両親の異常が自分にも遺伝していることへ怯えをもつマルチェロは,いわれのない梅毒疑惑にも過剰に反応し,そうした恐怖を完全払拭すると信じられるのがファシズムへの忠誠であり,信仰なのである.共産主義ドクトリンの横暴なプロパガンダの本質を,「人を見て法を説く」ものであると喝破したズビグネフ・ブレジンスキー(Zbigniew K. Brzezinski)は,人類の進歩を可能ならしめるという共産主義の飛躍は,単純化されたドクトリンが変容する社会に適合できなかった点で,画餅に終わったとみた.中央当局が不磨の大典の如く唱えた「科学的真理」を結集し,最良の理想主義的精神で掲げた「真に公正な社会」.西側諸国が共産主義の欺瞞を制圧するまで,ユートピア的価値観に埋もれた大衆は,専横する共産主義に高いモラルと連帯を夢見ていた.それはマルチェロの夢であった.だが,彼には自分でも無意識化に抑圧していた少年時代の"トラウマ"があった.暗殺の森の血しぶきにも微動だにしなかった彼が,1943年7月27日に解散した国家ファシスト党の行く末を案ずる矢先,盲目の友人イタロに呼び出されて夜の街を徘徊した時,それまで露ほども疑わなかったファシズムへの忠誠と信仰を打ち砕く人物に邂逅する.
混乱の極みに陥ったマルチェロは錯乱し絶叫する.その叫びはとめどなく,いつまでも木霊する.大学時代にクアドリ教授の下で書いた哲学の卒論は,プラトン(Platon)「洞窟の比喩」だった.暗殺の前,再会したクアドリはマルチェロに言った.洞窟に映る炎の影は事物の投げる影,"幻覚"は"現実"と呼ばれ,人々は現実の影を現実と思い込む.それがイタリアで起こっていることだ――予見どおり,現実の影を過去の記憶とともに白日の下に引きずり出されたとき,正常をカムフラージュし続けた青年の自我は耐え切れずに崩壊したのだ.1930年代の退廃的なイタリア体制順応者の相克と内面的闘争を,妖艶な美しさを帯びて静かに描く傑作.「光で書く」(Writing with Light)と自称するヴィットリオ・ストラーロ(Vittorio Storaro)は,この作品以後,詩的な構図と陰翳のあついシンメトリックな撮影でベルトルッチ作品に欠かせない撮影技術者となった.