ええー、アスタってこんな絵描けるのっ??って思ってもらえたら嬉しいが…
んなわけないじゃないですかぁ
先日、うめももさんから「17才バトン」を託されると共に、頂戴いたしましたうめももさん直々の作品『女子高生』でございます。
うめももさん、ありがとうございます!よくぞ5年前の私をご想像し、若くかわいく、忠実に再現してくださいました!もったいなき幸せー
でも、でも、恐れながら、ありがたくもこれは、むしろ今現在の私の姿!おお、鳥肌が立ちまする~~
...ほほほ。ボケと厚かましさも、これくらいになれば違和感ないかと。
(ちなみにこのあたりの流れについては、↑上記リンクの、うめももさんの記事およびコメントでご理解願います)
――
前置きはこのくらいにして。
本題、行きます。「17才バトン」。
長くなりますので、お茶とお好きな音楽でも用意されて、リラックスして読んでね
1.17才のとき、何をしていましたか?
高校生してました。公立の共学。部活は、帰宅部。 (味気なさすぎ)
本当は部活やっていたら、面白かったんでしょうけどねー、トラウマでして。
中学(地元の公立)でバレーボールやってたんですが、当時上級生の「いじめ」がひどくて…
家庭内暴力、校内暴力などの言葉が飛び交った80年代。(年バレますね、はい、私は30半ばの女です)
うちの学校では、2、3年生がやたらと「先輩ヅラ」して気に入らない下級生をどつく
(といっても、女子の場合は物理的にじゃなくて、言葉で陰湿に)、悪しき風習がはびこっていたんです。
運動部は特にひどくて、挨拶に始まり靴の色、靴下の長さ、髪型、目つき、果ては自転車の型まで、
「気に入らない後輩」を「先輩」が呼び出して責め、練習時間にも「ミーティング」と称し、全員に延々「説教」するのもざら。
(これだから、部活としての成績は期待できるものではない)
当然泣き出す子もいるし、私も泣かされました。そして教師たちは見て見ぬふり。
嫌で仕方なかったけど、もはや学校全体がそんなだったし、自分で始めたことは最後まで続けろと親は言うし。
あきらめて、3年の引退までやり遂げました。
(体力と運動神経がついたのは、よかったけどね。ご飯は毎日お代わり、牛乳もよく飲んで、人生で一番食べた時期だった)
…話が遡りましたが。
そこからやっと抜け出し、その先輩らが誰も行かなかった高校に逃げたので、もうたくさん、部活なんて金輪際やるものか!
と、帰宅部を選ぶことに何のためらいもなかったのです。
部活なんて、と書きましたが、実は一度だけやろうかと思ったことがありました。
それは...チアリーダー!――え、意外だって?
うれしい、私って内気な女の子に見えるのかしら、ウフ
といっても、「部活」ではなくて、
夏の高校野球の応援とか、体育祭はうちの学校なかったから他の部活の応援とか、そういう“季節労働”のクラブだったけど。
本気で心が傾きかけましたが、やっぱり恥ずかしかったのと、昔の苦い記憶を消し去れなかったのとで、結局挑戦しないまま終わりました。。。
というわけで、嫌いじゃないけど大好きでもない勉強を、淡々とする毎日。
かといって、つまらないわけではなかったですよ。とにかく、昔の自分を知る人があまりいないのが、寂しいどころか気楽だった。
でも、生徒会やってたわけでもないし、当時から友達は少なかったし、
放課後とかどうやって過ごしていたんだろう。あんまり思い出せないな
確か週2回くらい英語の課外授業があったのと、数学が大の苦手だったのでしょっちゅう居残りさせられていたのと。
ああ、あとそういえば、うちのところはすごい田舎だったんですが、
あるときソフトクリームを売るスタンドができて、嬉しくて友達とそこへ寄って何回か食べた、っていう、くらいかな…
2.17才のとき、何を考えていましたか?
何考えてたんでしょうねーーわかりません!
(ていうか今でも、自分が何考えてんのかわかりゃしないし)
色々ひねくれていたけど。でも、友達とおしゃべりしていていっとき心が晴れたとき、
“17ってなんかたのしい”って思ったのは、覚えています。
3.17才のときのイベントといえば?
