戦前生まれの人にとって、お餅はかなりのごちそうだった。
その代り、イモ・カボチャは嫌というほど毎日毎食、食べたので見るのも辛かったようである。
父もお餅が大好きで、特に大福餅には目がなかった。
生前、母は餅つきの機械を購入し、年末にはもち米をふかし、機械で餅をつき、家族総出で白餅・あんこのお餅・よもぎのお餅・豆餅などを大量に作った。
あれは母にとってもお餅が特別な食べ物だったように、父のためにも手作りしていたのだと思う。
母の病室にも、父はよく大きな大福餅を持参しては食べていた。
「お父さん、そんなに大きなお餅を食べるの?」
と、病院食を食べながら驚いていた母の声を、今でも覚えている。
父が退院した後、水ようかんやあんみつなどを差し入れると、喜んで食べていた。
が、大好きだったお餅も何も口にしなくなったとき、父は亡くなった。
人間にとって食べるということは、生きるということにつながっている。
その代り、イモ・カボチャは嫌というほど毎日毎食、食べたので見るのも辛かったようである。
父もお餅が大好きで、特に大福餅には目がなかった。
生前、母は餅つきの機械を購入し、年末にはもち米をふかし、機械で餅をつき、家族総出で白餅・あんこのお餅・よもぎのお餅・豆餅などを大量に作った。
あれは母にとってもお餅が特別な食べ物だったように、父のためにも手作りしていたのだと思う。
母の病室にも、父はよく大きな大福餅を持参しては食べていた。
「お父さん、そんなに大きなお餅を食べるの?」
と、病院食を食べながら驚いていた母の声を、今でも覚えている。
父が退院した後、水ようかんやあんみつなどを差し入れると、喜んで食べていた。
が、大好きだったお餅も何も口にしなくなったとき、父は亡くなった。
人間にとって食べるということは、生きるということにつながっている。