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真夜中のカップらーめん

作家・政治史研究家、瀧澤中の雑感、新刊情報など。

松本冶一郎の丁寧さ

2011-07-05 01:01:56 | Weblog
以下は、全国や解放同盟の生みの親、育ての親であり、
参議院の副議長を務めた、松本治一郎のエピソードである。

若い記者が、参議院の食堂で食事をしていた。
そこに、松本治一郎も食事をしにきた。
足が少し弱っていた治一郎は杖を持っていたが、立て懸けてあったイスからパタン、と杖が倒れた。
若い記者はそれを拾って、松本治一郎が座っている近くのイスに立て懸けた。

すると。
松本治一郎は、起ちあがってわざわざ記者のところに行き、
「お手数をかけた。ありがとう」
そう言って、膝に両手をつけて、頭を下げた。
社会党の大物議員であり、
参院副議長経験者でもある人物のあまりの丁寧な対応に、記者はびっくりした。

また、松本は自身が差別と闘ってきただけに、
他人に対しては決して差別は行わなかった。
ベテランの記者だろうが、新人の若い記者だろうが、対応は変わらない。
「なにを聞いても、きちんとした言葉で、丁寧に対応した」
とは、当時、産経新聞の記者だった俵孝太郎氏の述懐である。

さて。
この松本治一郎の孫が、今回の復興担当大臣である。

もはやおわかりかと思うが、もし、松本治一郎が復興担当大臣で、2分足らず待たされたからと言って、立場の弱い、復興をお願いする側の県知事を、
「客を待たせるとは、何事だ!」
などと、チンピラヤクザのように脅すことはなかったろう。

彼を弁護する人は、やれ「親分肌だ」、やれ「現場に一番足を運んでいる」、やれ「進まない復興にイライラしていた」と言う。

まず、本当の「親分」というのは、身内のために身を捨てるだけではなく、治一郎のように敵以外の誰に対しても丁寧で親切である。身内にだけウケる「親分肌」など、所詮小者の恰好つけにすぎない。

「現場に一番足を運んでいる」というが、当たり前ではないか。復興担当前は災害担当大臣だったが、災害担当が現場に行かない方がびっくりする。

「進まない復興にイライラしていた」とか、「知事を励ます意味があった」などという、本人を含めた周囲の話を聞いて、「ああ、この人は、子どもなんだ」と、納得が行った。
子どもは、自分が正しいと思えば、周囲がどんな思いをするのかなど気配りはできない。
もしそれまでの経験で、怒鳴ったり、たしなめたりして事が進んだ経験を持っていると、子どもはそれでいいと勘違いする。

子どもだから、尊大で不遜なのだろう。
子どもだから、「許してやれ」という話も出てくる。

祖父の松本治一郎とまでは言わないが、せめて、
大人の対応をしてみてはどうか。

「九州の男だから」とか「B型だから」といった幼稚な「反省」コメントには、評論する価値も見出せない。
総理の地位にしがみつくガキ大将に、
お客様扱いされないと、怒りまくるガキ大臣。
嗚呼、大人の政治、大人の政治家は、いつになったら出てくるのか。

これだけ政治家の劣化が進んでいるということは、
立派な政治家を見出すことを、政党に任せるだけではなく、
私たち自身の手で行わねばならない時期に、来ているのかもしれない。
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