探求☆散策記

見たこと、聞いたこと、思ったことを綴った、日常探検記録。

地方における有名建築家の作品1

2003年10月20日 22時44分07秒 | 建築探訪
 都市部からはあまり見る機会を得られない地元(地方)の作品からその作家性や建築後の地域との融和などについて感じたことを述べる。
作品の評価は設計のコンセプトのみによっては行えないと思い、「見て感じる」という単純で直接的な作業により得られるメッセージで自分なりに評価してみたい。同時にメッセージの無い演出は作品ではないと思うが、推し計りきれない場合が多かったのも事実である。

(1)安藤忠雄「豊栄市図書館」
 平成12年11月にオープンしたばかりの、近代的な図書館。平面型は正方形と正円を組み合わせた形をしている。階層や二つの形を用いることで、それぞれのスペースをを分けている。正方形と正円が交わる空間が特徴的である。ドラマチックな視界の展開や採光の方法などデザイン面以外にも機能的なアイデアが詰め込められている。従来の図書館としての機能のみならずマルチメディアも豊富である。7万5千冊以上の蔵書、視聴覚資料(ビデオ・CD・DVDなど)やインターネットが使えるコンピュータを完備するほか、10代向けの本を集めた「ティーンズコーナー」や小学生以下を主な対象とした「子どもの本の部屋」、小さいお子さんなどに読み聞かせをするための「おはなしのへや」、気持のちいい「屋外読書コーナー」など、豊栄市立図書館ならではの空間が盛りだくさんである。併設に喫茶もある。 安藤氏といえばシャープなRCのイメージだが、1F内部など円形のテーブルや吹き抜により木のぬくもりを感じさせる書架となっている。屋外図書も楽しめ、晴天時はここでリラクゼーション可能である。週末には調べ物以外でも訪れたいスペースである。

(2)伊東豊雄「長岡リリックホール」
施設:①コンサートホール700席②シアター450席③スタジオ/第1スタジオ(235㎡・80~100人・ミニコンサート可)、第2~第5スタジオ(約70㎡・30~40人)第6~第10スタジオ(約40㎡・5~10人)その他となっている。
敷地は新潟県・長岡市を南北に流れる信濃川河畔西岸に位置する。近隣一帯の「千秋が原ふるさとの森」では、長岡市の新しい産業と文化の「出会いの場」をコンセプトに、芸術・文化・学問・産業の最新情報を発信するための施設を次々と整備している。大展示ホールを備えたコンベンションホールの「ハイブ長岡」、「新潟県立近代美術館」、「長岡造形大学」などの施設が隣接し、長岡市のあらたな都市づくりを支える拠点として活用され、市民生活も芸術活動の場を豊かにしている。この中で市民の参加を一層促していく目的として、コンサートホールとシアターを合わせ持つ総合文化ホールとして活用されている。“叙情的な”、“メロディーの美しい”という意味を持つ愛称の「リリック(Lyric)」は、公募によって採用されたものらしく、このホールでこれから上演されるコンサートや演劇などへの期待が込められている。また、市民の芸術文化活動のホームグランドとして位置づけられたこのホールでは、優れた舞台芸術の鑑賞にとどまらず、市民自らが地域文化の創造をめざしておこなう活動をバックアップするために、創作・練習に利用できるスタジオやワークルームの充実がはかられている。ホール固有のレジデントン・アーティスト(一定期間ホールに滞在しながら創作活動をおこなう芸術家)制の創設など、管理運営も意欲的に試みられている。
園風景の中にメタル感強いの異素材が溶け込めているのは、南国の木を連想させるランダムな感じの柱の配置や有機的な屋根の曲線によるものと思われる。積雪2メートルの雪国においてかなり複雑な構造計算が必要であろう。難易度の高い分施工や維持も大変なのかも知れない。クライン・ダイサム作のカラフルな椅子も並んでいるが、こちらも手入れが今ひとつである。