そんなイモ娘の私にも、淡い思い出が。
あの初夏の日。
文化祭の準備で放課後残ってて、帰ろうとしたら、ずっと片思いしてた男の子がいるグループと、私と友達のグループ、それぞれ3人ずつくらいだったかな、が、たまたまばったり一緒になって。
で、校門近くの自販機でみんなでジュース買ったとき、その男の子が思いがけず、取出口から缶を取って渡してくれて。
「はいっ」缶を握る指と、思わず触れた私の指。あっ…
そして、「どう?準備どのへんまでいった?」
「え……」、もう、ドキドキしすぎて言葉にならない。
何も、言えなかった。せっかくの、チャンスだったのに。
彼と近づけたのは結局、それが最初で最後だったから――
―――
…ていうのは、ぜーんぶウソ、ウソですからね!!
全て私の妄想です、はい…
(高校生にしてはウブ過ぎるが、それは置いといて)上のようなかなりベタな展開ですら、ありえなかったですね。なぜなら、
1 「○○が△△のこと、好きなんだってぇ~っ」とウワサになり、居所ないくらい気まずくなるのはいやだ...と、異常に恐れていた(思春期特有の、あれですね)。
2 男の子ともふつうにクラスメートで、恋愛感情の生まれる余地がなかった。
3 単純に、心奪われるようなカッコイイ男子がおらんかった。
。。。今思い出してきたが、圧倒的に理由は3だ。
(ちなみに、文化祭のクラスの出し物は、1年はお化け屋敷、2年は射的ゲーム。
そこまではいいが、3年のとき何だったか、どーーしても思い出せない!ああ、なんて薄い高校時代よ)
片思いどころか、本当に重い青春時代でした。
だって、イベントらしいイベントといえば、十二指腸潰瘍をやったことくらいだから。
十二指腸潰瘍って、ふつうはストレスが原因です。
当時、いろいろ悩んでたんでしょうね。自分のこと、家庭のこと、進路のこと―
どれか一つというのではなく、たぶん全部が複雑に絡み合って、許容量を越えたんだと思います。
「あなたいくつ?17?高校2年?そう、受験なわけでもないのに、何でだろうね…」
診察した医者にとっても、この歳の患者は珍しかったようです。結局かなり長い間薬を飲みました。
何でなのか、私にもわからん。
しかし今にして思えば、これは私の悲しいかな暗い青春の、一つの象徴に過ぎなかったのです。。。。。。
4.17才でやり残したことは?
それこそ彼氏作ってデートとかしたかった(!?)
でも、ふつうに、男の子とも女の子とも、もっといろいろおしゃべりしたり遊んだりして、おしゃれとかもして、
自分の感性を発揮して、若者らしいひとときを持ちたかった、かな。
それでも私、一人で過ごす時間も必要な人なので、何ともわがままだけど。
当時やろうやろうと思っていて、やり残してしまった、という事柄は特にありません。
5.17才に戻れたら何をしますか?
身も心も17才に戻って、人生やり直せるのだとしたら、4.で言ったようなことができたらいいなと思う。
でも、たぶん同じ人生を歩んだかも。あのときの私は、あのときなりに、あれしかできなかったと思うから。
今現在の私の魂が、あの17才の体と立場になれるとしたら?
やっぱり4.を実行して、今興味あることもやっちゃうかも
今現在の私の魂が、あの17才のときの魂のそばに戻って行ってやって、声を掛けられるのだとしたら。
あの子が悲しい顔をしなくていいように、自尊心と自信を持たせてやりたい。
“あなたで、いいんだよ。” って…
こんなところです。
最後に補足になりますが。
今まで何度かお話してきたように、私は表面はいい子でしたが、
心は非常に屈折した、へその曲がった思春期を過ごし、結局20代初めまで尾を引いてしまいました。
暗いか明るいかと言えば、暗い青春時代でした。
でも、だからといって、私は自分の過去を後悔していません。
自分のあの頃は間違っていた、価値がなかった、あんな過去であるべきではなかった、なんて思ってはいません。
ああいう過去じゃなくて、もっと違う過去だったら、それはそれで良かった可能性はある、と、客観的には思います。
でも、あの時はああでしかありえなかった。あのときの自分はあのようにしかできなかった。
自分が悪いのだが、悪くはない。誰彼が悪いという問題ではない。
すべては、ただ、ああなった。
それだけなんだと思っています。
そして、ああなった結果、今の自分がここにいるわけで。
ああならなかったら、違う自分がここにいるだろう。でもだから何なのか?
