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日本人には韓国人の血が流れている、DNAが証明=韓国メディア(百済と日本)

2012年11月03日 | Weblog
私たちの日本は明治維新以降の近代国家に変貌した日本が辿った道はこれからどうなっ
て行くのか年内
解散を目指す勢力は攻勢にでていますが。
さて以下のようなニュースがあったので百済の王様が新羅から追われて逃げてきた宮崎
の伝説など紹介します。
今上天皇が桓武天皇のご母堂は百済の人であると言われたことは有名ですが、日本には
朝鮮半島渡来人の血が入っています。

1.日本人には韓国人の血が流れている、DNAが証明=韓国メディア
サーチナ
2012年11月02日10時27分

現在の日本人は、先住民族である縄文人と、朝鮮半島から渡ってきた弥生人が混血を繰
り返したものであることが明らかになった。総合研究大学院大(神奈川県)などで構成
される研究チームが、日本人類遺伝学会が編集する1日付の国際専門誌電子版に発表し
た。(イメージ画像:Photo by Thinkstock/Getty Images.)※画像の無断ダウン
ロードと転用を禁じます。

 現在の日本人は、先住民族である縄文人と、朝鮮半島から渡ってきた弥生人が混血を
繰り返したものであることが明らかになった。総合研究大学院大(神奈川県)などで構
成される研究チームが、日本人類遺伝学会が編集する1日付の国際専門誌電子版に発表
した。複数の韓国メディアが2日、相次いで報じた。

 韓国メディアは、「日本の本土人の遺伝子、韓国人とほぼ同じ」「日本人は、朝鮮半
島人の末裔(まつえい)、DNAが証明」「日本人の体の中に、韓国人の血が流れる」な
どと題して伝えた。

 主に関東居住者の本州出身者、中国人、欧米人など約460人分のDNAデータに、アイヌ
民族と沖縄出身者の計71人分を加えて解析したところ、本州出身者は韓国人と遺伝的に
近く、アイヌ民族は沖縄出身者と最も近かったという。

 以前にも日本人の遺伝子を分析した研究結果があったが、今回は1人当たり最大約90
万個のDNA変異を解析することで信頼性を大幅に高めたという。

 韓国メディアは、日本人の起源は縄文人が各地の環境に適応したという「変形説」や
、縄文人が弥生人を征服し定着した「人種置換説」、今回の「混血説」が提起されてい
たと解説した。(編集担当:李信恵・山口幸治)(イメージ画像:Photo by Thinkst
ock/Getty Images.)

2.武蔵国ほかの関東平野各地では、百済、新羅、高句麗三国出身の人た
ちが、仲良く地域の文化発展に貢献

まつむらひろのぶ with T?@tsuji999

誇るべき埼玉の歴史 “@xxcalmo: ‥当時「白村江の戦い」などで国際的な緊張があっ
たにも関わらず、武蔵国ほかの関東平野各地では、百済、新羅、高句麗三国出身の人た
ちが、仲良く地域の文化発展に貢献してる。武蔵には高麗郡、新羅郡といった故国の名
そのものの行政区域まであった。‥”


10月30日今出川六郎?@cachmang

これは関西だけの現象ではなく、海を越えて新しく到着した渡来人は関東方面にも入植
しました。群馬、山梨はもちろん神奈川、東京にもその足跡があります。埼玉には新羅
に滅ぼされた高句麗から1799人が定住、高麗郡を作ったそうです。

@ColGen_Aki その証拠に"埼玉の著名人市民達"は"高句麗トゥーン.ガス.族と日本族の
混血末裔"で占められています 今の"滋賀県知事の「嘉田・由紀子氏」"も"埼玉出身"つ
まり"芸能人の本名・陽子氏"同様に"高句麗トゥーン.ガス.族と日本族の混血末裔"です
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
アリラン変奏曲(平和のピアニスト池辺幸惠さん演奏) 
http://www.youtube.com/watch?v=VRbfmm2EXOI


