜博という教育実践者〔先達・巨人〕が、
子どもの中に新しい事実を、
と言っている、その意味が多少とも感覚的に理解できた(つもりになった)のは、
洟たれ小僧の大学時代を過ぎたずっとあとだった。

つくり出す・生み出すということがキーだとは、
すぐには直感できなかった。

子どもは本来、
自分の中に達成や獲得や変化をつくり出す自己事実化の力を、
子ども自身の内部に潜在的に持っている。
教師の努めとは、
子どもの自己事実化の作業の全面的な支援にひたすら徹し、
結果として、その作業をなんらか、必ず、子どもにおいて実現させること。
つまり、子どもの中に、自力による事実のつくり出しを導き出し、顕在化させてやること
(――プラトンの助産師の術がふまえられているのかもしれない)。
それはまた、教師自身の自己事実化につながる。
たぶん、そんなふうな意味だったのだろう、と思う。


こころにこたふ:
虚子にはなにがこたえたのか、
「こころ」は、はたしてどの程度のことを受け止めていたのか、
一抹の、いや、率直に言って、かなりの、こころもとなさがある。
今日、田んぼで泥にまみれる幼稚園生や小学生ほどにも、
なにかを感触していたのだろうか。

なべて、日本の文人の狭苦しさ、閉塞、不徹底、ひ弱。



さて、
うれしいが、
熟した時、どうすればいいか。
アルコールは今の自分には命取りだから〔生活の収拾がつかなくなる〕、
検索して、微量でいいからジャムでも作れればよしとしよう。





記、投稿 2008-05-26Mon 20:16:08。
画像整理の都合を優先して、後日、
投稿日時を撮影日時 2008.05.22Thu_06.35.55 で再設定します。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2008.05.03Sat_17.44.08 田んぼ tambo

2008-05-25 00:23:54 | 20m walk photos 08
2008.05.03Sat_17.44.08 
大きな画像larger


2008.05.03Sat

午後遅く、
旧市街のスーパーへ。

途中、しばらく(数十秒間ほど)、左手にこの反射を見ながら走ることになり、
少し迷って、自転車をおりて、
メモ。
なんでもいいから、目にとまったもの、
少しでも交感があったように感じたもの、は
できる範囲で、とにかくメモ。


自転車。
使用貸借。無償。2月あたりから。

余裕のあるときは、歩きでよかった、
と言うより、歩きが、よかった〔歩きを楽しんだ――得るものは多かった・無限〕のだけれども、
しばらく前から、そうはいかなくなった。

旧市街まで片道1時間以上かけて歩いていたのが、
ゆっくりこいでも数十分。

おそるべき快適。
文明の利器。
これで十分。十二分。

人間の発明は、
個人の日常ユースに関する限り
自転車あたりで止めておくべきだったのではないか。

そうすれば、
世界は、これほど殺伐とせずにすんでいたのかも。

いや、それならそれで、
そのレベルの枠内でまた、
あらんかぎりの問題・トラブル・争いを生み出し、ためこんでいくのが人間の性だとすれば
(たとえば昨今自転車事故で死者が出る)。

などと、

あれこれと世迷いごとに浮かれまどう
田舎の道の初夏の夕暮れ。




記、投稿 2008-05-25Sun 00:23:54。
画像整理の都合を優先して、後日、
投稿日時を撮影日時 2008.05.03Sat_17.44.08 で再設定します。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2008.03.18Tue_16.08.48 梅の花 ume blooming

2008-05-23 18:02:01 | 20m walk photos 08
2008.03.18Tue_16.08.48  
大きな画像larger

より大きな画像largest

厳しかった冬のあとに、
ボロ家の貧庭にも、春が来た。
自然の平等。
Ubiquitous.