その自分が今ほど幸せだとも限らないし。
そんなこと、考えても、どうしようもないですよね…
だいいち、自分の過去を否定してしまったら、その瞬間現在の自分も否定されます。
そんなの耐えられません。それこそ、許されるべきではないんじゃないかな。。。
最近こんな話を聞きました。
どこなのかわかりませんが、どこかの外国の人々は、
たとえば、「もし今の両親の元に生まれていなかったらどうだったろう」とか、「今の配偶者と出会っていなかったら誰と結婚していたか」とか、
そういう話をするのを好まないそうです。
それは、そういう話をしたところで、仮定、想像の域でしかない。それを経験できる人はこの世に絶対に存在しえない。
そんなことになぜ価値を見出そうとするのか。なぜ、今の自分がいる意味、持っている幸せに目を向けないのか。
現実のあら探しをする前に、なぜ、目の前の両親や配偶者と共に居ることの幸福を喜び、彼らに感謝しようとしないのか。――
――
過去は過去。その過去あって、現在のあなたがいる。
現在のあなたが愛しいなら、過去のあなたも愛しいのです。
過去や現在の自分を、どこかで責めてしまっているあなた。
どうか、あまり責めないであげてくださいね。
アスタからのお願いです。
エーンうめももさん、どうしましょ?こんなアホほど長くなってしまいました。
でも、おかげさまで大事なことを思い出す機会となりました。ありがとうございました。
また未歩さん、未歩さんのバトン記事にもTB済です。ありがとうございました。
で、ですね。
ここまで読んでくださったどなたか、このバトンを次に受け取ってくださいませんでしょうか??
自分の17才の頃って、どうだったっけ~と思ったアナタ。
そう、あなたです。
ぜひ、今日私が上で答えた5つの質問に、答える記事を書いてみてください。
私のように、長々と書く必要はまったくありませんから。書いてみると、意外とおもしろいものですよ。
そして、書きあがって公開したら、ぜひ私へ知らせてやってくださいね。
お願いしまーす
――――
ごめんなさいね、長話聞いてお腹空いちゃったでしょ。ロールキャベツ、作ったの。食べていかれます?
ソース、ちょっととろみをつけすぎちゃったけど、中はお肉たっぷりよん
―――
以上です。
皆様、最後まで読んでくださり、どうもありがとうございました!
《 アスタの17才バトン 完 》
夫も出張中でいないので、一人昔の思い出を引っ張り出して見るのもいいかな、なんて思いました。
書けたら、連絡してTBしますね
パーフェクト。
バトン走者も決まったし~。
記事の内容もだけど、ホラもきちんと盛り込んだ。
あ、やっぱりアナタはほら吹き隊に入った方がいいです。素質十分。
高校ん時は、きゃぴきゃぴの中に暗さを帯びてるんだね~。(私もよ~。)
年代の差もあるかもしれませんが、
「17才の地図」「腐ったミカンの方程式」(わかるよね~?)の世代だとある意味、教育現場が荒れているんだよね・・・。
そのせいで学校が軍隊みたいだったような気がします。
私のアスタさん像、ぴったりだったみたいでよかったです。・・・ていうか、今とそっくりなんでしょ?
だってほんの5年前だしぃ。
そうだと思ったよ~。
「チアリーダー」にぴくっと反応し、描く気マンマンだったら帰宅部でしたか~~~。オヤジか・・・。
まあ、それもよし。
超大作!お疲れ様でした。
改めて思い出したら、なんだか、私の17歳のころ、とってもお気楽だったような。こんなんでよかったのかと、反省してしまいました。
十二指腸潰瘍になられたのですね。
私は会社に入ってからなりました。
ピロリ菌を退治し、治しました。
>過去は過去。その過去あって、現在のあなたがいる。
>現在のあなたが愛しいなら、過去のあなたも愛しいのです。
この締めくくりの言葉どおりだと思います。
過去の積み重ねが現在の自分を創っています。
過去は変えられませんが、未来はどのようにでも創れます。
いいお話をありがとうございました。
私もTBさせてもらいます。
ございました!
嬉しいです。後日また改めてお返事させていただきますので、いましば
らく待ってやってくださいませ
新着記事も、後日ゆっくり拝見いたしますね~!
(ボワシエールさん、バトン受け取ってくださって、感謝感激です!