(3)谷口吉郎「良寛記念館」
昭和40年に開館したこの記念館は、良寛の母の生地佐渡ケ島と弥彦山、国上山が一望できる虎岸ケ丘に建設されている。館内には、良寛の遺墨、遺品等数多く展示されている。良寛記念館は、良寛生誕200年を記念して広く浄財を求め完成したものである。館の南には、橘屋の墓地があり、さらに北の丘の上には良寛の歌碑があります。ここから望む佐渡は、「新潟景勝百選」の1位に選ばれる絶景が望める。向かいに佐渡、右手に弥彦山、眼下に良寛堂、出雲崎漁港、そして海岸線に続く妻入りの街並みを見ることができる。 ただなぜか田中角栄や川端康成の書も一緒に展示されている。作品は一連の和のモダンが継承されており、アプローチからエントランス、中庭、回廊へと水平視線を意識した上の俯瞰での正確な配置がされている。岩の並びにもこだわりを感じるのはそれが自然ではない為と思われる。

(4)内井昭蔵
「新発田市文化会館」
新発田市の文化の拠点として計画された複合施設である。オーディトリウムの形態がそのまま外観に反映されているが、それがデザインとしてうまく使われている。そのままではのっぺりしそうなRC打ち放しの曲線も水平目地を入れることで表情を与えている。内装は玉砂利洗い出しなので、安藤忠雄の打放しよりも荒々しい雰囲気である。中に入ると所々に紫色が多用されているが、元々の配色デザインなのか疑問である。所員の用途による手書きの張り紙などが窓にされていたり建築が大事にされていない気がする。

「蕗谷虹児記念館」
 新発田市の古い町並みにある古い洋館の佇まいである。少しダークな色合いの外観だが、中にはいると館内はパステルカラーであり、童謡が心地よく聞こえてきてメルヘンチックな雰囲気を醸している。蕗谷虹児は、大正から昭和10年代にかけて竹久夢二と並んで圧倒的な人気を誇った新発田市出身の挿絵画家である。題材はとても日本情緒&大正ロマンに溢れているが、なんとなく画風が西洋風に洗練されている印象を受ける。建築と演出は素材を生かす舞台ツールとして存在している。色づかいが優しく、ふわっとした夢のような雰囲気の彼の作風は竹久夢二の影響を受けながら、後の中原淳一に影響を与えたといわれている。作品自体は現代のアニメや漫画の土台になっている。この美術館は、蕗谷家から寄贈された原画800点を中心に直筆の原稿、書籍、印刷物、遺品など4000点を所蔵しており、年代順に展示してある。一概に西洋風と表現したが、作品のイメージによるもので、敢えて当てはめるならビザンチン風の建物でロシア正教会をモチーフとしており、公共建築100選にも入るほど美しい姿である。記念館落成の際に夫人が記念館を見上げて、「これは蕗谷虹児そのもの。彼が立っているみたい。」と絶賛したといわれてる。新発田市の文化会館のとなりにある美術館であるが、文化会館とは回廊でつながっているのに通行不可である。小さな美術館で、求心性のある吹き抜けのアトリウムと奥の二階建ての展示室からなる。