藪同然の中、西側、幹の下の方なので、
光が少なく、手ぶれをおこしている。
(補正機能がついていない)



記、投稿 2008.05.23Fri_18:02:01。
画像整理の都合を優先して、後日、
投稿日時を撮影日時 2008.03.18Tue_16.08.48 で再設定します。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2008.04.27Sun  鳥 birds

2008-05-16 00:44:45 | 20m walk photos 08
2007.05.07Mon_16.27.29 
大きな画像larger

より大きな画像largest

ノート(紙)のメモから。

2008.04.27Sun

家と家の間の路上で、スズメが数羽、斜め上を突っ切った。
その勢いが、今までと違う。


界隈の東の外れ、
公園の東側、道の右手の耕作地の方から、
突然、
しゃがれ声から一気に甲高く突き抜ける、
そんな鳴響が2回。

そうか、
ここにはあんたという主〔ぬし〕がいたんだっけか。
と思い出しつつ、
姿を探し、
遠目に、たしかに確認。
再見――だと思う。


お互い冬を生き延びた。
また一年、健闘を祈る。
とかなんとか、つぶやくような気分で
ペダルをこぐと、

手前の田んぼの土がくまなく鋤かれ、
一面のくぼみに水が溜まっているのに
気がついた。

黒いかたまりと、透明な反射。
単色の(多少誇張をこめて)小宇宙。
あの反射は、いろいろなものを映し込んでいるに違いない。

あの充実。
みずみずしさ。
ああいうものが、
しばし、おれの目をとらえて離さない。
なぜだろう?

たぶん、どこかで
おれのからだ、おれのいのちに触れるからだ、
と、そう思う。

労働
知恵
創意
作物
他の種のいのちの支え
循環
等々、等々、
そういったいくつもの事実・意味が、何重にも重なって。

それと、
あそこでは、ひとの事実と、自然の事実が交じり合っている。



水の戯れとは、ああいうものを言うんだよ
ラベルくん。
あんたの「水の戯れ」は、決して、水の戯れではない。
あんたのあれは、
水の戯れについて考え込んでいる、ひとの自我しか映し出していない。
または、ひとの知性と言おうか。
水自体の感触、
水に触れる(直接触れないまでも、水を感知する)からだの動作・ざわめき、
そういうものが、欠けている。
もっと正確には、
水に触れるからだのざわめきを触知するもの、たとえば、こころ、
そのこころのざわめき、
そういうものが、欠けている。
だから、知性が、こころを触知していない。
そういう空虚。
だから、聴き手のこころに触れず、
いのちに触れず、
聴き手に、真の知性を目覚めさせない。
ふたたび、空虚。

外部世界・からだ・こころの欠落。
外部との交渉を仲介しないで、
というか、――めんどくさいので論理を一気に飛躍させてしまうと――
外部の助け、支え、救済なしに
追究される自我とはなにか?

そんな純粋自我は、知性の曲芸というバーチャルの中で、破産する。

いつだったか、
去年〔2007〕のある火曜か土曜に、
3chのレクチャーを見ていて、つくづくそう思った:
スーパーピアノレッスン〔ベロフ〕。
それと、金曜夜のリサイタル〔ピアニスト不明。メモした紙が見つからない〕。
ベロフや学生、ソリストらのせいというより、
おれからすると、作品自体・芸術(家)自体に内在する、本質的欠陥。
これはラベルだけでなく、おおむねドビュッシーにもあてはまる
(後者のほうが、才能が数段上、複雑多岐、精緻、濃密etc.なだけ)。
この種の音楽は、つまりおれには他人事だ。結局、どうでもいい。
等々


と、ひとり自分相手に、そんな与太を飛ばしつつ、
ゆるい坂を登って幹線道路に出、
歩道を走ってスーパーの駐車場へ。

すると頭上で
空気を茎のように噛みしだくような音。
メゾ・ソプラノ(声質だけで言えば)?
忘れては、毎年この時期に繰り返す、再認識:
実は意外と豊麗、美声。

つばめ。

飛形も確認。
みごと。


数週間買い物に出ない間に(代行を頼むことが多くなった)
季節はその力を急激にみなぎらせていく。
春は今が盛りなのか、それとも暮れの始まりなのか。



同じ場所の去年の写真があった。
2007.05.07_16.27.29

個体も同じだと思うことにする。

実際は、この写真ほど季節は進んでいず、
緑は浅くまばら、
土も水も、これほどゆるんではいず、むしろ冷たさと厳しさの名残りを感じさせる。
キジJapanese pheasant は、これより痩せて、ややすさんだ(生き抜いた、という)感じだった
(実は、冬、テリトリーの一部、道路のこちら側の広い草地にブルトーザーが入った)。


