お掃除そすて日々のこと

頑張らないお掃除。
頑張らない人生。

もうひとりだけ

2014年02月25日 | 食事制限れすか

 ワイハの海で、たっぷり日焼けして
帰国いたしますた。
それにしても
時差は本当にいつまでも慣れない。
時差が無ければ、もっと快適なんだろーな。
時差解消には、長く滞在しかないのか・・。

 次行くのはホノルルマラソンでしょうか。
あの暑いところでのマラソン
今からドキが胸胸れす!

 さてさていよいよ現職場も残すところあと1ヶ月となりますた。
退職以降の予定を序々に考えつつある
今日この頃。

 少しゆっくりしようと思っていましたが
やめましたw
 とりあえず、起業することにしました。
なので
今以上に忙しくなる予定れすな・・。

以前より、社長になってみたいなという思いはありましたが
踏み切れずにいました。
 そうしなくても、特に生活に不満があったわけでなく
新しいことは、必要ないのでは、
自分のこの先の人生も、ぼんやりと見えているし
このまま、流れて生きていければいいかな
なんて
思っていたためでしょう。
それは
無意識か、意識的にか、判断がつかないのですが。

 自分の思うとおりに、事が進むという経験を
なさる方は、存在すると思います。
今の自分がそうなのですが、
ただし
思うとおりの道が開けると同時に
逆の方向へ引っ張ろうという、強烈な力も感じます。
ただ
見方を変えると
逆の力が働いているということは
それだけ、思った方向へ突き進むのが
ベストだという
答えにつながります。

 自分の出したアイデアで
お金が動く、お金が手に入る
考えるだけで、心躍りますw

この不景気に甘い??
甘くてもしょっぱくても
やってみなければ、わからないYO!
ダメだったら、違うことで起業する、
またダメなら、
廃業して外でお金を稼ぐ
いつまでもダメそうなら

 そのときは、そのとき
ワイハの海でまた、日焼けしてきますれす!
日焼けが冷めた頃、次の人生を考えるといいよNE!

 とりあえず、在職中そう、今!
新しいシステム作ろうともがいてますw

この波を逃したくないれす。

どこに・・・

2014年02月16日 | 食事制限れすか

 時折頭痛に悩まされるのは
現職場の環境のせい。
「品質管理」という名のもとに行われる
連日の「モニタリング」という名の
「盗聴」。

耳から入るエコーで、全てばればれです。
連日のこの「エコー」攻撃で
とうとう、耳が疲弊してきました。
退職前に、診断書とって訴訟したいと思いますw

さて
死んでいないけど、どこへ行ったかわからない
叔父がいます。
いや
もしかして、死んでるのかな・・。

この叔父はもう、
究極の自由人です。
いいんです、
どんな風に生きても、どんな生活を送っていても。
ワタシにはあまり関係ない。
ところが・・・

 死なないまでも
事故にあったとか、事件にあったとか
そんなとき
連絡がくるのは
親戚なんです。
年齢的に、彼の両親(つまりワタシの祖父母)は既に他界。
そうすると
残っている親戚に連絡がくる。
くるというより
叔父が、唯一持っていたメモ帳に
ワタシの実父(つまり叔父の兄貴)の電話番号が書いてあったらしー。

 酒を飲んで、たまたま居合わせた見知らぬ客と
口論になり
そいつに叔父は、ビール瓶で頭殴られたらしいwwwwwwwwww

道でうずくまっているトコロを通行人に119番され
病院に運ばれ
病院への支払いをどうするかという段階になって
連絡先であったウチに電話が来たわけです。

 とりあえず
3日程入院させてもらい、
その後請求額を払い、怪我したまま
のこの叔父を、「家が無い」状態の為
我が家に連れ帰り
そすて
親戚一同が我が家に召集されますた。
もう
オッサン、オバサン複数での
怒鳴りあいですゎ・・・。

 叔父が、もう何十年も音沙汰なく
両親の葬儀にも結局帰らなかったこと。
何年か前に手紙をよこしたが、内容が
借金の申出だったこと。
そして
今回のこれ。
そして
これから、どうするんだ、家が無いなら
誰が面倒を見るのかということ。

もぅ
怒号と喧騒の数日間です。
集まった親戚は遠方のため
わざわざホテルをとったり
割と、大事になっとりましたw
病院から連れ帰ったときの、叔父の荷物は
「紙袋一つ」。
その時点ではもう完璧
「住所不定無職」でしたwwwwwwwww
そして
紙袋の中から、見えたのが
血だらけの洋服(ガクブル・・


切ったのは額だったようですが
出血が大分あったようです。
当然、完治まで通院もあり
そこでも支払いが発生するため
ここでもまた、誰が支払うかで
もめていましたw

そんな大荒れの日の2日後
寝ていたはずの叔父が
朝になっても起きてこない。
どうやら
皆が寝静まっている早朝には
我が家を出て行ったようです。
黙って。
結局、連れて来られてから
「世話になった(あるいは申し訳ない」の
一言の言葉もなく
まだ、怪我も完治していないのに
早朝、どこか知らない場所へ
叔父は出て行きました。

 叔父の居なくなった朝以降
また、親戚連中で
この事に関して、散々もめたわけですがw
不思議な事に
叔父がまだ、居たときには
ものすごい説教の嵐だったのに
いざ、居なくなると
「怪我を心配する」内容での話し合いばかりに。

なんだかんだ言っても
「身内」なんだよなぁ
なんて。
叔父が姿を消してから
さらにもう15年位経つわけですが
「遠くの親戚より近くの他人」といいますが
違うだろと思います・・。
近くの他人には、色んな意味で義務、責任など当然発生しない為
やはり
何かあると
「遠くの親戚」に連絡がきますw

 叔父さん・・
今頃どうしているのでしょうか?
人生は
Freedom”!!!

うずうず

2014年02月11日 | 食事制限れすか

 何かようか
9日
10日。

死んだ伯母のことを、思い出していた。
当時
伯母の夫つまり伯父が銀行員で
伯父が支店長になったことを自慢していた。
子供心に
「あんまり聞いて楽しい話じゃないな」と
感じていた。
当時、今のようにリサイクルショップもなく
親戚内で
子供服は、「おさがり」という形で
まかなっていた部分が大半だった。

 伯母の家は、当然我が家より経済的に余裕がある為
子供服の「おさがり」のレベルも
かなり上だった。
正直
意地汚い子供時代のワタシは
ここの家からのおさがりが大好きだった。

 盆休み、正月など親戚が集まったとき
伯母がいそいそと、包みをあけ
ワタシに向かって
「これは?着る?」と
ワタシに聞く。
正直、聞かれる前から欲しいに決まってる。
だから
即答したい、「うん!着る!」と。
でも、伯母が正面からワタシを見据え
多少の威圧感を感じていたため
少しの間躊躇し、そして
やっとこ、口を開くのだ。
「うん」と。
そんな事を数回、繰り返し
さらに、嬉々として包みを開き身体の正面に
服を広げてみせる伯母が
最後に言い放った言葉が
しばらく、忘れられなかった。
 「○○って、なんでも貰うんだね~」
と。
 どういう意味合いで言ったのかわからないが
子供心に「非常に恥ずかしい」と
感じた。
「いる?」と聞かれ
欲しいから貰っただけなのに
なんで、こんな嫌な言い方をするんだろうと
不思議だった。
以来、この伯母はすごく苦手な親戚になる。

 時は流れ
伯母は老人と言われる年齢になり
ワタシは大人になった。
そして
数ヶ月前、伯母が死んだ。
まだ、老衰といわれる歳ではないが
がんを患い、入院してからはあっという間だった。
伯父が数年前より、難病を患っていたが
てっきり施設に入れているかと思っていたが
伯母が
介護をしていたようだ。
はっきり言って
お金もちだ。
伯父のことだって、お金を使い
他人にまかせることだって出来たはずだ。
しかし
伯父の死去まで彼女は自宅で
勿論、ヘルパーさんを使っていただろうが
介護を続け伯父を空へ送りだした。
あとから、聞いた話では
旅行や外出が大好きだった伯母が
介護が始まってからは、
終ぞ自身の楽しみの為の外出はせず
ただ、ひたすら自分の夫の側についていたようだ。
 伯父を見送って、もう本当にすぐに
伯母も空へかえった。

自分の葬儀の生前予約もしており
墓も、自分の子供たちの通いやすい場所を
購入し
全てを計画し、そして
滞りなく計画を実行し
空へかえった。

 先日、テレビで
「死んだ人にもう一度だけ会えるなら何を聞くか?」と
いうのを
耳にした。
苦手で、そのうち疎遠になってしまった
この伯母に
会って聞きたいことがある。
そして
子供だったから、うまく言えなかったであろう
言葉を
今更ながら言いたいのだ。
「洋服を沢山くれて、ありがとう」と。

きっと、ちゃんと言っていなかったと思うんだ
ねぇ
伯母さん。




キャベ侍

2014年02月04日 | 食事制限れすか

 この世に生をうけ早25万年。
本日も悪党を退治し、シャツから自慢の
豊満な胸
(ではなく)
桜吹雪を見せ
無事に帰宅いたしますた。
大体、いつもヒットマンに狙われている
このワタクシ、
そろそろ
本当にこの世とお別れしなければならない瞬間が
来るとオモワレますれす。

 さてさて
本日も例のアレ
いって光浦 靖子!!