2.王族の一行は2そうの船に乗って瀬戸内海に入り、安芸の国(広島)の宮島に着いた
が、追っ手を恐れて筑紫(福岡)へ

●24面の鏡や神事残す
 昔、朝鮮半島の古代国家・百済から王族が日本に亡命、日向の国に漂着したとする伝
説がある。南郷村・神門神社の社伝によれば、孝謙天皇の天平勝宝8(756)年ごろの
ことという。
 王族の一行は2そうの船に乗って瀬戸内海に入り、安芸の国(広島)の宮島に着いた
が、追っ手を恐れて筑紫(福岡)に向かった。船はあらしに遭って流され、1そうは日
向の金ケ浜、1そうは高鍋の蚊口浜に漂着。金ケ浜が禎嘉王一行、蚊口浜がその子・福
留王の一行であった。
 禎嘉王らは、すぐに向かうべき土地を占ったところ、西方7、8里によい土地がある
と出たので、そこへ向かった。着いたところが神門であったという。一方、福智王らも
占った。西方に比木(木城町)という土地があることが分かり、そこに落ち着いた。
 禎嘉王らが西に向かう途中、お産をする女性がおり、子どもを生んだ土地を「おろし
児」、その子を洗ったところを「児洗い」と呼ぶようになった。また途中乳母が亡くな
ったところが、「乳母が森」であるという。
 やがて本国から追っ手が入り、禎嘉王らのいる神門に迫って来た。南郷村の入り口に
近い伊佐賀の戦いは最も激しく、王の次子・華智王は戦死、禎嘉王自身も流れ矢に当た
って亡くなった。比木にいた福智王も急を知って小丸川に沿って渡川から鬼神野を経て
神門に入り、父王を助けて戦った。
 苦戦したが、土地の豪族「どん太郎」が食料や援軍を出してくれ、ようやく追っ手を
撃退することができた。今でも伊佐賀の土が赤いのは、戦死傷者の血が染みついたから
だという。禎嘉王を葬ったところを「塚の原」と言い、古墳がある。この王をまつった
のが神門神社である。福智王も比木の人々に崇敬され、後に比木神社にまつられた。神
門神社と比木神社は密接な神事も伝承している。
 神門神社には、王族の遺品とされる古い鏡24面がある。その中には奈良の正倉院の御
物と同一のもの、東大寺の大仏台座下出土鏡と同形のものなどがあって、王族伝説を単
なる空説として無視できないことを示しているように思われる。
 王族亡命を歴史の事実と照合するのは困難であるが、類似の伝説が田野の天建神社に
もある。こちらでは、百済王の船は油津に着いたと伝えている。鵜戸神宮を関連の地と
する説もある。
甲斐亮典
3.西の正倉院 鏡の写真あり
http://www.pmiyazaki.com/nangou_ku/syousyouin/
神門神社。
百済王族の遺品が残る

   


添付ファイル





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2 Comments

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10年遅れを取ってしまった (名無し)
2012-11-04 22:57:57
朝鮮人(O2B*)と日本人(O2B1)は違います。
また、アイヌ人(D2*)と本土日本人、琉球人(D2A)も違います。
巻き返しを図った今回の論文は、海外(NatureやScience)に、いまさら当たり前の事として無視されたようです。
mtDNA専門家のせいで、日本は諸外国に致命的な遅れを取ってしまいました。
今やインターネットでY染色体ハプロタイプは誰でも知っています。
mtDNA専門家の皆さんは、どう責任を取るつもりでしょう。
こんなの見つけました (こんなの見つけました)
2012-11-08 14:40:36
wikipedia→「21世紀に入って、ミトコンドリアDNAやY染色体の分析にかかる知見が一段と蓄積され、日本列島のヒト集団のDNAが明らかになったこともあり異論も多い。特に弥生人の総数については当初よりかなり少ない数であったことや、稲作の伝播・Y染色体中のO2b1(O-47z)が中国北部・朝鮮には存在しないことから、弥生人の渡来自体が中国南部・東南アジアからであった可能性が高まっている。 日本人の遺伝子プールに与えた影響は弥生時代が最後であり、その後の帰化人については日本人の遺伝子プールに殆ど影響を与えていない。」

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