Cf.
スーパーピアノレッスン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%BC%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%94%E3%82%A2%E3%83%8E%E3%83%AC%E3%83%83%E3%82%B9%E3%83%B3

ミシェル・ダルベルトのシューベルト〔ピアノ・ソナタ 変ロ長調 D.960 〕。

例によって、行き当たりばったり、
チャンネルを移したら、たまたまやっていた。
なんにも知らずに、この時初めて聞いた演奏家。

少なくともシューベルトの演奏家として、
または、単にシューベルトの演奏家であるだけで、
巨匠。

Ggると、この判断は的外れではなかったらしいことがわかる。

ただ、なぜ、生徒相手に、突然無意味なギャグをとばしてみせたりするのか、
無用のサービスだと思った。

だが、演奏は白眉。
なんというか、たとえば、
深く、それでいてきわめて身近な、明晰。
すべてのニュアンスが、あますところなく自然。
こういう正確。
というか、
今の自分の状態では、軽々に言葉に翻訳できない。
むしろ翻訳不能。
だとしてもなお、
現代の演奏の最高峰に属する、
と言わなければならない
と思う。
至福。

世に才能の種は尽きない。


(ベロフは間違いなく去年2007――再放送だとのこと――だとして、
こちらは、一昨年2006に本放送を聞いたことになるらしい。
上のページを見るまで、どちらも去年のことだと思っていた。
Got old.)





記事内容(ノートのメモ)の日時と、投稿の日時との食い違いをどう調整するか、
思案中。
原則、前者優先で整理することになるか。

適当な時間の後、投稿日時を記事内容の日時で再設定します。
内容日時:2008.04.27Sun 
投稿日時:2008-05-16Mon 00:44:45
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2008.04.04_06.37.11 桜 sakura triplets 2

2008-05-02 23:37:45 | 20m walk photos 08
2008.04.04_06.37.11 
大きな画像larger

より大きな画像largest





2008.04.04_06.41.34
大きな画像larger

より大きな画像largest


To you:
I barely have kept my words,
something like a promise to see again.

Thank you for what you are;
and thank you for your energy to live,
for your persistence to live.

Anyway, good-bye for a while again.
Take care.
Bien du bonheur à nous tous!


なんというか、
どうにか約束を守ったぞ。
その姿、その生命力に、感謝する。

またいつか。
それまで、お互い達者でな。



記、投稿 2008-05-02 23:37:45。
画像整理の都合を優先して、後日、
投稿日時を撮影日時 2008.04.04_06.37.11 で再設定します。


コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2008.04.03_17.13.24 校庭 sakura in the yard

2008-05-02 20:56:35 | 20m walk photos 08
2008.04.03_17.13.24 
大きな画像 larger

より大きな画像 largest

竹やぶや住宅に沿って裏道を右に曲がり、
さらにもう一回右に曲がって、表へ出、
通用門か何かよくわからないフェンスの切れ目から、構内へ。

夕暮れ少し前。
ものも、ひとも、無数のニュアンスに満たされる時間帯。


記、投稿 2008-05-02 20:56:35。
画像整理の都合を優先して、後日、
投稿日時を撮影日時 2008.04.03_17.13.24 で再設定します。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2008.04.03_16.34.56 桜 sakura triplets 1

2008-05-02 18:41:31 | 20m walk photos 08
2008.04.03_16.34.56 
大きな画像 larger

より大きな画像 largest

私立校の裏手。
樹列の東南の端〔いちばん奥〕。
この日、最初に足を運んだ場所。
夕暮れ少し前に、
再見。
(画像は実際より暗め)

