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徳雄のページ

世の中は 泣くと笑いの二重奏 雨の降る日も 晴れの日のため

  秀吉死去

2011-08-18 09:31:28 | Weblog
人間幾ら運が良い 利口であると言っても 人間の寿命は如何んともし難い 豊臣秀吉は62才で亡くなる 1596年の今日伏見城で死去する 秀吉は尾張の足軽の子として生まれ 織田信長に仕え数々の武勲を立て 長浜城主となる秀吉が中国の毛利と戦っておる時 明智光秀の謀反に依り信長は滅ぼされる 秀吉は毛利と和睦し 京都に引き返し 山崎の合戦で光秀を破り 其の翌年柴田勝家を滅ぼし天下人となる1583年の事である 其の後秀吉は朝鮮を征服する事を考え 出兵する1592年の事で 此の戦いは 国内の戦いと違い様々な苦労があり 失敗であった 秀吉は其の後四年で亡くなるが 自分の死を悟り 徳川家康に我が子秀頼を頼む頼むと 最後迄懇願しながら 亡くなった 問題は朝鮮からの撤退を計るのに 大変であった 此の戦争で出兵した軍隊に 何ら恩賞も無く国内に残っておる石田三
成などが 支配しており朝鮮から帰って来た武将は不満な気持ちであり 家康になびく状態になる 1596年 8月18日の事であり.415年前の事である 栄枯盛衰世の習いと言う 秀吉人生の悪業が最後に自分の子に帰る 昔から言う 親の因果は子に祟ると言う 次は徳川時代