空と海と、母と父

ガンで亡くなった母と父との思い出を、両親が好きだった食べ物を通して綴ります。

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母と山菜

2016-11-20 10:57:37 | 日記
 私が幼い時、家はとても貧しかった。

 私たちの勉強机は、段ボールを裏返しにしたものだった。
 その段ボールに唐草模様の風呂敷をかぶせ、机替わりにしていた。

 父は朝から夜まで懸命に働き、母は家事・育児・寝たきりの姑の介護。
 私たちの洋服など、作れるものはすべて母の手作り。

 母は自分が欲しいものも買わずに、節約に節約を重ねていた。

 トイレはあったが自宅にお風呂も車もなく、徒歩10分ほどの銭湯まで週に3回だけ家族で通った。
 私たちは週に3度しか行けない銭湯が大好きで、行き帰りに咲いている道端のオシロイバナの花を薄く剥いては顔に張り付け、遊びながら歩いた。

 お風呂上りに銭湯で買ってもらう、フルーツ牛乳がとても美味しく嬉しかった。
 
 毎日の食卓には、近所の土手や原っぱで採った三つ葉、フキやワラビ、タケノコがよく並んだ。
 私たち子どもはあまり山菜が好きではなかったけれども、苦労して採り料理してくれた山菜料理を残すことにためらいがあり、文句を言わずに食べた。

 母は、帽子・長袖・長ズボン・長靴・軍手と完全防備で山菜取りをしていたようだが、虫やハチに刺され、よく顔を腫らしては「また刺されちゃった。」と笑って見せた。

 山菜は無料で採ることができたが、下ごしらえが面倒な食材である。
 アク出しから筋剥き、皮むきまで、せっせと手早く行っていた。

 母の節約に節約を重ねたおかげで、60才過ぎてからは余裕のある生活ができるようになったわけだが、間もなく癌となり辛い闘病生活が始まることになる。

 もっともっと自分の物を買えばよかったのに。
 もっともっと贅沢をしても良かったのに。
「貧乏性が抜けなくてね。」
 病室で母が笑った。

 
 今でも道端のフキをふと見かけると、母が腰を曲げながら採っている姿が鮮やかに蘇る。
 
 
 

 
 

 
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