ただ、
できれば、朝陽の中で見たいので、
翌朝早くを期しつつ。


記、投稿 2008-05-02 18:41:31。
画像整理の都合を優先して、後日、
投稿日時を撮影日時 2008.04.03_16.34.56 で再設定します。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2008.04.03_17.00.24 桜 sakura

2008-04-23 18:37:34 | 20m walk photos 08
2008.04.03_17.00.24 
大きな画像larger

より大きな画像largest

数箇所、花びらの変色(この時期早くも。雨のしわざ?)をレタッチ。
新しいPC(中古。使用貸借。無償。やっと)に、Paint Shop Pro 8 が入っていたので、
ためしに。
高機能(Photo Deluxe for ファミリー などよりはるかに)。

けれども、
ナマケ癖やスキルの問題とは別に、
この種の作業(結局は、PCの操作自体)は、たぶん、自分には向かない、
と、あらためて感じた。
複雑だが、無機的で、希薄。

反対に、
鉛筆で、紙に字を書くこと。
芯、握り、紙、肌理、字、語、句、文、たぶん、意味も、
こちらを、いちいち、いろいろに、押し返してくる(物理で言う、反作用)。
モノ、の感触。
モノに接する、モノと交渉する自分の体の感触。
そのように感じる、自分の心(かりに、あるとすればの話)の感触。
自分が、それらの感触にざわつきながら、
そのことを通して、
小さいけれどもある高みへと、
整序化されていくのを感じる。

幼児期の快。
他を借りながらの、自己統御。
自己回復(幼児期を見失った者には、二重の意味で)。



記、投稿 2008-04-23 18:37:34。
画像整理の都合を優先して、後日、
投稿日時を撮影日時 2008.04.03_17.00.24 で再設定します。




コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2008.04.03_17.00.03 桜 sakura

2008-04-13 00:00:00 | 20m walk photos 08
2008.04.03_17.00.03 
大きな画像larger


合間に、
私立校の裏へ。

花の繁みの中に、小さく朱く光って震えているものが見え、
状況が呑みこめるまでに少し暇が要り、
呑みこめたと思った途端、色が消えたので、
あわてて繁みの間を透かして見ると、
遥か向こう、西の空で、太陽が雲の陰に入っていた。
そのまま傾いて、ここには光が届かずじまいになるのか、
その前に一度でも雲が切れるのか、
ともかくも、と、数分待つと、
ふたたび朱色が射したので、
数枚記録。

早朝のはずだったのが、
夕方に。
しかし、
Voyez,il est bon d'arriver parfois en retard.
(出遅れるのが災いするとは限らない)*


*nhkラジオ第2 フランス語入門 2007.10-2008.03放送分の中の1文。
スキットの自然さ、
重要事項の循環など、
学習者への教育的配慮の行き届いた、(超)優良番組だった。
おそらく、担当講師の方の力によるところ大だったのだろうと思う。
敬服と感謝。
おかげで、数十年ぶりにフランス語の基本を見直すことができた。
(方法:dictée:テキスト代の余裕がないので、テープに録って、ノートに起こす。
ノート:ダンボール箱から出てきた大学時代の使いかけのノート
―たいがい、初めの数回分の授業が書き取ってあるだけで、あとは白紙―
をリサイクル。
テープ:重ね録り。)

毎週木曜の「今月の歌」もよかった。

Pierre Cadéac:Je suis déshéritée
Jehan Tabourot:Belle qui tiens ma vie
Estienne Moulinié:Consert de différents oyseaux

ふと頭をよぎった、
たとえばドビュッシーやラベルのあの空虚さは、
これら内実ある音楽対する一種の忘恩なんじゃないか、
という、よしなし言の破片。


記、投稿 2008-04-13 00:00:00。
画像整理の都合上、後日、
投稿日時を撮影日時 2008.04.03_17.00.03 で再設定します。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする