昭和は遠くなりにけり この国を愛し、この国を憂う がんばれ日本

昭和21年生まれの頑固者が世相・趣味・想いを語る。日本の素晴らしさをもっと知り、この国に誇りを持って欲しい。

日本はどんなによい国か3 こんな言葉・記録が残っている

2016-05-25 04:01:44 | 日本の素晴らしさ
107年前に日本海海戦が行われ、この戦いでの勝利が決定打となり、日本は大国ロシアを相手にした日露戦争に勝利する事となり、近代以降、アジアの国で初めて欧米の国を打ち負かすという快挙を成し遂げた。
現代において、私達日本人はこの事実を意識する人はあまりいないかもしれないが、日露戦争においての日本の勝利という事実は、私達の予想以上にアジアの国々に大きな影響を与えている。

スリランカと日本というとあまり結びつきにピンとこない人も多いかもしれないが、スリランカは日本にとって大きな恩人でもある。あるスリランカ人の言葉が、自国の歴史を知らず誇りを失った日本人の胸に深く突き刺さりました。
20紀初頭、セイロン(現スリランカ)建国の父ダルマパーラをして「欧米人のアジア人に対する差別的偏見をなくし、植民地支配という悲劇の中にあるアジアを救う事こそ日本の役目なのだ」と言わしめた日本は、2年後日露戦争勝利によって”白人絶対優位”という幻想から非白人種を解放したのだった。

スリランカ人は日本人に対して同じアジアの民族、同じ仏教国として大変親近感を持っている。
それは日露戦争の日本勝利以来のものであり、その感情は大東亜戦争中の日本軍によるスリランカ空襲によっても変わる事はなかった。
そして、スリランカの独立は日本がこの戦争を戦ってくれたお陰と評価してくれている。

1951年、第二次世界大戦で敗戦した日本に対する処遇を決定するサンフランシスコ対日講和会議おいて、多くの国が日本に賠償金を求め、中には日本の主権制限を求める国もある中で、唯一対日賠償の一切を放棄し、日本の完全な独立を求め、さらには自衛の為の軍事力保持も認めるべきであると演説を行い、世界を動かした人物がいた事を知る日本人はどれ位いるだろうか。
それはスリランカの初代大統領であるジャヤワルダナ氏でした。

大統領は演説で、「憎悪は憎悪によって消え去るものではなく、ただ愛によってのみ消え去るのである」という、お釈迦様の教えを引用して日本の完全に独立した自由を訴え、世界中の人々を感動させた。
この日本擁護の演説も、日本への感謝の気持ちだった。

彼はそう考える理由の一つとして、「あの当時、我々アジア諸国民の中で唯一自由であり、かつて保護者として盟友として尊敬した日本が掲げたアジア共栄のスローガンに私達は希望を持った」と演説の中で語っています。

これは私達日本人が戦後教え込まれた「日本はアジアで残虐の限りを尽くし、アジアの人々は皆日本を恨んでいる」という情報と180度違うものです。
しかし、この演説がサンフランシスコ講話会議において行われ、多くの国を動かしたのは紛れもない事実です。

1996年、ジャヤワルダナ大統領が亡くなりました。
その大統領の角膜が日本国内で移植されました。
死去に際し、「日本で角膜を生かしてほしい」と希望していました。
その遺志は実現され、彼が日本に提供した1個の角膜は1999年に2つに分割され、うち一つはその年に移植、もう一つが翌年移植されたのです。

日本は1954年10月6日に事務局はスリランカのコロンボにある「コロンボ・プラン」に加盟した。
それは戦後最も早期に組織された開発途上国援助のための国際機関で、主に技術協力を通じてアジア太平洋地域諸国の経済・社会開発を促進し、その生活水準を向上させる事を目的としており、この加盟により被援助国から援助国への仲間入りを果たしました。
これを記念して日本では10月6日を「国際協力の日」と定めています。
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