(5)黒川紀章「新潟競馬場アイビススタンド」
 緑に囲まれ広々とした構内には、美しい芝コースを始め、最新設備を備えた競馬施設を完備。アイビススタンド内の200インチアイビスビジョンでは、リアルタイムにパドックの様子やオッズが映し出され、レースを楽しむことができる。メインフロア上のステンドグラス状の天窓と以下の吹き抜け以外は至って実用的な建築と感じる。外壁の色も薄い水色のトタン張りから寒雨を連想させるため近寄りがたい雰囲気を感じる為か、家族連れ向けのアットホームなイメージはない。近年スタンド増築工事により拡張されたが、新設部分は全く違うデザインとなっており、全体的には一体感のない建物となってしまっており、非常に残念である。メタボリズムの精神に反するような施主の意向がデザインを台無しにする例である。2001年7月14日に新潟競馬場はリニューアルオープンした。それにより直線1000mとなり普通周回コースの直線も府中、東京競馬場を凌ぐ日本一のものになった。直線の長さは、とにかく長い。はるかかなたの4コーナーを望むとき、これまでにないスケールを感じる。しかし、実際のレース観戦となると幾つか問題点があります。双眼鏡を使ってもほぼ正面からでは見ても解らないのでターフビジョンで確認することになってしまう点が一つ。それからNiLSの指定席からはアイビススタンドが邪魔して1000m直線レースのスタート地点が見えない点。NiLSの指定席は、ガラスがある為に4コーナーの様子も非常に見にくくなっている。これは他の競馬場に比べてスタンドとコースの距離が少ないために見る方向がガラス対して浅いことに起因している。売り物の長い直線が自分の目で確かめられない指定席は難物で、長い直線を体感するためには一般席の眺めのいい所で観戦しなければならない。肝心のレース観戦に関し配慮不足が感じられる点が残念である。全般として感じるのは、継ぎ足し建築の限界です。新時代のスタンドへ改築が進む過渡期に造られたアイビススタンド自体の存在が現在では足かせになっている気がする。全体のキャパシティとしては入場数に対し適当な規模のスタンドになっていると思うが、新スタンドとの連携がうまくできていない。また折角の長い直線を望む眺望を邪魔するコース沿いの色々なものも整理して欲しい点である。

(6)青木淳「福島潟生態園」「遊水館」
 新潟県豊栄市にある「福島潟生態園」は潟と人との関わりの歴史や、これからの展望などを紹介し、地域文化・創作活動の拠点となる施設である。地下1階、地上7階、高さ29M。3階からは全面ガラス張りで360度の展望が楽しめる。また、映像展示室(4階)では潟から生の動植物の様子が望める。1階~3階までは無料ゾーンで、4階~7階は有料ゾーンが設けられている。隣接の「遊水館」も福島潟という自然公園のなかにつくられたプールであり同じ青木淳の設計である。アプローチが二階からで一階部分は室内プールになっていて、二階の通路の左右はガラスになっており下で泳いでいるのが見えるようになっている。白と黒を基調にした空間と置いてある椅子などの小物にもこだわりの配置が感じられる。外では夏場に木舟に乗れるよう船着場が設けられ避暑を得られるようであるが、使用跡がみられず(放置状態の為)実際の利用状況は不明である。
 施設のメインである福島潟は、21世紀に残したい日本の自然100選にも選ばれた自然の宝庫で、天然記念物であるオオヒシクイをはじめ、多くの野鳥が見られる。自然の宝庫とは言っても周囲は殺風景な田園が広がるばかりではある。その中にポツンとあるのがこの博物館である。(通称「ビュー福島潟」)。歩道橋と同じレベルの3階から上は、螺旋による動線が各レベルを繋いでいます。歩道橋の螺旋イメージはかなり強く感じる。上に上がるにつれ、福島潟の全貌が見えてくる。この動線の空間は、動線であると同時に展望スペースなっている。そこから窓一面に風景が広がり、野鳥の群れも見られる。設計のミソは「展望室」を設けず、「動線体」であるところとなっている。青木淳による「動線体」とは以下のものである。(新建築1997年10月号(新建築社) PLACE 動線体への道程 より)
1.内部にも外部にも、「つなげられるもの=目的地、目的」をもっていないこと。
2.その機能が、そこでの活動によって事後的に生じていること。
3.いくつかの動きを内包したものであること。
4.最低ひとつの動きが外部に開かれていること。
5.動きの配線が外観を決めていること。