できたてほやほや記事、めっちゃ楽しみです~)
(あとうめももさん、改めて絵、どうもありがとうございました)
そして、全ての読者の皆様へ。
アップしてみると、まことにお恥ずかしい限りの内容ですが、最後まで
読んでいただきまして、本当に本当に、ありがとうございました
こんなに書いた結果、gooブログ制限1万文字に限りなく近くなってし
まい、これ以上手を入れると再アップがうまくいかなくなるので、当記
事の加筆(または言い訳?)はコメント欄にてしていきますね。
次のバトン走者は、上のボワシエールさん一人だけに限ったわけでは
ないので、志ある皆様、どうぞジャンジャンと、バトン記事書いてみて
くださいね!
皆様のバトン記事、楽しみにいたしております。。。
ありがとうございました
ごめんなさいこちらもTB勝手にさせていただいちゃいました。
お気楽だなんて、とんでもない!ご友人に囲まれて、楽しい
思い出に満ちた高校時代、とってもすばらしいことですよ。
(あ、なんか、ちょっといいですね。私も女子高生の気分に
戻ってきた。。。?!いいですね~、若い時代)
私は今では高校時代の友人に会うことはほとんどなくなって
しまいましたが、会えば可笑しい思い出もよみがえってくる
かもしれません。
過去の楽しい思い出というのは、一瞬だけど、微笑を呼び
起こしてくれる清涼剤のようなものですね
に助けていただいたようなもので、お礼の言葉もございません…
ホラ吹き隊、資格ありますでしょうか?それは光栄です
私なんぞはもとはよそ者なのでまだまだですが、こちらは吉本の文
化だし、少々のボケツッコミは不思議でもなんでもないんですよね。
慣れない人はびっくりしたり、怒り出すときすらあるし、そういう
のはコテコテ過ぎてイヤなんて人もいたりしますが、私は嫌いじゃ
ないです。
記事、ちょっとディープ過ぎましたね~ でも自分を「見つめ
なおして」みたかったので、正直に書いてみました。
「腐ったミカンの方程式」わかりますよー。あの話は当時でも
感銘を受けました。
(「腐ったミカン」のマサル君が、「マサルの字は「優」と書く
んだね。やさしくてすぐれている。いい名前だね」みたいなこと
を言われていたのを、よく覚えています)
80年代は、教育現場はたしかに荒れていましたよね。私のよう
な経験や思いをした人は私だけではないだろうと思い、記事をあ
のように書きました。
大げさだし言葉は悪いですが、加害側も被害側も、時代の「犠牲
者」だったような気がするんです。私たち自身が、心底悪い人間
だったのではないと思うんです。たまたま、アンラッキーだった、と。
だから、やり直しはきくと思うんです。
…あかん、ついシリアスになってしまう。この手のまじめな話を、
私みたいなまじめな人間がするとね。。。
←ボケですよ(あ、ちょっとムナシイかも)
私、おちゃらけた部分もけっこうあります。(けっこう、じゃな
くて全部やろ、と、夫だったらツッコンでくるんですが、んー
4割くらいそうかもしれない)
ありがとうございます。いやいやおかげさまで、あそこまで正
しく把握していただけるとは。。。もっとも5年で変われと言
われても、しょせん無理な相談ですがね~まだ若すぎるしぃ
ああ、でもこれはマジな話、うめももさんの絵の目の辺りの雰
囲気、当時の私に微妙に似ていたりするんですよ! 髪は
もっと短かったけど…
ほんまにチアリーダーやってたら、私の人生変わってたかもし
れませんね
当時そんな概念はなかったから、ひたすら薬を飲んでいましたが。
でもストレスの思い当たる節、ないわけではないんです。その前
年、つまり16の歳には、胃を痛めて病院へ行きました。
バリウム飲んだりさんざん検査したけど、軽く胃炎を起こしてる
だけだと言われました。が、当時もいろいろ悩んでいました。た
ぶん中学の頃のを引きずっていたと思います。
自分なりに解決しきれなかったんですね。今だからそれももっと
もだと思えますが。
そして19の歳には持病の手術もしました。精神的には記事でも
少し書きましたが、23くらいまではきっちり安定はしませんでした。
思い出してみれば、私の「青春時代」はけっこうさんざんでした。
それでも楽しいことがなくはなかったし、恵まれていたとも思う
し、それで「悲劇のヒロイン」になるつもりはもはやありません。
本当に、未歩さんのおっしゃる、
>過去の積み重ねが現在の自分を創っています。
>過去は変えられませんが、未来はどのようにでも創れます。
この通りだと思います。
過去だけによって、これからの未来が決められてはたまったもの
ではありません。
未来は現在の自分次第だということ、つい忘れてしまいがちなん
ですが、忘れないようにしていきたいです。
こちらこそ、どうもありがとうございました!