皆様はご存知だろうか。
このワタクシの
胃腸が異常に丈夫すぎることを(知るか!

生まれてから、胃腸薬を飲んだという記憶が
かれこれ3回くらい?
その3回目というのが
今回、職場の若い男子から(涎・・
愛の告白と同時に心配された回でして
ぁぁ
こんなにも、儚げで幸薄いいい女は
やっぱり
胃腸が弱いのですね?という
認識なわけれR。
しかし
その前の回というのは、
はるか20年ほど前のことでして。

 どこのお宅にも
「キャベ○○」というアレは
常備していたりすると思うのれすが
飲むのはもっぱら
ワタクシ以外の方々。
これは
もう
胃腸が丈夫なのか弱いのか
わからないということで
よろしいか?(イヤ、丈夫だろ・・

記念すべき
今回の不調で、オウチで
キャベ○○を飲みました、
「キャベ記念日」ですわょ、奥さん。

「ああ、胃腸が不調って
こういう気分なの?」と
やけに晴れやかな気分を味わい。
今年、年が明けてからの
おめでたい日になりますた(ぇ。

 次のキャベ記念日は
いつになるのでしょーか?
その日のことを
考えると
緊張して
胃が痛くなります・・。

休んでた?

2014年02月01日 | 食事制限れすか

 あれ?おはようございます

あー、おはよう(ございます)

先週シフト変えたんですか?

ぁぁ?変えてないよ、ああ、ちょっと休んでたー

風邪とか?

うん、風邪もあると思うけど、結局胃腸炎さーw

うわ、まぢwもう治ったんすか?

薬飲んでるけど、大分いい

大変でしたねー、無理しないほうがいいっすよー

あ、ありがとう~
○○さんも、今時期色々流行ってるから
気をつけてね

ですよね~、休んだらAyakaさんに会える日減るからぁ
あははぁw


 実話れす。
もうこれは

 「愛」なんでしょーか?
それとも
「恋の始まり」なんでしょーか?
もう
ホスト遊びはやめなよ、と
いうことなんでしょーか?

女とは、悲しい生き物です。
若さもいずれ失せ
そうなると
信じられるのは、友人とお金だけでしょう。
その、友人だって、結婚やら出産やらで
そのうち、疎遠になり
そうなると
金にものいわせ
男からちやほやされるのを、生きがいにしてゆくわけれす。

 女とは、切ない生き物れす。
言い寄ってくる男の数で、男の質で
己の存在価値を再認識するわけれす。
いくら、頑張っても、お金をかけても
天然のはじける若さには、かなうはずもなく。

飲みすぎた翌朝の
鏡に映る自分の顔を
「これは絶対にワタシじゃないYO!」と
認めようとはしないのれす。

皆様はご存知だろうか。
このワタクシの周囲の男性の年齢が
軒並み「年下」君になっていることを(知らん。
もぅ
愛だの、恋だの、言う歳でもあるまいし。
なのに
まだまだ、若さはじける「年下」君に
ちょっと優しい言葉をかけられると
あれよあれよという間に
「心」がもっていかれそうになってしまう。
もぅ
とうの昔に捨ててきた感情が
むくむくと頭をもたげるのを
止められない
ワタシがそこにいる。

 ぁぁ、神様
ワタクシはいつになったら
「女」から脱皮できるのでしょーか?
未だ
故郷へ帰り、後継ぎになると決意したあの
ホスト君がまだ、夢に出てきて
夢から覚めたあと、再び枕を濡らすのれす。
そすて
こんな、穴の開いたワタシの心に
同じ職場の○○君は
グイグイねじ込んでくるのれす。
まるで
空虚なワタシの隙だらけの気持ちは
格好の布団であるかのように
そこで、寛ぎ、足を伸ばし
そすて
このワタシをからめとろうと
チャンスのワナを仕掛けてくるのれす。

いけない
いけない
時間の始まり・・。
誰か


て・・・。