「遊水館」
 この建築は公共の有料プールで、先に紹介している潟博物館から福島潟放水路をはさんで向かい側に位置している、すり鉢状の形をした建築である 。プールの上を横断ギャラリーが通っているのが特徴的である。
湿地帯である福島潟では、干拓された現在では目にすることは無いが、かつては木舟での交通があったように、文化の継承も試みている。
 かのル・コルビュジェもらせん形のミュージアムのアイデアを長い間かかえていて、インド中西部のアメダバッド美術館(1957)、東京上野の国立西洋美術館(1959)に実現しているし、東京・青山のSPIRALも、展示部分がらせん形をしているが、いずれも閉じていて内側に光源があるのに、この「ビュー福島潟」は自然採光を取り入れている点でオリジナルといえそうだ。

 外側はガラスと、小さくて軽そうな木片を張り合わせた壁となっている。室内では、中央の円筒状のコアの部分を、曲げた合板が覆っている。黒い粒々した床は、上に行くと、やがておむすび形の白いタイルを埋め込んだものに替わって行き、展開をみせる。廊下=展示室の天井は白い、柔らかそうな、ふわふわした繊維だが、最上階で深い藍色の円形天井に至る。
 トイレの手前は、サイン以外には装飾やわずかのでこぼこもなく、壁も床も天井もきっぱりと白い。内部も基本は白。この中をまた壁とドアで仕切るのではなく、個室と用具室である黒い箱を、入れ子状に置いてある。手洗いの前のグレーに反射する鏡。新鮮な意匠の建築でも、窓のアルミサッシや、トイレの作りなどが、あまりにありきたりでガッカリすることがあるけれど、ここではどこまでも造形の意志を貫いている。潟近辺の悪い地盤の上に建築するという構造上の問題さえクリアすれば、広い平坦な土地なので、他にややこしい条件はなかったと思われる。建築家は、きっと楽しんで作ったと思われる。
 館内には、余計な掲示物や、目ざわりな注意書きがない。素晴らしい空間を目指して設計されたミュージアムでも、きれいな庭に出られるはずのガラスのドアに鍵がかかっていて、「立入禁止」とか、「締切」とかの紙が貼ってあって、幻滅する場合もあるが、ここでは無い。建築家と、美術館の運営者とは、意外に悪口を言い合う関係が多いようだが、ここではとてもいい関係になっている様に感じる。建築家が、設置の趣旨を生かす建築を作り、完成後、運営に関わる人たちが建築の魅力を損ねることなく使用している点は非常に好感が持てる。このような設計方法は非常に大切な要因と感じた。

(7)アントニオ・レイモンド「新発田カトリック教会」
 新潟県新発田市中心部からやや離れた裏路地に静かに佇む小さな教会である。教会は休みであったが、特別(勝手)に見学させて頂いた。六角形の内陣をかこむように座席が配置されている。煉瓦による基壇と杉による小屋組みからなる設計である。以前長野で見た際に感じた不格好なイメージは無い。建物は平屋建てで煉瓦と木が主体、明かり取りのガラスにはレーモンドの奥さんが障子紙を利用した様々な構図や、障子を重ね合わせて作り出した陰影が印象的であり家庭的な雰囲気を作り出していた。窓ガラスに貼られた白い紙細工がまるでステンドグラスのよう奇麗で、赤煉瓦の壁や丸太の柱、いすやオルガンの一つ一つがあたたかく、荘厳な雰囲気というよりは懐かしさを覚える。この教会の神父と親友だった彼が設計を依頼され、内部の装飾や什器などはその夫人N・レーモンドさんが手がけたとのことで、御歳80歳の作品である。窓ガラスの紙細工や赤煉瓦も建築時以来そのままで姿との事で、レーモンド夫妻の想いが今も生きているように感じる。

(8)長谷川逸子「新潟市民芸術文化会館」
 新潟市民芸術文化会館とその周辺は、文化施設・スポーツ施設と公園が一体となった新潟市のシンボル的セントラルパークとして拡大整備されている大規模開発事業である。国際文化都市づくりを目指す新潟市においても、文化の振興、発展のための拠点施設として施工された。周囲の公園内はケヤキを主体とした木々で囲われ、その中に、各施設を取り巻くように6つの空中庭園が配置されている。それぞれが広場やステージを持ち、散策や屋外イベントなど様々な活動の場にとなている。完成後は、隣接の白山公園(古いシンボル)からやすらぎ堤までがブリッジや空中庭園でむすばれ、当施設と既存の県民会館、音楽文化会館は敷地内を回遊するブリッジで行き来できるようになっている。また、内部においても各ホール間の往来がブリッジで結ばれ高い吹き抜け部分の空中に導線は張り巡らされている。空中庭園と既存建築との繋がりにまで配慮した設計であるが、実際の実際の通行量まで調査しきれていなかったのか、あまり使用されていない通路も設けられている。
 施設概要:鉄骨鉄筋コンクリート造、地下1階,地上6階,塔屋1階、延べ25,100m2である。
 俯瞰すると外部天井部分は殻にヒビの入ったような卵型となっており、まさにここから生まれてくる文化、芸術の息吹を感じさせる。周囲は全面ガラス張りであり,DPG(Dot Point Glazing)工法と呼ばれ強化ガラス壁とカーテンウォールガラス壁で囲まれている。DPG工法は2m角の強化ガラスを金具4点だけで支持するものでサッシや枠がいらない。これにより限りなく透明に近いガラス建築となっている。音楽ホール,演劇ホール,能楽堂の3つの専門ホールを持っているが、構造体としての躯体と各ホールを防振ゴムやグラスウールで縁を切ることで音を遮断する工法が用いられている。

(9)村野藤吾「谷村美術館」
 新潟県糸魚川市にある、木彫芸術の第一人者である澤田政広氏の作品群を展示している展示館である。建築はシルクロードの砂漠を想定した石窟調となっている。入場受付を通ると一気に視界は開き、いきなり目前に迫る展示場外観の造形には声を上げざるを得ない。ガウディにも通じるいわゆる奇異な造形は砂上の楼閣にのようにも見える。RCであるが、内部はやわらかく光の差し込む胎内のような曲線を多用した有機的造形となっており、幻想的な構成は彫刻と一体化している。間接照明のとり方が絶妙で木彫(仏像)の作品をより引き立てている。間接照明は逆に夜間のライトアップの重要な演出にもなっている。併設の資料館には先生の直筆の手書き図面(指示書含む)が展示され、作業スタイルの一端が垣間見れるようで感激であった。このような資料を拝見できる事は作業経緯が追体験で辿れるようで非常に楽しい。残念ながら地味な展示の為か建築的興味のある者しか訪れないようで場内には他に訪問客がいなかった。中庭(砂丘イメージ)を囲む回廊の瓦と盆栽が大きくなったような松が"和"を感じさせる点で統一感崩れるようでありいかがなものかとも思う。

 終わりに。先人たちの残した作品を時間をかけで参照することにより、その中で自分の方向性をを示される良質なものに巡り逢えることは、非常に幸せなことである。「作品は人なり」は外れた意見ではない。人格全てを表わすようにもとれてしまう。作品を鑑賞すると実際の人物の姿が見えてくるようだ。建築とは幾何学、構成を大切にし、光、風など自然といかに調和するかを目指しつつ、あくまでオーナーの難しい課題に対し、いかに新しい形を生み出せるかが課題であるが、その過程で近代建築を如何に解釈するかの作業も必要である。確かに、地方での活動の為、地方の風土に影響されているが、モダン建築の場合に垣間見えるのは都市空間の魅力を盛り込むことのようにも見える。また技術的には、基本となる在来工法(左官、大工、石工など)も大切に考えているよであった。同時にこの研修を通して感じたのは良い建築は自然や環境と見事に調和しており、いわば自然を加工する建築作業に於いて自分たちが自然に守られて生きていること、生きてきたことを決して忘れないようにしたい。

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